ベトナム南部の社会的隔離強化とパンデミックの歴史から読み解くこと

 2021年8月14日

1、ベトナム南部で急拡大の新型コロナ感染者

ベトナム南部の私が住んでいるホーチミン市を中心に新型コロナ感染者が急増しています。低い水準で抑えられていた死亡者も急に増えてきています。変異したデルタ株の影響が大きいものと思います。つい最近は工業団地内でのクラスターも目立ち始めっており、日系の自動車部品メーカーも集団感染が発生し、操業が停止されました。実は東南アジアには日本のメーカーのサプライチェーンが拡がっており、日本の製造業にも影響を及ぼしています。

以下の記事は、7月末に日本の新聞に掲載された記事ですが紹介します。

トヨタ自動車は7月27日、国内の完成車工場2カ所計3ラインで、8月3日から順次、稼働を止めると発表した。稼働停止は4日間となる。新型コロナウィルス感染拡大が深刻化するベトナムからの部品供給が滞っているためだ。別の国内工場の1ラインの稼働停止も既に発表されており、生産への影響が広がっている。

トヨタによると、トヨタの田原工場(愛知県田原市)で8月3日から4日間、高級ブランドのレクサス車をつくるラインを止める。スポーツ用多目的車「ランドクルーザー」などを生産する、生産子会社「トヨタ車体」の吉原工場(愛知県豊田市)でも、同5~6日に全2ラインの稼働を止める。この2つの工場では、稼働停止のほかにも、生産のペースを落とす予定だ。計5千台の減産になるという。

ベトナムからの部品供給の停滞でトヨタは、トヨタ車体の富士松工場(愛知県刈谷市)の1つのラインを、7月29~30日と8月2~4日に止めるとすでに発表している。こうした一連の措置による減産は、合計で8千台規模になる。

それ以外にもベトナムの操業規制が拡がっていることから、多くの労働者の出勤ができず生産縮小や契約期間中の納期が守れないなどの問題が発生しています。その結果、新規受注を他の国に奪われてしまうことも起こってくるものと思います。経済への影響は昨年意外と軽微だったと思いますが、今年は大きな影響が出るのではと思います。

ホーチミン日本商工会議所水嶋会頭(双日ベトナム社長)が、このようなベトナム南部の状況をインタビューとしてNHKニュースで放映されていました。

2、強烈なベトナムの感染防止対策

ホーチミン市とその近郊での感染拡大により首相指示第16号と命名された規制が長く続いています。社会的隔離を実施し、外出を自粛し、外出は必要不可欠なときのみとするとして、一部地域は食品を買う時に使う整理券を渡され、週2回から3回の外出しかできない地域もあります。職場、学校、病院以外では2人を超えて集合しない、そして食品販売以外のサービス施設の営業停止もされています。サービス施設(ヘアーサロンなども含まれる)の営業停止は、この5月から延々と停止されています。仕方ないので髪の毛ははさみを使って適当に切っています。

最近は区を越える移動にも検問所があり、不要不急の外出とみなされると罰金が発生します。弊社のスタッフもすべて在宅勤務となり、区を越えない私だけが出勤しているような状態です。また、7月26日からは夜間外出禁止(緊急な理由の場合は許される)になりました。夜ウォーキングをしていた私はそれもできなくなりました。公共交通機関の運航も実質停止されており、実際移動することさえ難しくなっています。

7月からは製造業の操業にも規制がかけられました。製造企業は、「3つの現場」(現場での生産、現場での食事、現場での休憩宿泊)と「1つのルート・2つのスポット」(1つのルートのみを通って労働者を宿泊施設から生産現場に輸送する)の体制を確保した場合のみ、工場の操業が認められています。「3つの現場」とは生産と食事と宿泊を工場内で行うことです。「1つのルート・2つのスポット」というのは、労働者を居住地に分散して返すのではなく、集合宿泊先にまとめ、企業は交通手段を用意して労働者を送迎する場合です。それができない製造業者は操業ができません。人権もここまで制約されています。

 食料品を扱っている店は8時から17時程度までは開いていますが、工場で作られていると思われる弁当は入荷できなくなりました。私も朝食、昼食、夕食はほぼ自炊になりました。食品以外の店は開いていません。店も開いてないし、お金を使わなくなったことはいいのですが、とても不便です。人にも会えないので退屈な状態です。ここまで経済を停止して問題ないのだろうかと率直に思ってしまいます。

ここにきてベトナムがこのような状態で、事業も満足にできないこともあり、帰国する日本人も増えてきました。ところが問題はJAL,ANAの帰国便は、深夜か早朝に限られています。タクシーは利用できますが、事前予約はできずピックアップの1時間前に連絡してきてもらう方法しかありません。レンタカー会社は18時以降翌朝6時までの営業は認められていません。空港まで移動するための車の手配に多くの人が困っています。困っている人が多いことは、私の業務になりえます。スタッフに調べてもらい、提供可能なサポートを提供しています。会社の事業はそのようなことをしてつないでいるような状況です。

3、日本に帰国時のコロナ水際対策

ベトナムから日本に帰国する日本人が増えています。幸いにしてベトナムからの日本に到着時に、当初3日間の検疫所が指定する宿泊先に待機することになっていましたが、7月18日からはそれがなくなり、PCR検査で陰性であれば、自宅等で14日間の自主隔離になりました。しかし、世界のあちこちの国からの帰国者には長い待機期間を求められる場合が多くあります。

帰国に当たっては、到着の72時間前までの陰性証明書を保有していないと、搭乗もできなければ、日本に入国することもできません。滞在した国によって指定された検疫所が指定する宿泊機関の待機を経て、入国後14日間は自宅または宿泊施設を指定して、そこに待機しなくてはなりません。また、その間は公共交通機関(電車、バス、タクシー国内線の飛行機など)の利用できないので、何らかの方法で移動するための手配が必要です。私の場合、横浜に自宅があるので羽田まで家族が迎えに来てくれれば自宅に行けますが、地方に自宅がある人は、ホテルで待機するか、レンタカーなどを借りて移動するかしかありません。

同時に厚生労働省が指定するアプリをインストールしなければなりません。アプリには位置情報の送信を行い入国者健康確認センターからの連絡がきたときには、スマホのカメラをオンにして応答しなくてはなりません。また、同時に接触確認アプリをインストールし、14日間はこのアプリを利用することになります。アプリのインストールができない場合は、自らの費用負担で厚労省が指定するアプリをインストールできるスマホをレンタルして、携行しなくてはなりません。

14日以内に有症状となった場合は、各都道府県の新型コロナウィルスに関する「受信・相談センター」に連絡し滞在していた地域を伝え、指定された医療機関に受診することや保健所の指示があった場合は従うこと、その他感染防止策(①マスク着用、②手指消毒の徹底、③3密(密閉・密集・密接)の回避に努めることを誓約書に記入します。

誓約書に署名を拒む人は、検疫所が指定する待機施設で一定期間待機をしなくてはなりません。

私も8月28日日本に帰国することにしました。羽田空港内に接しされた在外邦人向けのワクチン接種を行い、9月20日にも2回目の接種をすることにしました。私も日本に帰った時にはこのような誓約を求められることになります。

4、国によって異なるコロナ感染対策

国によって対応が異なるのは、第一に医療の事情があるでしょう。発展途上国は医療体制が十分に整備されていません。陽性になった時に隔離されたほうがリスク高まるのでないかと思うほどです。私の知っている方がコロナ陽性になりました。その方によると、最初は自宅で隔離されていたところ、だんだん熱が出てきてふらふらするようになったとのこと、知り合いに連絡して何とか病院に入院することを希望したところ、軍医病院に運よく入院できて、酸素ボンベのある部屋で治療できたとのことでした。弊社スタッフも陽性になり入院している者がいますが、「野戦病院」状態だと言うことです。

以下は、ホーチミン日本国総領事館から日本商工会議所を通じて、会員企業向けに発せられた通知の一部です。

「邦人の方も、PCR検査の結果陽性となり、指定病院へ入院される例が複数件報告され、当館が確認したところでは20名を超える邦人の方々が症状の程度により 「野戦病院」などの隔離施設に入院されることになりました。7月16日付の領事メールでお知らせしましたとおり、ホーチミン市では、新型コロナウイルス感染者の症状の程度によって

入院先を決定していますが、現在、病院側の受入体制等の問題により、症状のある方がなかなか病院に搬送されず、自宅などで数日間の待機を余儀なくされる例もあり、

医療体制の逼迫が懸念されています。」とあるように医療事情は国によって異なっています。

 医療体制の問題から、ベトナムは一定期間厳しい行動制限を指示し、人の移動を完全に抑える政策に入っています。このような厳しい制限を取れるのも政治体制が影響していると思います。長期間にわたって店を開けない人、工場が停止され、出勤できない工員もたくさんいます。それらの人たちは給料が受け取れていないと思います。それでも政府への批判はありません。ベトナム人の声を聞くとより一層の厳しい規制を求める人の方が多いようです。経済的困窮には、田舎に帰って家族と一緒に過ごすことで何とかしようとしています。現在公共交通機関が動いてないので歩いて何百キロもある田舎に歩いて帰る人もいます。

 ベトナムは厳しい規制で経済を止めていますが、政府は発した規制は強引に守らされます。違反に関しては、罰金だけでなく刑罰を与えられることもあります。飲食店など

どこもやっていません。守らない人には厳しい罰則があるのでほとんどの人は決まりを守ります。

5、パンデミックの歴史から学ぶこと

今までベトナムと日本の感染防止対策を見てきましたが、歴史上何によって感染症がもたらされて感染症の終息の後でどうなっていったかを見ていきます。日本史上で有名な感染症の流行は6世紀ごろ発生した天然痘です。今では天然痘はジェンナーの開発した種痘ワクチンによって完全に人類が制圧した感染症(1980年)として有名になりましたが、長い間猛威を振るっていました。

6世紀に日本で拡がったのは飛鳥時代に仏教の伝来に力を入れたことと関係があるようです。仏教の伝来のためにやってきた人々によって天然痘はもたらされたと考えられています。その時は日本古来の神々をないがしろにしたための罰ではないかと考えた人もいたようですが、徐々に収まることによって、逆に仏教の信頼は大きくなったようです。

それから200年後の平城京でも天然痘の感染拡大がありました。政治の中心にいた藤原鎌足の孫の藤原4兄弟も亡くなり、4兄弟の妹の光明皇后が夫の聖武天皇にお願いして、病気の平癒のために大仏を建立したと言われています。それが東大寺の大仏(奈良の大仏)です。戦国時代の伊達正宗も左目を失明したのは天然痘が原因と言われています。

この天然痘は15世紀コロンブスが新大陸を発見したのち、スペインやポルトガルが新大陸に侵略した時期にヨーロッパからもたらされ、大感染が発生しました。50年で先住民の人口が8000万人から1000万人に減ってしまったと言う話もあります。ラテンアメリカの植民地化にはこの疫病が大きな要因になりました。免疫のあるヨーロッパ人は死亡しませんでしたが、先住民は多くの死者が発生し、インカ帝国などの国が滅亡しました。逆にラテンアメリカからヨーロッパにもたらされたのが梅毒だったと言う話も有名です。

江戸時代末期、安政5年(1858年)長崎に上陸したコレラが大坂、京都を経て江戸に拡大した時期があります。日本ではこの病気に感染するとすぐに亡くなるので、「三日コロリ」とも呼ばれていたようです。これも外国から開国を求められている最中に外国人から持ち込まれた感染症でした。コレラは元来インドの風土病でしたが、イギリスがインドを植民地化した19世紀初頭にイギリスで感染拡大し、海外に拡大しました。人とモノの流れが拡大したことによってもたらされました。その流れで外国から開国を迫られていた日本にもコレラが上陸したのです。コレラが大感染したイギリスでは、それを契機に上下水道などを完備した衛生的な近代都市に生まれ変わることができたようです。

スペイン風邪もアメリカで発生したものが、第一次世界大戦に派遣される兵士のよってヨーロッパで拡大したと言われています。当時世界の人口が18億人程度と言われていますが4000万人以上が死亡した強烈なパンデミックとして語り継がれています。それが第一次世界大戦を終結させる要因にもなりました。

世界史上もっとも有名なパンデミックは、1347年から1351年に大流行したペストです。パンデミック前のヨーロッパの人口の3分の1が命を落としたと言われています。それらの要因もモンゴル帝国が拡大し、ヨーロッパとの交易が発展したことや十字軍の遠征なども関係しているようです。人とモノの移動が活発化することで免疫のない人に感染症が拡大するのです。穀物などを輸送する中でそこに紛れ込んだネズミの皮膚についていたノミを媒介してベスト菌が拡大します。このパンデミックによって人口が激減したことから各地で社会が崩壊しました。その結果、農村では農奴制が崩壊しました。逆に都市部では労働力不足で賃金が上昇し、人々は地方から都市に移動しました。これによってヨーロッパの中世は終わったとも言われています。

人が減った地方では農地が牧場になり、村が消えていきました。また、人手がいらない作物としてブドウが栽培されたりしました。農村に残った数少ない人たちは、遊休地を手に入れて、土地を持つ農民の権力が増しました。新しいチャンスを生かし。新しい価値感を持って農村経済が復興し、ルネッサンスの芸術や文化が開花しました。それによって近代ヨーロッパの基礎ができたと言われています。

今回の新型コロナの感染拡大もグローバル資本主義が拡大し、世界中にサプライチェーンが拡大している最中で発生しました。日本ではオリンピックを開催しましたが、多くの国が海外からの往来を停止しています。コロナ後はグローバル資本主義の価値観が変わり、グローバルを否定するような考え方に変化するとみる向きもあります。しかし、日本史や世界史のパンデミックの歴史から、人の移動によって感染症がもたらされる以前の世界に戻っていることはないようです。パンデミックの中でも新たな想像力を持ってチャンスを得た人が、新しい秩序を作っています。状況を見極め、その時に合った対応をした人が次の時代の勝者になるようです。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。