戦後日本の経済思想の変化と「新しい資本主義」

1、日本を脱出する若者

 ここ数年、コロナ禍で通常業務が激減したことも要因ですが、月1回はメールマガジンを発信するようになりました。新しい自社の業務やサービスの紹介の他、私が日頃思っていることなどを発信しています。

 3月1日に発信したメールマガジンは4つの内容を載せていますが、その一つに「稼げる国を目指す若者たち、『安いニッポン』脱出の動き」という内容を載せました。以下に一部分だけ要約して掲載します。

「日本人の若者が安定した職を捨てて海外に出稼ぎに向かう動きが増えているようです。今年放送されたNHKの「クローズアップ現代」で見た内容です。オーストラリアの農園で働く男性が1日6時間の作業で月収50万円。介護施設で働く女性はアルバイトを掛け持ち9か月で270万円を貯蓄するなど、日本の賃金と比較して高収入を得られる海外のアルバイト事情を伝えていました。元教師、自衛官、理学療養士など安定した職業を捨てて海外でアルバイトをする若者が増えているようです。

 その一方で外国人の日本離れも深刻です。介護現場で働くベトナム人の若者は月収20万円ほどで働いていますが、日本を離れようとしているようです。その要因は急激な円安によりベトナムの親元に送金をした金額が2割以上も少なくなってしまったことです。今後の経済成長に欠かせないIT関連など高度人材の分野でも同じことが起こっているようです。給与が高い外資系IT企業などへの引き抜きや転職が繰り返されていると言います。」

 これを書いたことから着想を得て、今回はかつて日本が「一億総中流」といわれていた時代から、日本人の若者だけでなく、外国人の若者も日本を脱出しようと考えるように変化していった過程を私が大学生になったあたりから社会人になったころの時代の潮流の変化に着目して考えてみようと思いました。

2,経済成長の鈍化 ケインズ主義から新自由主義の登場

 私が大学生から社会人になった1970年後半から80年代くらいまでは、日本は「一億総中流社会」といわれていました。格差の小さい国、人々の平等を標榜する社会主義国よりも格差のない国とみられていました。経済の高度成長によって、それまで所得の低かった階層にまで所得が伸びていた時代でした。しかし、その経済成長の鈍化が新たな考え方を生んでいきました。それまでの主流の考え方は、大恐慌から経済を回復させるためにとられた経済政策でした。市場を自由放任にするのではなく、政府が積極的に市場に介入して経済を拡大させる、国家の財政出動をもって経済の成長と安定を図るジョン・メーナード・ケインズが提唱した考え方です。彼は英国の経済学者で、「雇用・利子および貨幣の一般理論」という代表作があり、ケインズ主義とも呼ばれています。

 極端な自由化が「市場の失敗」という現象を生むと考えます。それは企業の寡占化や経済メカニズムから外れる部分での問題(公害など)が発生することです。そのリスクを避けるために、積極的に国家の役割を重視します。国家によって産業を活性化させたうえで、その税収によって再分配を強化する考え方です。経済成長による税収を使い、社会保障も充実させるというものです。米国ではニューディール政策の考え方の基礎になり、日本でも高度成長期に公共投資が行われたのはこの考えに基づいています。

 ところが、1970年代からアメリカ経済の衰退を象徴する、ドルの金との兌換を停止するとした「ドルショック」、第四次中東戦争に端を発した「オイルショック」、不況下の物価上昇「スタグフレーション」現象など先進資本主義国を襲った経済危機の到来により、政府主導の経済政策の限界が言われるようになりました。

 そこで登場したのが新自由主義経済という考え方ですが、そもそも自由主義経済とはアダム・スミスなどが提唱した古典的な自由主義ですが、それまで絶対王政や重商主義の考えの基礎になっていた、国を豊かにするための貿易の統制と国内産業の保護を基本にした考え方(重商主義)への批判から提唱されたものでした。

 時代は啓蒙思想、自然科学研究の進歩と結びついて、産業革命やフランス革命など市民社会(ブルジョアジー)の形成に結びついていきました。国家が市場に介入する過剰統治を批判し、神の見えざる手によって市民社会の自律性を尊重した思想でした。国家の利益を求めるのではなく、自らの利益を理性的に追及する個人個人が存在することで、自律的な秩序ある運動法則が実現するとの考え方で、自由放任主義ともいわれています。

 1970年代に登場した新自由主義の考え方は、ケインズの提唱した国家主導の資本主義を批判したものでした。経済学者としてはミルトン・フリードマン、フリードリヒ・ハイエクなどが有名です。ケインズ主義は財政出動で産業を育成し、その利益を再分配して国全体を成長させる考え方です。そのような福祉国家的な再配分政策による「過剰統治」が国家を肥大化させ、変化を拒みシステムの機能不全を招いた結果、経済を停滞させていると批判しています。国家の介入を最小限にし、企業活動への規制を廃止し、税金も削減し、社会福祉も最低限に縮小することで、自由度を高め自立を促す考え方です。

 ところで自由主義が啓蒙思想と結びつきましたが、新自由主義は新保守主義と結びつきました。なぜ新保守主義と結びついたかは諸説ありますが、新自由主義改革によってもたらされる社会の分裂や解体、行き過ぎた自由化を抑えるためには保守的な家族観や民族的な価値観が必要だったからという考え方があります。また、その考え方が「自己責任論」という考え方も生んできました。小さな国家にするので、社会的役割を家族が担い、伝統的な価値観、排外的な考え方で国を守る思想が広まりました。

 こうした新自由主義の考え方により、新しい企業の成長を促した面はありました。特に金融の自由化により競争の激化、新しいサービスの登場がありました。また、規制の撤廃は、IT技術の進歩もあり新しい産業を生み、新興企業が成長するようになりました。規制が撤廃される中で労働市場も自由化が進み、派遣労働者が急激に増えて、非正規雇用の形態も拡大しました。それにより企業の成長の後押しにはなったことは事実でしょう。

 ところが、それらの変化により、今までの「総中級社会」は崩壊していきました。家族や世帯により富の継承が固定化し、再分配の機能は低下しました。企業は資本の力により、M&Aが進み寡占化が進んでいきました。企業権力の肥大化、弱肉強食イデオロギーの浸透による市民の連帯意識の衰退を伴い、貧富格差の拡大を生む傾向に拍車がかかりました。

 新自由主義を取り入れた政治家として有名なのが英国のサッチャー首相、米国はレーガン大統領、日本では中曽根首相が象徴的です。それぞれの国で方向性を転換させた指導者です。

3,日本格差社会の構造変化

 マルクス経済学では階級は二つに分類されています。資本家階級(ブルジョアジー)と労働者階級(プロレタリアート)です。そのような古典的な階級分類は、現代社会では適応できないかと思いますが、新しい日本の階級を論じた著作があります。ここでは「新・日本階級社会」(著:橋本健二)に書かれた階級の分類を紹介しましょう。その著書は講談社から2018年2月に発行されたものです。著者によれば日本には5つの階級が存在すると書かれています。

1)資本家階級(経営者・役員)

254万人、就業人口の4.1%、平均世帯年収男性1070万円、女性1039万円平均資産総額4863万円(金融資産2312万円)

2)新中間階級(被雇用の管理職・専門家・上級事務職)

1285万人、就業人口の20.6%、平均世帯年収男性804万円、女性788万円、平均資産総額2353万円(持ち家がない人935万円)

3)正規労働者階級(被雇用の単純事務職・販売職・サービス職・その他マニュアル労働者)

2192万人、就業人口の35.1%、平均世帯年収男性569万円、女性687万円、平均資産総額1428万円(持ち家がない人406万円)貧困率2.6%

4)旧中間層

806万人、就業人口の12.9%、平均世帯年収587万円。平均資産総額2917万円、貧困率17.2%

5)アンダークラス(非正規労働者)

929万人、就業人口の14.9%、平均世帯年収343万円、平均資産総額1119万円(持ち家がない人315万円)、貧困率38.7%

 この著作では階級が固定化されつつあり、チャンスとやる気があれば格差が埋められるという考え方が幻になりつつあると言います。持てる者は、教育機会就業機会、健康機会にも恵まれていて、ますます持てる者への連鎖にあるが、持たざる者はそれとは真逆なますます持てない連鎖に置かれていると言います。

 そしてその格差是正を阻むものを考察しています。格差の存在を認めない、あるいは肯定する考え方に「自己責任論」があると言います。当初「自己責任」という言葉は金融ビックバンの頃、貯蓄性商品について使われた言葉です。ハイリスク・ハイリターンの商品を買うときに投資の結果は「自己責任」として考えてくださいと使っていました。

 ところが中東の人質事件などでも、危険なところに出かけた人の「自己責任」などの使われ方になり、非正規労働者には正社員になる努力が足りないから「自己責任」だというように使われるようになりました。逆に「努力した人が報われるべきだ」と主張している人は、スタートラインに立っている人ではなく、成功というゴールにたどり着いた人の考え方だと言います。そのように階級によって都合よい考え方が、固定化を生んでいると考えています。

 日本の階級の文化が、それぞれの立場で政治意識や社会意識を生んでいます。排外主義、軍事拡張に対する意識、格差に対する意識、支持政党などの考え方は、それぞれの階級で特徴的な傾向が見いだせるようです。ところで、格差拡大や階級の成立は社会の持っているダイナミズムを失わせます。ベトナムの若者を見ていると、いろいろな層の人たちが未来の自分は成功できると考えています。しかし日本の若者はそうではありません。

 この著書では、階級構造の複雑化と自己責任論の悪しき浸透によって、さまざまに分断された考え方になっていると言っています。賃金格差の縮小やより平等な社会の実現のためには、またケインズ主義のような国家により財政投入や再分配の仕組みが必要なのでしょうか?経済の仕組みで調整を図るにはなかなか難しい問題をはらんでいます。

4,「新しい資本主義」で直面する問題解決ができるのか?

 岸田首相が「新しい資本主義」と目指すという発言をしました。この言葉に経済学的な根拠はないような気がしますが、現在社会が行き詰っていることを暗に表しているのではと思います。おそらく「アベノミクス」の行き過ぎを修正する、格差拡大を修正することを念頭に言っている言葉だと理解はします。とはいっても新しい政策には至っていません。「資産所得倍増政策」という言葉も出てきましたが、おそらく高度成長に向かう頃、池田内閣によって提唱された「所得倍増計画」を捩ったもののように聞こえます。ただ内容は「株式投資をしましょう」という意味だけで、国民全体のテーマにならないと思われます。

 そのように新しい資本主義という言葉を使っても、新しい経済政策など簡単に打ち出せるものではないのでしょう。肝心なのは日本をどんな方向にもっていくべきかという発想のように思います。それを考える前にまずは日本がどんな問題を抱えているかの把握が必要です。

 最近庶民は切実な問題に直面しています。物価も上がらず、給料も上がらない日本社会でしたが、急に物価が上がってしまったことです。物価が上がった理由は円安と供給の不足です。供給は世界全体で同じような傾向になっています。理由は色々ありますが、まずはロシア・ウクライナ戦争の影響です。コロナ禍や米国と中国の覇権争いにおけるサプライチェーンの寸断の影響もあります。そのほか地球温暖化による環境変化の影響もあるでしょう。

 円安に関しては世界のインフレ傾向の中で、各国は利上げを行っていますが、日本は利上げをしていないことが要因です。円を持つよりも金利が高いほかの通貨を持っていれば利益が出るので、円が売られることで円安になります。ではなぜ日本は利上げをしないのかが問題です。そこにはアベノミクスの政策が影響しています。

 日銀は市中の国債を大量に買い取って紙幣を発行していました。それが金融緩和政策です。日銀は大量に国債を持っていますので、そこで金利を上げたら、債務超過になってしまいます。日銀が債務超過になっても、紙幣を増刷することで倒産することはないですが、物価はさらに上昇することでしょう。そのこともあり、他国と同じように金利を上げられないのです。

 このような難題を抱えている日本ですが、今は円安日本を最大限活用することが必要に思えます。海外の通貨が高くなっているのですから、外貨を円に換えると今まで以上に利益が出ます。外国にモノを売ることと、外国人に日本でお金を使ってもらうことです。サプライチェーンを日本に戻してもらうことも意味があります。サプライチェーンを戻す意味は製造業の日本回帰です。

 日本のもう一つの問題は人口減少です。2022年の出生数が80万人を割り込みました。ますます子供の数は減っています。更に円安は日本に住む外国人労働者にもマイナスを与えていますから、外国人労働者は今後減っていくことでしょう。ベトナムで話を聞くと、日本で技能実習生として働きたいという人材を集めるのが難しくなっているようです。出生率の減少は格差の拡大が影響しています。アンダークラスの非正規労働者になると結婚もままならないのです。アンダークラスでなくても夫婦共稼ぎしないと生活ができないので、子供の数も少なくなります。

 ではその問題を解決するためには何をしたらいいのでしょうか?まず考えられるのは、「ベーシックインカム」です。それは国民の生活を最低限保障するために年齢、性別、職業、収入に関係なく一律現金を支給する考え方のことを言います。

 次に私が思うのは、年金の支給開始が引き下げられる中で企業の雇用延長が進んでいます。ただ、私の経験でいうと50歳くらいであれば、まだ新しいことに挑戦ができます。その挑戦を支援する仕組みができないものかと思います。失敗してもセイフティーネットがあれば、挑戦する人も増えるのではと思います。特に保育、農業などは年齢が高くても対応可能な産業のように思います。足りない労働力は、外国人に頼ることは必要だとは思いますが、現在の技能実習制度ではなく、在留資格の「技術、人文分野、国際業務」の範囲に入る高度人材の採用に傾斜していくことです。日本人と同じ給与体系になりますが、海外との取引を拡大するためにも力になると思います。

 私が述べた案は賛否いろいろあるとは思いますし、思いつきも多いです。しかし、今の日本の局面を変えるためには、勇気をもって今までとは違う政策に変えていく必要があるのではと思います。自由主義経済から、ケインズ主義経済に変わり、新自由主義経済に変わった時のように、思い切った変化が必要になっているように思います。「新しい資本主義」という言葉より、具体的な政策転換を進めることでしか、現在の課題を解決できないでしょう。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。