東欧の歴史から見たロシア、ウクライナ紛争

 2022年3月17日

1,ベトナムで急成長するコングロマリット「ビングループ」

  日本にいる方にはあまり知られていませんが、ベトナムの私企業のビン・グループ(VINGROUP)が自動車生産やスマートフォンを生産しています。私は利用しているわけではありませんが、見た目にもほかの海外の製品と比べても見劣りするわけではありません。この会社は最初は不動産開発を手掛ける会社でした。コンドミニアムなどの不動産開発がビンホームズ、リゾート開発がビンパール、ショッピングセンターをビンコムセンターとして開発していました。

 ところが最近は不動産事業の成功から、幅広い事業やベトナムで初めての事業にも進出しています。スーパーマーケットとコンビニの小売業をビンマート、家電量販店をビンプロ、ドラックストアとしてビンファ、医療事業・病院経営ををビンメック、学校経営をビンスクールとしてベトナムで必要性が増している事業を多角的に運営しています。フットボールアカデミーの運営も行っており、元日本代表監督のトルシエを招聘して若手選手の育成にもあたっています。2020年にはF1ベトナムグランプリの開催も実現しました。その開催と同時並行で自動車製造にも乗り出しました。

 自動車の製造はビンファスト、スマートフォンの製造はビンスマートとして事業をしています。また、今後の事業展開として安全安心の農産物生産の会社としてビンエコ、アニメーションスタジオのビンタタという企業も持っています。まさにベトナムのコングロマリット企業として急成長しています。

 この企業の創業者で会長が、ファム・ニャット・ブオンという人で、ウクライナに留学後、テクノコムという会社をウクライナ国内で創業しました。当初はベトナムの製麺業をヒントに即席めんの製造を展開しました。急成長を遂げた後、そこで上げた利益を母国ベトナムでの投資に充てました。次々と新しい事業に参入していきました。ウクライナの事業は、ネスレに1500万ドルで売却し、その資金もベトナムの投資に使いました。ブオン会長はフォーブスが発表している世界長者番付でトップ200にも入っています。

 スマートフォンを製造しているビンスマートの商品「Vスマート」のサイトには、ベトナム語、英語とウクライナ語のバージョンがあります。ブオン会長が育ち、起業家としての基礎を築いたウクライナでも多くの人が利用しているからでしょう。また、ウクライナへの親近感も強いのではと思います。世界中でウクライナという国が注目されている今ですので、こんな話題から入りました。

2,ウクライナとロシアの歴史

 2月24日ロシアがウクライナ侵攻して以来、世界的な大ニュースになっていることから、触れないわけにはいかないと思いました。ただ、戦争はそこに住む人たちに深い悲しみと痛みを伴います。さすがにそこから入ることは避けたいという気持ちになりました。プーチンに対する批判の考えは十分持っていますが、感情だけで展開するわけにはいきませんので歴史的な情報を提供しようと思います。

 ここではロシアとウクライナの歴史を触れておきましょう。ロシアとウクライナが兄弟のような関係があることはよく知られています。東ヨーロッパではスラブ民族が連合国を作りました。それがキエフ大公国です。建国は西暦882年ということです。現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシは、このキエフ大公国が文化的な祖先と考えられています。大公国というのは複数の公国の連合した国だったからです。しかし為政者の変化によりキエフ大公国は分裂していきます。次第にモスクワ大公国が力をつけていきました。度重なる内乱によってキエフは荒廃し、人々は北東のモスクワやベラルーシ方面に移動したようです。そんな中で南部のウクライナにあたる地域はモンゴル帝国に侵攻され、キエフ大公国は崩壊しました。一定期間モンゴル帝国によってこの地域は支配されました。

 その後、1721年以降はロシア帝国(帝政ロシア)が支配することになりました。帝政ロシアの領土は広く実に地球の陸地の六分の一がロシアの領土の時期がありました。ポーランド、フィンランド、今はアメリカ領のアラスカをも支配下にありました。

 帝政ロシアはロシア革命により崩壊しました。崩壊後はレーニン率いるボルシェヴィキが世界初の社会主義国家としてロシア・ソビエト共和国を建国しました。その後ボルシェヴィキの赤軍と反ボルシェヴィキの白軍との内乱を経て、1922年ボルシェヴィキが勝利した際に、ウクライナ、ベラルーシや南コーカサスの国々を併合した結果ソビエト連邦が誕生しました。その後、第二次世界大戦で東欧に進出したソ連はバルト三国のリトアニア、ラトビア、エストニアとポーランドの一部を領土に併合しました。それがかつてのソビエト連邦です。

 その後、1989年ベルリンの壁が崩壊し、ワルシャワ条約機構に加盟していた国々(東ヨーロッパ)がマルクス・レーニン主義体制を打破して、西ヨーロッパに接近しました。1991年にはついにソビエト連邦の崩壊となりましたが、その際にソ連にくくられていたそれぞれの共和国ウクライナ、ウズベキスタンなど14か国が旧ソ連から独立しました。ソ連崩壊のため、ソ連の中心を担っていた地域の名称ロシアという国名が復活しました。

3,国境や国名が絶えず変わるヨーロッパ

 第一次大戦前のヨーロッパの地図を見ると今のヨーロッパとはかなり違います。特に東ヨーロッパは大きな違いがあります。ドイツ帝国はポーランドやバルト三国までくい込んでいたり、オーストリア・ハンガリー帝国がチェコスロバキアや旧ユーゴスラビアの地域までくい込んでいます。セルビア、モンテネグロという国はありますが、そのほかの地域はオーストリア・ハンガリー帝国の領土になっています。東欧諸国にある今の国名はその当時ありません。ポーランド、チェコ、スロバキア、フィンランドもありませんでした。ヨーロッパの領土は第一次、第二次大戦を経て絶えず変化してきています。

 西ヨーロッパの変化は、東ヨーロッパに比べたら比較的少ないです。産業革命の成功などそれぞれの国が国力を付けて植民地を拡大していたこともあり、戦時中の国境の変更はありましたが長くは続きませんでした。アイルランドがイギリスから分離独立したくらいで小幅にとどまっています。

 ヨーロッパでは4世紀から6世紀ごろ「ゲルマン民族の大移動」といわれる時期があります。もともとバルト海沿岸や東欧にいた民族が西ヨーロッパに移動を始めたのです。主なゲルマン民族のうちで、西ゴート人はイベリア半島、東ゴート人はイタリア、ブルグンド人は南西フランス、フランク人は北西フランス、アングロ・サクソン人はブリテン島に入り、それぞれ建国したといわれています。それらの民族の総称がゲルマン民族です。

 なぜ民族大移動があったかは諸説ありますが、アジア系の騎馬民族のフン族が東欧に侵攻し、フン族の侵攻を逃れるために移動したという説があります。このフン族は中国内陸部で恐れられていた匈奴(きょうど)の子孫だという説があります。また、ハンガリーという国がありますが、この国の人の名前は、名字が先になります。ヨーロッパで唯一のはずです。作曲家にバルトークという人がいますが、バルトーク・ベーラと日本人や中国人のように名字が先になっています。小学生の時に伝記を読んだことがあるので覚えている話です。また、ハンガリーの英語表記はHUNGARYと書きますが、フン族と関連がある国名です。

 また、もう一つの説はもともとゲルマン人は肥料を使わない農耕をしていたことや、農地を休ませて栄養分の減少を抑えることを知らなかったので、狩猟民族のように移動したという説があります。徐々に増える人口を維持するためにも肥沃の地、安全の地に移動する必要があたのです。ヨーロッパはその時々の事情で住んでいる民族や国境が変わってきた歴史があることは大変興味深く思います。

4,日本とは異なるベトナムとロシアとの関係性

 ベトナムに住んでいるとベトナムがロシアや東ヨーロッパの関係が深いことを感じることがあります。ホーチミン市1区のはずれには、ロシアンマーケットという安売りの大型店舗があります。私はほとんど行きませんが、ブランド品の本物もありますが、偽物もたくさんあるようです。ロシアンマーケットに限らず、ベトナムのマーケットでは偽物もたくさんあります。安いので偽物とわかっていても買う人は多いです。また、日本に輸入できなかった一部が不良品も平気で売っています。これも安いから買う人はいます。

 ニャチャンという中部のシーリゾートの街に行くと、ロシア語の看板がたくさんあります。なぜ、ロシア語で書かれているかというと、ニャチャンはロシアの避寒地(避暑地の反対)として利用されているからです。日本からはありませんが、コロナ禍の前はロシアからニャチャンには直行便が運航されていました。

 ベトナム南部のブンタウ沖では油田開発が行われていますが、ベトナムとロシアが合弁で手掛ける石油ガス開発の事業会社ベトソブペトロ社などもあり、多くのロシア人が働きに来ています。資源開発はロシアが得意なのでベトナムはロシアの力を借りています。

 そのほか、輸入品の店ではロシアのウォッカはたくさん置かれえています。以前は私もよく買っていましたが、最近が焼酎が中心です。東欧の国との関係性もあります。ベトナムではチェコビールを扱っている飲食店がたくさんあります。チェコは一人当たりのビール消費量が世界一の国だそうです。また、チェコとは以前は同じ国だったスロバキアが投資したオフィスビルが最近ホーチミン市中心部に建設されました。

 直近の決定ですが、この3月15日付けのベトナム政府による決議第32号/NQ-CP では、次の国の国民のビザを免除することを決定しました。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、イギリス、ロシア、日本、韓国、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ベラルーシです。その国のパスポート保有者は、ビザなしで入国日から15日間の一時滞在ができるようになりました。この決定で分かることは、ベトナムが大切に考えている国がどの国かがわかるような気がします。アセアン諸国については、ベトナムも加盟国なので別な扱いにはなっていると思います。

 日本、韓国や台湾とも投資に関連して強い結びつきがあります。ただ中国に関しては、領土問題など紛争案件があるので警戒感が強いのがベトナムです。南シナ海のベトナムが領土と主張する島々を中国人のパスポートには中国の領土のように思える表記をしているページがあります。それを日本語では「九段線」と言いますが、その線が入ったパスポートの所持者は、ベトナム政府が認める証になる居住カード(テンポラリー・レジデンス・カード)は持てません。その中国人に与えられるのはビザのみの発行になります。

 ベトナム戦争時にソ連に支援を得た関係からも、旧ソ連と東側諸国との結びつきも強いのがベトナムです。その点でいうと今回のロシアとウクライナの問題では微妙な立ち位置にあります。

5,ロシア制裁手段の「SWIFT排除」とは何か?

 最近ロシア制裁の話でSWIFTからの排除ということが言われています。海外でビジネスをしていると国際間の取引がたくさんあります。弊社も日本国内の企業のサポートをして、海外送金していただくための請求書を発行することがあります。その時に必ず伝えなければならないのは、振り込みをいただく銀行のSWIFTコードです。SWIFTコードは何のために必要かというと、海外送金といっても物理的に現金が送金されるわけではありません。各国の銀行は相手国にあらかじめ口座があり、送金と着金を相殺処理しています。一連の代理決済は基本的にドルで行われ、ドル以外の通貨国に送金する場合も一旦ドルを経由して現地通貨にします。

このような仕組みを円滑に管理するために、誰がどこの銀行にいくら送ったかの情報を管理する仕組みを運営しているのがSWIFT(国際銀行間通信協会)です。SWIFTの本部はベルギーにあります。SWIFTは1973年にできましたが、それまでは電話やテレックスで送金情報のやり取りをしていました。ロシアを排除するということは、国際決済管理のグループから排除され、ロシアだけは旧来の電話やテレックスでやらないといけなくなるということです。今であればメールでもできるとは思いますが信用が著しく棄損します。

ロシアの主要な産業は石油や天然ガスの輸出です。多数のヨーロッパ諸国への輸出をしていますので、外国企業との決済が難しくなり、貿易の減少につながると思います。しかし、さすがに全部は止められないので、ロシアの最大手のズベルバンクと政府系ガス会社ガスプロムのグループ内銀行は対象に入っていません。例外を作っているのは、全ての決済ができなくなるとヨーロッパ諸国がロシアの輸入が止まることで自国の産業や生活に甚大な影響が及ぶためです。いろいろの対策がありますが、現代社会では全部を止めることはできません。ただ、国際取引の決済が不便になることで輸出する側、輸入する側ともに慎重にならざるを得ず、ロシア向け輸入と輸出が縮小することは避けられないでしょう。

 それ以外にロシア国債の格付けがデフォルト(債務不履行)レベルに引き下げられていますので、通貨ルーブル安が止まりません。輸入品が減少することも加えて、物価が著しく上がり、一般の人たちの生活が成り立たなくなる恐れはあります。

6,旧ソ連諸国及び東欧諸国が引きずる問題

 今回のロシアによるウクライナ侵攻は、その前哨戦として2014年ロシアがクリミア半島を併合して、傀儡政権を樹立したことがありました。しかし、その前年に起こったことが引き金になったと思います。その当時ウクライナの大統領はプーチンの息のかかったヴィクトル・ヤヌコビッチでした。ぜいたくな暮らし、権力の乱用など民衆が批判をしていました。民衆のデモが全国に拡大し、「ユーロマイダン革命」と呼ばれるまでに拡大しヤヌコビッチは失脚しました。それを見たプーチンはウクライナの今後に危機感を抱いたものと思います。

 近年の歴史から見ても旧ソ連と東ヨーロッパはそんな民衆の蜂起とソ連軍の制圧の繰り返しでした。有名なのは1956年のハンガリー動乱です。ソ連の権威の押し付けと支配に対する反発から、民衆が蜂起したのがこの動乱です。その当時のソ連は軍事力も強力であり、すぐに民衆を鎮圧しました。その後、1968年にはチェコスロバキアの政権の動静から「プラハの春」と呼ばれたち時期がありました。ドプチェク政権が「人間の顔をした社会主義」を築こうとしたことによります。言ってみれば民主化政策です。行き過ぎた民主化と感じたソ連が侵攻してその動きも制圧しました。

 現在、以前のワルシャワ条約機構に加盟していた社会主義陣営の中で、多くの国がEUに加盟しています。旧ソ連だったエストニア、ラトビア、リトアニア、旧東欧のチェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、旧ユーゴスラビアのスロベニア、クロアチアが加盟しています。EU加盟で以前は経済基盤が弱かった国でも、賃金の安さから西ヨーロッパからの工場が移転があったり、貿易が発展することにより経済成長がもたらされるようになっています。貧しかったポーランドやバルト三国なども経済成長しているようです。

 それを考えれば、ウクライナがNATOや加盟を求める気持ちもわかります。ロシアのように世界の国が制裁に動くようになり、貿易も海外からの投資も途絶えることになれば、国際的な信用喪失や経済的な窮乏は避けられないのではと思います。政治の世界は発言力、人事権、経済力など力の強いものが一時的に牛耳ることはできますが、結果として虐げられた者たちのエネルギーを増幅させていきます。時間の経過の中で水の流れのように、民衆が力を持ち始めると、彼らの望む方向に変化していくだろうというのが私の考えです。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。