円安、スタグフレーションの困難を乗越える危機意識

2022年4月15日

1.バンラン国「フン・ヴォン王の命日」という名の祝日

 以前、ベトナムの祝日では旧歴(太陰暦)の祝日が二種類あることを伝えたことがありました。二種類というのは二日ではないからです。ベトナム人にとってもっとも重要な祝日がテト休暇です。2022年旧暦の元旦は2月1日でした。以前は年末の2日と年始の3日を祝日にしていましたが、近い土日を合わせて9連休とすることが多いようです。今年は1月29日(土)から2月6日(日)の9連休に弊社もしました。地方から都会に出てきている人も故郷に帰って親族が新年を祝う伝統的な行事です。

 もう一つ旧暦で決められている休暇が、フン・ヴォン(Hung Vuong)王の命日という祝日です。フン・ヴォン(Hung Vuong)王の命日とは言うものの、フン・ヴォン(Hung Vuong)王とはベトナムで最初に建国された国であるバンラン国の王の総称だそうですので、命日という翻訳が妥当かはわかりませんが、日本語で一般的に言われているのでの言葉を使います。その日は旧暦の3月10日ですので、今年の22年は4月10日になりました。それが日曜日だったので振替で11日月曜日も休みになりました。原稿をそろそろ書き始めないといけない私は、この日から書き始めたこともありこの話題から入りました。

 ところで、驚くことにバンラン国が建国されたのは紀元前2879年と言われています。今年が22年ですから何と4901年前ということになります。日本は文字が残っていないこの時代は旧石器時代といわれ、発掘でしか人間が住んでいた痕跡がわかりません。しかし、古くから中国文化の影響を受けたベトナムは、文字が残っていることからこのような伝説的な話も残っているのです。

 日本でも建国記念の日については、初代の天皇といわれている神武天皇が即位したのが紀元前660年1月1日とされており、その当時の日を太陽暦(新暦)に直すと2月11日になることから、ベトナムとは違い旧暦を使わなくなっている日本は、2月11日を祝日として固定しました。戦前は紀元節といわれていた日を「建国記念の日」と定められました。神武天皇が実際存在したかなどの歴史的事実とは必ずしも言えないことから、「記念日」ではなく、「記念の日」となった経緯があります。日本では中国から文字が入ってきてから、「古事記」、「日本書紀」で伝えられるようになりました。

 バンラン国があったとされるのはベトナム北部ですので、その周辺ではフン王祭りなどが開催されています。民族音楽の演奏や獅子舞などが行われていますが、これが2012年にユネスコの無形文化財に認定されました。日本もそうですが、アジアの国々も古くからの文化や伝統を持っている国がたくさんあります。これらの文化は尊重されないといけないと思います。

 現在はまだ新興国のベトナムですが、紀元前には日本より進んでいた時代もあったのです。ただベトナムも中国からの侵攻、フランスの植民地、ベトナム戦争など数々の谷や苦難を乗り越えてきました。ベトナムの最初の国バンラン国の話題から入りましたが、世界各国の歴史は、山あり谷ありです。ウクライナの将来もこの苦難を乗り越えたときに、強い連帯や民族の強さがもたらされるのでしょう。これを期待せずにはいられません。

2.急激な円安は何を意味しているのか?

 ところで円安が止まりません。ベトナムでも円で見積書を作成している企業は急激な円安に戸惑っています。大幅な収益の減少に見舞われます。それに対してベトナムの通貨はドンといいます。ドンとは銅のことのようです。ただ日本の通貨をなぜ円というかは、財務省のホームページでは明治4年に決まった時の資料がないのでわからないと書かれています。

 さて、ベトナムドンは、米ドル(USD)に比べてもこのところほとんどレートの変化はありませんが、円は急速に安くなっています。なぜこのようなことになるかというと、米国は利上げをスピードアップしようとしています。インフレ傾向が続く中で、金融緩和を止めて物価の上昇を調整しようとしています。その逆が日本です。日銀は政策決定会合で金融緩和の継続を決めました。円安が日本経済にとって望ましいとしてほかの国が金融引き締めに動く中で、相変わらず金融緩和を続けています。

 金融引き締めをしてしまうと日本政府がじゃぶじゃぶに財政出動しているので、政府債務の金利も増えることで政府の借入金の返済にも影響します。また、構造改革できないで補助金で何とか生き残っている企業が存続できないことなど、金利を上げたくてもできないじり貧の状態なのです。コロナ禍の世界は通貨の発行を増やしたり、国債を発行して大掛かりな財政出動をしてきました。それらの要因もあり、先進国ではじわじわとインフレ傾向になっています。その中で米国やヨーロッパの国々には金融緩和政策から、金融引き締めに舵を切り始めています。日本は金融緩和政策を継続していますが、ほかの国と歩調を合わせることができないほど、先進国から脱落し始めているのかもしれません。

 従来は危機の時には円は上がると言われていましたが、現状は円が急激に下がっています。金融緩和政策をやめる選択をした国の金利が高くなり始めているので、世界の資金は金利が高くなり始めた国の通貨に流れていきます。それが円安の第一の原因です。

 円安ということは輸入品の価格は高くなるということです。石油、小麦などの製品価格が上昇する中で、ますます物価が上昇することでしょう。見方を変えると円安とは日本の価値が安くなっていることです。以前は円安の場合、輸出企業は収益が大きくなるので、円高よりも円安が歓迎されていたこともありますが、製造業の海外移転は拡大しています。自動車産業などは、コロナ禍において東南アジアからの部品供給ができず操業を停止していたこともありました。日本で作られている製品も部品を輸入することなく製造はできなくなっています。以前の産業構造とは変わり、もはや日本は輸出だけで利益を増やせなくなっています。

 コロナ前に中国人は大挙押し寄せて、爆買いをしていたことがニュースになりました。このことは何を意味しているかというと、日本は物価の安い国だからです。安い金額でいいものが買えるので多くの中国人が押し寄せました。コロナが終結した時に、物価は高くなっているかもしれませんが、円安が続くと安い円を高い外貨で買うことができますから、外国人は有利です。円安は日本が安くなることですから、外資企業による企業買収も増えるかもしれません。そのような意味で考えると、今後の日本経済にとってこの円安に以下に対峙するか正念場を迎えるのではと思います。日本の谷底がやってくるかもしれません。

3.最近耳にする「スタグフレーション」という経済用語

 スタグフレーションに触れたのは2020年4月でした。その当時はまだあまり使われることがありませんでしたが、最近この言葉を使う人が増えているように感じます。この言葉は経済停滞を意味するスタグネーション(Stagnation)とインフレ(Inflation)を合体させた造語です。この言葉が最初に使われたのが1973年ごろのオイルショック以降の経済状態を指してつかわれました。第四次中東戦争をきっかけにオイルの供給が不足したため、エネルギーの不足、輸送コストの上昇などの要因で物価が急激に上昇しました。スーパーマーケットからトイレットペーパーがなくなったのが、このオイルショックのころでした。それから約50年後、またこの言葉が使われるようになりました。

 本来のインフレは供給よりも需要が大きいことから、価格が上がります。そのことをデマンドプルインフレと呼びます。1960年代の日本の高度経済成長期がこの現象です。景気が良く、人々が物を買えるので物価も上がってくる良いインフレです。製品が売れるのでそこに働く人たちの給与も上がります。その循環は経済成長を推進させます。

 ところが2022年はあらゆる分野で物価が上がり始めています。原因は需要が大きいからではありません。エネルギー不足と小麦などの供給不足によるコストアップのインフレです。特に日本では給料が上がらないし、ものが売れない不況なのに物価が上がる悪いインフレになり始めています。

 新型コロナ禍の長期化、ロシア・ウクライナ紛争の長期化によるロシア制裁の長期化の懸念がある中で、悪いインフレは今後も続くと思われます。同時にコロナや戦争によって、国の財政支出が大きくなることからインフレは固定化する可能性があります。企業も国際秩序が不安定化することで、今までの最適なコストを追及するグローバリズムから、より安全なサプライチェーン構築を意識するようになると思われます。そうなるとグローバリズムの恩恵によるコスト削減は期待できません。

 1960年代まではアメリカのニューディール政策の成功から、英国の経済学者ケインズが提起した政府の財政金融政策によって経済を調整する考えが主流でした。

 失業者が多い時には政府が財政出動し雇用を生み出すことで不況を避けようとする考え方です。ところが、1970年代のスタグフレーションの際に経済思想に登場してきたのが、市場原理を信奉して自由放任を理想とするマネタリズムと呼ばれる新自由主義の経済思想でした。貨幣の発行量を安定させて、物価も安定させつつ、企業への規制を緩和して技術革新や雇用の流動性を促す考え方です。それを政治的に実行した代表が、英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領です。日本もそうですが、その経済思想により先進国では貧富の格差を増大させました。日本でも非正規労働者が急増したことで、賃金の上昇が止まりました。スタグフレーションが社会構造を変えることになったのです。

4.危機意識が変化の原動力

 日本の経済停滞はアベノミクスにより金融緩和が有効な手段になっていない可能性があります。アベノミクスの三本の矢の一つの戦略が円安でした。金融緩和→円安→輸出増加→企業利益増加→株価上昇→投資増加→賃金上昇→消費増加という好循環シナリオを想定していましたが、期待通りには推移していません。金融を緩和して円安に誘導して貿易によって利益を上げていくことが難しくなっています。石油価格の上昇や穀物価格の上昇などが原因で、今年に入り日本の経常収支や貿易収支は赤字になっています。そろそろ日本の政策も転換期に達しているように思います。

 ただ、私はこのような時に危機意識を持つことによって逆に新しい発想や新しい生き方が生まれるものと思います。日本はたくさんの危機意識が必要な国です。まずは少子高齢化で人口減少社会になっています。ベトナムのような人口ボーナス期の国に比べての日本の経済成長は不利な戦いです。

 また、災害大国という側面もあります。地球温暖化による異常気象の問題、大陸間プレートに囲まれた地形から、地震・火山噴火が避けられない国土です。このような自然災害には長年日本人は戦ってきました。南海トラフ地震はこの30年以内に70~80%の確率で発生するだろうとの予想もあります。そのような厳しい環境下でも工夫して乗り越えてきたのが日本人です。逆に高度成長から今までの日本人は恵まれた環境で国や地域に頼りすぎて、自分を守ることを忘れていたのではないでしょうか?危機を自覚することが、イノベーションや変化を生むための原動力になります。このような

 厳しい現実を直視することで、逆に個人で未来を勝ち取っていく気概を持つことが、自分を救うことになるのではないでしょうか?これからはきっと今までと同じにはなりません。国も地域も生活インフラや公共投資を維持する力はなくなっていくでしょう。

 経済停滞は近年は先進国で起きていました。1960年代くらいから、イギリスは英国病ともいわれる経済停滞に入ってしまいました。インフレが拡大しながら失業者が増える現象に苦しんでいました。なぜそのような状態になったかというと国の財政出動によって経済が守られていました。社会保障の充実、福祉政策の充実、公共事業による景気刺激、主要産業の国有化など「大きな政府」といわれる状態で巨額な財政赤字が経済を動脈硬化の状態にしていました。慢性の財政赤字を生み、とうとうオイルショックによって危機的な状況になっていました。こうした中でこの行き詰まりの原因は国の経済への介入が強すぎることで、自由な経済活動が阻害され、効率化も悪くなっているという批判です。個人や企業経営の自由を拡大することで危機を乗り切ろうとする考え方でした。

 満を持して登場したサッチャー政権は、国営企業の民営化、労働法制の規制緩和、社会保障制度の見直し、金融ビックバン(金融の自由化)などを展開し、その後この考え方はレーガンの米国や小泉純一郎政権の日本にももたらされることになりました。サッチャー首相は経済の悪化を国家のせいにするのではなく、自助努力が必要であることを説き、産業界の体質改善を生んだことは確かでした。しかし、非正規労働者の拡大による貧富の二極化や産業の海外移転などの空洞化など、将来に抱えることになる問題点も生むことになりました。公共事業の極端な民営化はサービスの低下や価格の上昇を生み、フランスのように水道事業を再度公営化したような話もあります。改革には痛みも伴います。

 このようにみていくと経済停滞の後の対策は、今までとは同じことを繰り返さないこと、変化する勇気を持つことが大事だと思います。いいことばかりではなく弊害も出てきますが、国は助けてくれるわけではない、個人として未来を勝ち取ろうという意識を持つことを問われます国に依存しすぎると強い権力者(独裁者)を生むことにもなります。

 私はこの半生で失敗ばかりしてきました。大きな失敗は新卒で入社した保険会社を退職したことです。以前の給与が半減しました。また、中年で新しい仕事を始めても大切にはされませんでした。企業収益が上がらないとすぐに私の担当していた事業が売却されます。その中でベトナムにわたことを決めたのですが、その過程で自分ができることは何でもやるようになりました。それが私を変えることにつながりました。生活はそれほど楽ではありませんが、周りから必要とされることは多くなりました。危機感が人を変えると今では考えています。

 幕末、日本に来た西洋人の著書に、「日本人は貧しいが、衣服や生活は清潔で精神的には豊かに暮らしている」と書かれています。これからの日本人の生き方のヒントがあるかもしれません。国の発展はいろいろな要因に影響されて、ジグザグに発展や停滞を繰り返します。日本より先にベトナムの方が文明が開けていた時期もありますが、日本が貧しくなった時の人々の考え方で時代は変わってきました。

 平家物語の冒頭で締めましょう。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」万物は変転し、同じ状態でとどまることはない。また、盛んなものも必ず衰えるのはこの世の道理であるという意味です。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。