コロナ禍、リープフロッグ現象の国で思う老後の生き方

1、ベトナムへの再入国の一日

10月24日(日)、特別便でベトナムへ戻る日になりました。この日を選んだのも、日曜日であれば息子に空港まで送ってもらえるからです。自宅から近い羽田空港から搭乗できるANAの特別便を予約しました。なぜ特別便と言うかと言うとベトナムには定期便の運行が停止されているからです。コロナ発生の2020年3月以来、ベトナムには国際線の定期便が飛んでいません。ANAのほかにはJALの特別便は、毎週水曜日の運行で成田発になります。

特別便に搭乗するためには、ビジネス目的の渡航に限られます。2か月前ほどにビジネス目的の該当する会社(私の場合は私が社長を務める会社)の所在する地域の役所(ベトナムでは人民委員会という)に申請を出し、承認を得る必要があります。その承認が降りたら、入国管理局の承認やビザなど入国のステイタスを取得します。その後で隔離ホテルの手配と隔離に利用する移動車両の手配をすること、特別便の搭乗手配をする必要があります。もしコロナ感染したら自己負担する誓約書も必要です。搭乗手配のためには手続きしたすべての承認書を航空会社に提出します。航空会社はと特別便の搭乗者名簿と個々の搭乗者の承認書を提出し、ベトナム航空局に着陸許可を取り、ようやく特別便の運航が認められる仕組みです。

特別便の搭乗のためには、搭乗72時間前にPCR検査を受けて陰性証明書の提示が必要です。また、ワクチン接種証明書の提示、ベトナム政府への健康状態の報告アプリへの登録が必要です。ベトナム入国を承認された書類を持ってようやく搭乗できました。

ANAのエコノミーの座席は、3席ずつ並んでいます。右窓、真ん中、左窓に3席ずつ9席が並んでいます。特別便なので搭乗者は少なく、ほとんどの席が3席に一人が座れる状態でした。日本に帰国した時は、JALの定期便でしたが、JALは右窓2席、真ん中4列、左窓2列でしたが、私は真ん中4席に一人で座ることができました。4席使って寝ることもできました。手続きは大変ですが、座席は楽々の状態です。

ホーチミン市の国際空港に到着すると健康申告のチェック、陰性証明書、ワクチン接種の確認があり、順番にチェックされるため相当の時間がかかりました。その後、イミグレを通るのですが、入国管理局の承認書をプリントアウトしていない失敗をしていました。会社のスタッフに連絡して、再度送ってもらったうえで、ANAのスタッフに印刷してもらい何とかイミグレを通過することができました。その後、スーツケース2個をピックアップして、防護服を配布され直ぐに着用し、移動車両に乗り込みました。移動車両の客席は私一人きり、運転席とは完全に遮蔽物で区切られ隔離された状態の車でした。まさに護送車のようです。

ホテル到着しましたが、隔離専用のホテルですので、通路もテープで指定されています。ホテルの敷地にはいったところで私の全身と荷物全部にたっぷりと消毒液を掛けられて、指定された部屋に向かいました。指定された部屋に向かうまでは、エレベータ内も消毒液を吹きかけ、私が降りた際も消毒をかけていました。その日はベトナム時間で深夜12時近くなっていました。

翌朝からは、7時半、11時半、17時半に食事が運ばれて、部屋の前の台におかれるようになりました。運んできたときはブザーで知らせてくれます。運ぶ人は必ず防護服を着ています。最初の朝にはPCR検査があり、部屋から出られるのはその時だけです。ただ防護服を着ている人が迎えに来て、前日同様私が通ったところは消毒をしていました。8日目の退去前日もPCR検査をし、陰性であればホテルから出られます。実質8日間、PCR検査以外で部屋を出ることはない隔離生活をしました。日本では自宅隔離をしましたが、買い物には行けましたので、ベトナムの方が断然厳しいです。ただ、以前は3週間の隔離の時期もありました。今はワクチン接種2回の証明があれば1週間なので助かります。

2、ベトナムの店舗や施設への入場規制

私のホテル隔離が終了したのが、11月1日でした。ようやく昼ごろ外に出られたのですが、一部飲食店では営業が始まっていました。業態によっては段階的に店舗での営業ができない状態でしたが、バーなどは5月以降10月まで全く店を開けられない状態でした。11月1日以降はかなり回復していました。ただ、すでに撤退をしている飲食店もたくさんありました。飲食店用の不動産の空き物件があちこちにありました。

10月1日からは弊社の社員もワクチン接種した者は、オフィスの出勤できるようになったり少しずつ隔離政策が緩和されつつあります。ただ、全部ではありませんが、大型の小売店舗に入るときにはワクチン接種証明や健康報告の登録、位置情報や連絡先の登録などをしないと店舗に入れません。また飲食店でもそのようなチェックをされるところがありました。日本では全くなかったのですが、ベトナムは未だ厳しいようです。大型店舗に入るとき面倒なので、しばらくは小さなコンビニで買い物をする程度にしようかと思っています。ゴルフの練習場もそうでした。QRコードリーダーで読み込んで、そのサイトに指定された情報を入力し、健康状態を報告します。その完了したQRコードを提示しないと入場を認めてもらえません。最初の画面はベトナム語なので、私たち外国人にはどこから入力していいか戸惑いながらやむを得ないのでいやいややっています。

ベトナム、特に感染拡大が多かったホーチミン市では7月以降、9月まではかなり厳しい運用がされていました。

〇すべての住民は自宅待機すること(外出禁止)

〇デリバリーに関しては、指定された店舗または同じ区内で配達許可が下りた店舗に限り注文が認められる。

〇市内を移動できるのは許可された配達車やバイクのみ

あるマンションでは、警備員が外出を認めないとのことで買い物もできず、水も買うことができないので、水道水を沸かして飲み水にしていたとのことも聞いています。軍隊や警察が買い物代行はしていたので、頼めば食材は手には入りましたが自分で選べないので不便なものです。

10月以降それが緩和されているのですが、まだまだ日本ほど自由に出入りできる状態ではないようです。ただ、私が日本に帰国する一週間前からは、外出もできない状態でしたので、ようやく大幅に改善はされているようでした。

3、新興国のリープフロッグ現象

ベトナムがコロナ対策にアプリを積極的に使われているには理由があります。ベトナムでは感染対策が厳しいこともありますが、スマートフォンを活用したサービスが使いこなされているからです。持っている人も多いです。若い人が多いことも原因とは思いますが、スマホ1台あれば、多くのサポートが受けられるので、多くのベトナム人が使いこなしています。各店舗に入るときのスマホを使った健康申告など、なんら問題なく処理しています。苦労するのは、年齢が高くなり、ITリテラシーのない私のような存在です。

既存のインフラが整備されてない新興国は、新しいサービスが先進国の歩んできた技術発展を飛び越えて一気に広がることがあります。ベトナムでは固定電話を持っている家庭は少ないですが、携帯電話あるいはスマホはほとんどの人が持っています。そのことをカエルが跳ぶという意味のリープフロッグ現象といいます。

例えば中国では急激に電子決済が進んでいます。いわゆるフィンテック(金融のIT化)の進展です。日本やアメリカなどの先進国では、既存のサービスを守るための摩擦があります。また法律の修正なども必要になることから簡単に新しいサービスが席巻することは難しいです。ところが既存のインフラや法律の整備がされてなかった新興国では、簡単に新しいサービスが拡がりやすい側面があります。

以前、あるベトナムの企業から工場そのものをM&Aで売却したいとの相談がありました。その時に工場の所有者は工場全体を案内してくれましたが、その敷地の鳥瞰図を掴んでほしいとのことで、ドローンを飛ばして工場とその近隣の状態を画像で見せてくれました。そのようなことはあちこちで進んでいます。

ベトナムに進出している日本のIT大手企業に聞いたことがあるのですが、ベトナムの産業貿易相が中心となってハイテク農業の重要性を強調しています。スマートファームを運営する企業は、作物の監視、育種、育成を自動で行っています。製品の質を確認するためにセンサーを導入して安定した品質の確保に努めています。伝統的な農業分野にもIT活用の試みがされるようになっています。

4、遅れているからこそイノベーションが起こる

新興国で急激なリープフロッグ現象が進むのはなぜでしょうか?アフリカの中東部にルワンダという小国があります。以前は民族対立があり、フツ族とツチ族の民族対立をきっかけにルワンダ虐殺と言う悲劇もありました。そんな国ですが、近年はIT技術の進展が早いです。そこにはドローン空港があります。輸血用の血液や医薬品など人命救助の物資を輸送しています。ルワンダは道路のない地域が多く、仮に道路があっても舗装されていないため車の輸送よりは圧倒的にドローンでの輸送が便利なため、ドローンに力を入れてきたとのことです。

また現在の中国はキャッシュレスが進行しているようです。中国のキャッシュレス化にはアイフォンがリリースされてから、海賊版が出回りだして、その後格安のスマホが中国全土に浸透していきました。農村から出稼ぎに来ていた中国人は始めてIT機器に出会い、その便利さと安全性のお蔭で広がりました。急速にキャッシュレスが進展した背景には中国の遅れた金融事情があります。

それまでの中国のお金(紙幣)は、状態も悪い上に、自動販売機に入れても読み取れないこともあったようです。また偽札も横行していて現金に対する信頼が低かったと言います。そんな中国の紙幣への信頼がなかったことが、キャッシュレス化の推進にプラスになったのです。キャッシュレス化は銀行口座を持つこともなかったアフリカの国々での急激に普及しているようです。それを可能にしているのが携帯電話です。

その逆もあります。産業革命に成功したイギリスでは。蒸気機関やガスの技術にとらわれて、電機への対応が遅れたようです。そのため電機の産業化にいち早く着手したアメリカ、ドイツ、日本に後れを取り、大英帝国が没落していくきっかけにもなったとも言われています。

11月8日間から日本に入国する日本人や外国人の隔離期間を3日間にすると言う厚生労働省の水際対策緩和策が発表されました。ただ、これは評判が悪いです。手続きが煩雑すぎたり、規制されることが多すぎて実効性がないとの批判にさらされています。日本は官僚がいろいろ決めていますが、実態に合わない制度つくりが得意だと改めて知ることになりました。法的な規制や調整が多い先進国では、新しい取り組みがすぐに進まないことを著しているような気がします。

現在の日本は新興国に抜かれるようなことも多くなってきましたが、日本がリープフロッグ的発展をした時期もありました。ひとつは明治維新です。殖産興業の西洋化を進め、アジアの中で唯一先進国に近づきました。もう一つは第2次大戦後です。敗戦国で貧しい国が世界第二位の経済大国になりました。その当時を考えると、迅速な決断、柔軟な考え方、斬新なアイデアがあったからだと思います。

5、IT化の中で高齢者はどう生きる?

何でもかんでもスマホに頼ったコロナ対策についていく必要があった私は、この間に自分の老後を考えるきっかけを持ちました。若い人に比べてもかなり対応力が落ちることも感じました。年を取ってIT対応ができなくなっていったら、お荷物になるのではとも考えました。

同時に日本への今までにない長期間の帰国も要因です。高齢の父親のところにのべ3回訪問をしました。また、妻との生活もいつもより多くなりました。そのような環境の中で今後のことを考えるきっかけがありました。

ベトナムの電子申告やスマホを使いこなせないと生活できない現状から、私なんかは生きづらくなったと感じることも多いです。ベトナムを中心とした生活が、これから何年できるのだろうかとも思いました。発展を始めた新興国は、リープフロッグ現象で一気に発展するケースも多いですが、老人になっていく人間にとっては発展ばかりが良いこととは限りません。

進歩とは違った満足感のある生き方ができないかを考えなくてはいけないと思うようになりました。その時に日本の書店で思わず買ったのが、森村誠一の「老いる意味~ウツ、勇気、夢」です。老人性うつや痴ほう症にもなり、死をさまよった著者が老いる意味を問うた著作です。書籍の帯には、「元の元気な私に戻れますか?老人性うつを克服した著者の老いの生き方」と書かれていました。

この本を読んで感じたのは、老人に必要なのは進歩しようではなく、現役でいようと言う意志です。人に世話をしてもらい生きていくのではなく、自分のやるべきことを持ち続けて生きていこうとの意志です。自身が生涯続けられることを持ち続けること、自身の役割を持ち続けること、自分の体験を若い人に伝えていくような作業も、後継には必要なことであるように思います。これらの意志を実現するには、ルーティン化した規則正しい生活が必要になるのです。自身の継続したいリズムを維持していくことがやり続けることにつながります。乱れた生活には、精神的な健全性が失われ、意志の持続可能性も減少してしまいます。

IT化が急速に進む新興国では、多くの人がこの変化にすぐについていっています。高齢化した日本ではこうはいかないかもしれません。ただ、私たち年齢を増したものが持っているのは幅広い経験です。幸せがいつまでも続くことはなく、不幸せもいつまでも続きません。不幸なときにも心の持ち方で乗り越える経験も積んできました。リープフロッグ現象の国があると思えば、かつての栄光を失いかけている国もあります。ただ、それは一過性で終わることもたくさんあります。人生一喜一憂しないことも大切です。

病気や老いを経験した人は、人生の意味を深くとらえることができるのではないでしょうか。そのためには生涯やるべきことも持って、人に迷惑かけない生き方ができるよう自分の人生を作っていくことができる人が結果的には幸せな人だと思います。コロナ禍の特別な時期の日本帰国とベトナム再入国では老いに関する問いを持つきっかけになりました。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。