「貯蓄から投資へ」の誘導と1929年に起こったこと

  1. 資本主義の原点である投資と新NISA

 今年8月の始め米国株式市場や日本株式市場で株価が大幅な下落する事態となっていました。ただ、大幅な下落があったかと思えば、大幅な上昇があるというかなり不安定な動きが続いていました。経済学者でステージ4のすい臓がんの闘病生活を続けている森永卓郎氏は、自身でそのような言葉を使っていますが、「終活期」に際して株式を売却して、人生の目的のために資金の移動をしたと話されていました。

 日本では新NISAがスタートして、一般の人も投資という資産運用を始めるに至りました。その局面での株式の大幅変動ですから、心配している人も多いのではないでしょうか。投資とは資本主義社会を成立させるための基本的なルールです。単純に言うと利益を見込んで自己資金を投じることが投資と解されます。

 投資の最も基本的なものは会社を設立することです。将来の利益を期待して投じられるのが資本金です。そのような投資の概念が急速に拡大したのが、大航海時代からです。海外の植民地経営を進めるために「東インド会社」という組織が創られ投資が集められました。同時に植民地に航海ための船舶の建設にも莫大な投資が必要でした。ただ、その投資が海難事故ですべてを失うことを避けるために、海上保険が創られました。株式会社と保険制度は、大きな投資を進め、経済発展を実現するための資金集めとそのリスクヘッジの仕組みです。その制度こそが資本主義の原点ともいえるものであり、近代社会の重要な仕組みです。新一万円札の肖像になった渋沢栄一も日本の資本主義を支える基幹になる会社を数多く設立しました。

 投資とは社会の発展のために必要不可欠なものと考えることができますが、なぜこの時期に「貯蓄から投資」なのでしょうか。従来の貯蓄は、銀行から企業の融資に使われていました。近年は日本経済の低迷もあり、銀行融資は伸び悩んでいます。その反面政府は巨額の赤字を抱えており、銀行預金の多くが国債の消化に充当されて、政府の赤字の補填に回っているのです。そのことと将来の公的年金の不足などの不安から、「貯蓄から投資」に関心が移っているのでしょう。ただし、投資とは将来原資を増やしてくれると思われる期待される案件に流れていきます。今の円安局面は海外の有力な投資先に回り、日本の産業に寄与していない可能性もあります。その点でいうと日本企業の改革は急務と言えるかもしれません。折角できた新NISAが、日本の発展のために利用されない可能性もあるのです。

 政府は新NISAの利用を推進していますが、戦後日本では貯蓄が奨励され、戦後の復興の原資になりました。貯蓄は銀行にお金を預けることで、どこに融資をすべきかを決めます。銀行内の融資基準も厳しく決められ、担保を確保しており、貸倒れのリスクを抑えています。また、貯金と同様の役割を果たした保険は、特に長期資金の運用を担っていました。新幹線や高速道路など日本経済発展の原資はそんな国民の貯蓄や保険加入が基になったのです。保険料は保険会社が資産運用をしていますが、法律で厳しく運用できる投資割合が決まっています。リスクの高い運用は保険業法で厳しく規制されています。

 ところが現在は投資が求められています。国の成長が止まっている中で、金融機関の預貯金は企業融資に回っていません。日本経済が停滞している中で、伸びそうな企業を探して「投資」を期待するとしたら、財産管理は個人の判断に委ねられることになります。個人が日本企業の成長よりも海外企業の成長に期待したら、資金は海外に流れます。投資の流れを日本に戻すためには、旧態依然とした日本企業の変革がセットでなければならないとも思えます。預金や保険は最低限の保護機構が存在しますが、自己責任の原則となる「投資」を推進するためには、政治主導で企業改革をし、新しい産業を作ることも必要になるでしょう。

2,大恐慌前の歴史を読み直す

 8月の始めに起こった世界的な激しい株式市場の乱高下に話を戻しましょう。株価の上昇と急落は、人間の心理との関係が根深くあります。多くの人が上がると思えば同じ行動をして、下がると思えば同じ行動をする傾向があります。その逆の行動をとる人も一部には存在します。投機のプロを自称する人たちは、人と反対の行動をとるのでしょう。

 株価が急落したのは最近でもいくつかありますが、最も大きな影響を与えたのが1929年の「ブラックサーズデー」でしょう。株の乱高下で一喜一憂している人がいる中で、100年ほど前の出来事をもう一度学び直してみようかと思いました。「フラック・サーズデー」とは、1929年10月29日木曜日に起こった米国株の大暴落のことを言います。

 およそ100年前の事件ですが、生きている人はほぼ入れ替わっています。この事件を直に経験した人はいません。人は多くの場合、経験から学ぶことができますが、経験してないことには理解ができません。最近話題になっている「南海トラフ大地震」についても、100~150年間隔で繰り返し発生している大地震と言われています。駿河湾から日向灘にかけて、フィリピン海プレートが陸のプレートに沈み込む際の歪によって発生する地震です。しかし、日本はあちこちで巨大地震が発生しているので

 その怖さは経験上よく知られています。しかし、100年前の米国株式市場の大暴落が、日本人の経験知にはなっていないことでしょう。折角の機会なのでその当時の世界にどんな影響を与えたかを見ていきましょう。

 その前夜は日本では日清戦争、日露戦争と続き韓国併合などを経て、西洋列強に並ぶまでに成長していきました。その中でヨーロッパは、ナショナリズムと列強の思惑が交錯するバルカン半島で不穏な動きが発生していました。バルカン半島はオーストリアがオスマン帝国(トルコなどを中心とした中東などを支配)を支援していましたがオスマン帝国はロシアと敵対していました。そのさなかに発生したのが、サラエボ事件です。1914年オーストリア領サラエボを訪れていたオーストリアの皇太子が、セルビア人に暗殺された事件が発生しました。この事件が第一次世界大戦の発端になりました。

 第一次世界大戦は衰えてきていたオスマン帝国に対する対応の違いもあり、ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟とイギリス・フランス・ロシアの連合軍との戦いになりました。1915年英国の客船ルシタニア号がドイツの潜水艦に撃沈された事件が発生しました。乗員乗客1000人以上が犠牲になった事件ですが、米国人が100人以上も含まれていたことから米国世論は反ドイツに傾いていき、連合軍を支援するに至りました。日本も日英同盟を結んでいたことから連合軍を支援しました。第一次世界大戦は世界の覇権国の変化をもたらすことになりました。

 その最中に発生したのがスペイン風邪の流行です。スペイン風邪の最初の発症場所は米国の農村部という話ですが、米軍の兵士としてヨーロッパに送られる中で、スペインで猛威を振るったことからスペイン風邪と呼ばれるようになったようです。これにより結果的に戦争が終結したともいわれます。最近起こったコロナ禍と同様のパンデミックの襲来でした。

3,景気の高揚と崩壊の前兆 ウォールストリートのあの時

 第一次大戦は連合軍の勝利で終わりましたが、その間にロシアではロシア革命がおこり、ソビエト連邦が成立することになりました。ソ連の体制は社会主義経済を模索していく中でほかの世界とは違った方向に進んでいきました。スターリン独裁体制が強化されて、国際社会ではソ連の実態が見えづらくなっていました。ソ連は社会主義計画経済に進み、アメリカに対抗する冷戦のきっかけが創られていきます。

 その中で俄然強力な国になっていったのが米国でした。第一次世界大戦があったおかげで、米国は新たな世界の覇権国になるきっかけを作ることができました。米国は第一次大戦中、大戦後と好景気に沸き高層ビルの建設も相次ぎ、夜には煌々と電灯がともり、フォードなどの製造する自動車も急速に普及しました。好景気に沸く米国では、株価がどんどん上がり、株式投資をすればもっと利益が得られると考えられる人が増えていきました。一般の人も株を購入するようになっていく中で、投資のリスクは忘れられました。

 このような雰囲気は、経済用語でいうところのファンダメンタルズ(経済基礎条件)からは乖離していきました。ファンダメンタルズとは、経済状況を表す指標で、国の場合は経済成長率、物価上昇率、失業率などの指標がこれにあたり、企業では業績、財務状況、株価収益力(PER)などの指標によって判断されますが、誰もそれには関心を持ちませんでした。

 繁栄を謳歌する米国に静かな変化がやってきていました。戦場だったヨーロッパが徐々に復興してきたことでした。大戦中は戦場にならなかった米国で産業が急成長しましたが、ヨーロッパの復興により、米国で大量に生産したものが以前ほど売れなくなり始めていたのです。倉庫には在庫が大量に積みあがるようになりました。敏感な投資家は、いち早くファンダメンタルズ変化を見定めて、今後の景気の不透明さが増していると判断をしました。

 いち早く保有株の売却を進めた代表格が、ケネディ元大統領の父親であり、アイルランドからの移民一族のジョセフ・ケネディでした。靴磨きの少年とのエピソードが有名です。1929年夏のこと、ウォール街で靴磨きをしていた少年パット・ボローニャに会った時のことです。少年は「ウォールストリート・ジャーナル」を読んでいました。ジョセフが、「相場はどうかね?」と尋ねると、少年は「上がっています。上がる一方で・・」と、ジョセフが「君は儲けたかい?」と聞くと、少年は「もちろん、予想が聞きたいですか?」ともったいぶりながら続けて、「石油や鉄道を買いなさい。今日情報通がここに来たんです。」、それを聞いたジョセフは、靴磨きの少年でも予想できる株式市場は、自分が関わるべき領域ではないと判断して、暴落前に売却したという話です。

 このような機敏な人は誰よりも前に動きますが、多くの人は、みんなが「これはおかしい」と考えるようになった時点で行動するのです。その結果、売りが売りの連鎖を呼び暴落するのです。米国の株価暴落の影響は世界に波及していきましたが、そのことを世界恐慌と呼びます。

 各国の経済状況が悪化したことで、自国第一主義が拡大することになります。不況の中で各国がとったのがブロック経済です。単純に言うと自国と親しい国だけで経済を回すことです。植民地の宗主国で仲間の多かったイギリス、フランス、アメリカはブロック経済圏を作ることができましたが、植民地のなかった日本、ドイツ、イタリアは植民地を求めて近隣諸国に侵攻したのが、その当時の政治情勢であり、その侵攻の拡大が第二次世界大戦につながっていきました。

4,コロナ以降の世界経済の変化

 コロナ以降の世界経済を見ていくと緩やかな減速傾向になるのではと思います。その減速傾向の要因として大きいのは、中国経済の減速です。中国経済の落ち込みの要因としてはいくつか考えられますが、GDPの20~30%を占める不動産関連産業が長期的に落ち込んでいることが大きいでしょう。また、若年層の雇用も落ち込んでおり、消費も低迷しています。自国経済の低迷にもかかわらず、米中対立による輸出入の制約や、サプライチェーンの見直しなど、外国投資も落ち込みを見せています。それらの要因が複合していますから、以前のような世界経済を押し上げる存在にはならないのです。

 米国に関しては、ファンダメンタルズより株式市場が高騰しているのではという話は以前から出ています。株価の急落を避けて、景気後退を軟着陸させることができるかがカギになるでしょう。その中で重要なのは、誰が米国のリーダーになるかです。米国大統領選挙は11月にありますが、民主党のハリス氏と共和党のトランプ氏の戦いになりました。どちらが勝利するかで政策も大幅に違ってくるでしょう。

 米国の二大政党である民主党と共和党はその都度政権交代をして米国の歴史を作ってきました。簡単に二つの政党の特徴をお伝えします。民主党はリベラル寄りとされ、トーマス・ジェファーソンが立ち上げた政党です。大きな政府という考え方を基本としています。支援が必要な人たちに対して、社会福祉や生活保護などを考えるのが政府の義務というスタンスです。シンボルはロバで、イメージカラーは青になります。民主党はどちらかというと都市部に強い傾向があるようです。

 もう一方の共和党は、保守寄りとされる政党ですが、奴隷制度に反対する北部の運動の連合体として結成された歴史があります。共和党出身の初代大統領はリンカーンです。小さな政府という考え方を基本としており、市場を重視し、政府の介入を最小限にするのがスタンスです。シンボルはゾウで、シンボルカラーは赤になります。比較的農村部や地方に強い傾向があるようです。

 トランプ氏は言動がはっきりしていることから、米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度)が利下げして景気刺激策と取ること、円安を是正する方向に動くことは間違いないでしょう。トランプ氏の場合、極端なのが自国第一主義の意識が強いので、中国を排した反中に傾斜していくことも想定できます。米中の対立の構図は拡大していくことから、世界が分断の構図が一層拡大することになるかもしれません。

 一方ハリス氏の政策はまだはっきりわかりませんが、民主党ということもあり、トランプ氏のような新自由主議的な規制緩和や減税の推進ではなく、ある程度大きな政府の役割を維持して、中間層の拡大や中間層の購買力拡大のための政策に力を入れるのではと思います。国際関係も反中に傾斜することはなく、米国を中心としてバランス重視の国際関係を模索するのではと思います。

 近い将来アメリカの株式市場がバブル崩壊しない保証もありません。もしも1929年の大暴落のような現象が起きたら、その当時に匹敵する世界恐慌に発展する可能性は否定できません。経済の崩壊と地球温暖化により食糧不足が重なれば、世界が紛争に巻き込まれる可能性もあり、混とんとした政治状況になることも考えられます。

 中国が米国と対立しつつも中国は、一帯一路政策(陸と海のシルクロード)の下で、関係性強化している国も増えており、それぞれのグループによる対立に発展する可能性もあります。その中で重要性を持ち始めているのは新興国と言われる国の成長です。特にインドは世界最大の人口を抱える国になりました。インド経済は、内需や海外投資も拡大しており、中国に替わる新たなけん引役になり始めています。モディ首相も3選を実現して安定政権になっています。ただ、失業問題もくすぶっており、カースト制による階級対立も激しく多くの問題を抱えています。

 また、ASEANの経済も内需の成長を糧に成長ペースを維持しています。特にアセアンの10か国の中で、アセアン5(ファイブ)と言われるインドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムの成長力に関心が高まっています。諸問題はあるものの世界経済の低迷を避けるためにはインドやアセアンの国々の役割が増していると言えそうです。

以上