インフレ・円安時の財政政策

1, プライマリーバランスの単年度黒字化の取り下げ

 11月後半に一時日本に帰国していました。その際に書店で購入した本「日本の財政 破綻回避への5つの提言」(佐藤主光 著)を一読しました。2025年度(第46回)石橋湛山賞受賞との帯がついていました。石橋湛山とは歴代の首相で昭和31年(1956年)から昭和32年(1957年)2月までの65日間という非常に短い在位期間の首相ですが、退位の理由は不祥事ではなく病気のために退位したものです。戦前はジャーナリストとして日本の植民地政策や日独伊軍事同盟に反対するなど独特の考え方を持った人物でした。

 ところで石橋湛山のことはさておいて、今回は財政について考えてみようと思いました。私の読んだ本はやや難しいところもあり、専門家の見解でしたので解説は控えます。私なりに現在の財政論を踏まえ、歴史などを辿りながら考えてみようと思います。財政問題を考えようと思ったきっかけは、高市首相が「単年度のプライマリーバランス(PB)の黒字化」の目標を取り下げ、数年単位でバランスを評価すると述べたことから、それがどんな意味を持っているかを考えてみようと思ったのがきっかけです。

 12月に入り長期金利が18年ぶりに上昇していることがニュースになっています。長期金利の上昇は国債の買い手がつかないために金利を上げざるを得ないことがあると思いますので、財政悪化の懸念材料が表れているのではないかと思います。国民の関心事は、「台湾有事」への発言かと思いますが、私のような勉強不足のものには、単純なコメントをするような内容ではないので、財政問題を深堀しようと考えました。

 ところでプライマリーバランスという経済用語を使いましたが、この意味は国や地方自治体が借金を除いた歳入で、社会保障や公共事業などの政策経費をまかなえているかを示す指標のことを言います。要するに借金しないで公共事業や社会保障の費用が回っているかです。借金とは国債発行による収入は除いて考えるということです。歳入の基本は税収になりますから、主には税収から歳出を引いたものがプライマリーバランスということになります。プライマリーバランスが黒字の時は国債発行に頼らず税収などの収入だけで政策経費をまかなえていることになり、財政は健全とみなされます。逆に赤字の時は国債に頼らなければ政策経費が賄えない状態ということになります。

 単年度のプライマリーバランスを取り下げて数年単位で評価するということは、国債を発行して赤字を埋めざるを得ない時期があるということになります。コロナ禍、ウクライナ危機などを経て、世界インフレに至っています。それらの危機対応に財政出動を繰り返した日本は、2024年の債務残高対GDP比で先進国最悪の約240%にもなります。

 債務残高対GDP比とは、国の借金(債務残高)が経済規模(GDP)の何倍になるかを示す比率で、数値が小さければその国の財政の健全性が示されます。2023年の主要国の債務残高対GDP比は次の通りです。ドイツ62.9%、中国82.0%、英国100.4%、フランス109.7%、米国119.0%となっていますので、ダントツで日本の財政健全化が劣っていることになります。

2,財政赤字に関する経済学者の考え方

 財政赤字とは、歳出(社会保障費、公共事業など)の増加に歳入(税収)が足りていないことです。少子高齢化により社会保障費の増加や経済対策、防衛費の増額など歳出が拡大しているにもかかわらず、経済成長が鈍化しており税収が伸び悩んでいるということです。

 ところが財政赤字に関する経済学者の考え方は極端なほど異なっています。主な主張を分けると3種類の考え方があります。伝統的な考え方は財政規律を重視する考え方です。財政規律派とでも呼ぶことにします。債務残高対GDP比の安定的な引き下げを通じて、財政健全化を実現することで、社会保険制度の持続可能性を確保することを主張しています。手段としては歳出を削減しても財政赤字が解消しない場合は、国債に頼るのではなく、増税で賄うことを主張します。

 財政規律派は債務残高対GDP比の上昇は、返さなければならない債務の増加であり、将来返済できなければ財政は破綻すると考えます。財政が破綻するという意味は、国債の利払いや償還ができないこと、公務員の給与が支払えないこと、社会保障や行政サービスが大幅に低下する事態のことを指します。国債の返済原資は将来世代の税金などで調達することになるとします。

 一方、安倍政権下で活用されたのがリフレ派と言われる考え方でした。この派は株式などの資産価格、期待インフレ率の上昇や民間金融機関の融資拡大を通じてデフレからの脱却を主張します。手段としては金融政策で市場への資金供給量を増やす一方で、財政政策によって歳出を増やす考え方です。政策のコントロールがうまくいかないと過度なインフレやバブル発生のリスクはありますが、当面日本は財政破綻することはないとの考え方に基づきます。

 なぜ財政が破綻することはないと言えるのでしょうか?リフレ派の主張は。日銀は円を発行できて国内で国債を消化できるので債務不履行のリスクがないこと、インフレになると税収が増え、実質的な借金である国債の負担が減るので財政破綻は起きないとします。日本は独自の金融緩和政策ができて、家計貯蓄率も高いという基礎条件が整っており、財政破綻のリスクはほとんどないとみています。

 リフレ派よりも極端なのが、MMT(現代貨幣理論)派というグループです。完全雇用や適度なインフレを実現する中で経済の安定的な成長を実現しようとする考え方です。まずは財政出動が先で、その利益によって税収を確保したうえでお金を調整する考え方です。日銀は信用創造して貨幣を発行して、その後で税によって貨幣量を調整するという理論に基づいています。税収があるから財政出動するのではなく、信用創造した後で税を徴収し、貨幣量を調整すると考えます。自国通貨の発行権を持つ国では、通貨はいつでも発行できるので財政破綻はしないとの考えに基づいています。財政出動により景気刺激と抑制を調整する考え方です。

 自国通貨を発行できる政府は、自国通貨建で国債を発行する限り、財政破綻することはないと考えます。日銀は通貨の製造者であり、必要な資金を作り出せるため心配はいらないとします。国債は自国通貨建で発行できれば、債務不履行に陥ることはなく、市場から調達した資金で財政出動し景気を回復することができ、国債の償還は増税ではなく借款債(すでに発行された国債の償還資金を調達するための債権)の発行で行えば将来世代に負担は生じないとします。通貨とはフィクションであることを理論づけた主張と思われます。

 このような経済学者の考え方は極端に異なります。時の政権はどのような理論をもとに財政運営を進めるかによって、国の将来が変わってくることが考えられます。しかしながら、財政出動という名目でお金を市場に投入しても、財政破綻しないとの理論を認めるとしても、その結果インフレが止まらなくなり、結果的に国債という借金がチャラになるということで解決するとしたら、国民が幸せを得られることにはならないと思います。ポピュリズムに傾斜している政治状況は、耳障りのいい主張が支持される傾向にあり、限りない実験にさらされているように思います。

3,歴史上有名な財政政策 松方財政

 明治維新以降、歴史に名を留める財政政策を見ていきましょう。インフレ時のインフレ退治と通貨の暴落を避けようとした政策です。明治14年(1881年松方正義大蔵卿によって行われたデフレ政策のことを言います。

 明治政府は富国強兵、殖産興業、秩禄処分などの政策を遂行するために巨額の紙幣と国債を発行しました。また、1877年の西南戦争戦費支出のためにも紙幣を増発した結果、激しいインフレが発生しました。そのインフレを抑えるために政府支出を削減し、増税によって紙幣の流通量を減らして物価を安定させようとしました。合わせて紙幣整理方針を維持し、通貨の暴落を抑えようとしたのが松方財政です。

 松方財政の主な政策は次のような政策を行いました。明治15年(1882年)日本銀行を創設して、紙幣と兌換できる銀行券(金や銀と交換できる紙幣)を発行して近代的な通貨制度を確立しました。政府支出を削減し、酒造税、たばこ税などの増税を行いました。歳入で不換紙幣を買い取り、流通量を減らしました。財政難を乗り切るために、多くの官営工場を民間に払い下げしました。払い下げられた工場は、その後財閥に発展していきます。

 その結果、財政は安定しましたが、物価が急激に下落して「松方デフレ」と呼ばれました。特に農民が租税の納入に困窮し、所有していた耕地を処分せざるを得なくなり、小作農民に転落したと言われています。一方で困窮した農民が都市に流入して、賃金労働者として働き、産業革命を支える労働力にもなっていきました。

4,歴史上有名な財政 高橋是清の財政

 昭和恐慌の脱却を目指した高橋是清が行った政策について触れることにします。高橋が取った政策は財政出動による景気回復策です。その当時の日本は、1929年に発生した世界恐慌が日本へも波及し、昭和恐慌と言われました。米国の株価大暴落から、日本では生糸の輸出が激減しました。さらに浜口内閣が行った「金解禁」に伴う緊縮財政と実質的な円高が、日本国内を深刻なデフレが襲い、物価や株価の暴落を招き経済を悪化させたのでした。

 浜口内閣のとった政策の軌道修正を図るために、大蔵大臣であった高橋是清が取った政策を「高橋財政」と言われています。彼は総理大臣にもなっているのですが、大蔵大臣の時の評価の方が高い人物です。浜口内閣の時とった「金解禁」を転換して、金輸出再禁止を取りました。金本位制を停止して管理通貨制に移行させ、低金利政策と国債発行による財政支出拡大という積極的財政を推進しました。これによりデフレ脱却に成功しました。

 高橋是清が行った財政政策は次の通りです。金本位制から離脱し、管理通貨制度に移行したことで、日本の通貨価値を低く保つことが可能になりました。それにより円安になり、日本の輸出が急増しました。綿織物の輸出は世界一になり、恐慌からの脱出に成功しました。低金利政策により企業活動を活発化させました。企業利益が回復し、輸出の増大、株価の上昇を招きました。また、国債を発行し、その資金を財政支出に充てることで、国内経済を刺激し、生産拡大の効果をもたらしました。現政権が取っている政策に近いですが、恐慌時と平時で同じような対応が良いかは別問題です。

 積極財政を続ければインフレが過熱する可能性があります。積極財政が軍事費の拡大を招くことになりましたが、高橋はこれには反対の立場を示したことで、軍部との対立が深まった結果、1936年に起こったニ・二六事件で暗殺されてしまいました。

5,プラザ合意(1985年)後の財政政策

 私がリアルに体験して実感があるのは、1985年に行われたプラザ合意後の財政政策です。バブル経済を引き起こし、やがてバブル崩壊をもたらした財政政策でした。そのきっかけとなるのが、プラザ合意という5か国の蔵相、中央銀行総裁会議です。

 プラザ合意は1985年9月ニューヨークのプラザホテルで、日本、米国、西ドイツ、フランス、イギリスの5か国の蔵相と中央銀行総裁が、双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)に苦しむ米国を救済するため話し合いが行われました。目的はドル高を是正して、各国が協調してドル安・日本円や独マルク高に誘導することでした。その当時日本と西ドイツは世界経済をけん引する力を持っていました。そのプラザ合意が成立した結果、1ドル=240円程度から年末には200円程度に上昇し、翌年以降には1ドル150円程度に円高が進行しました。

 急激な円高が進行し、日本の輸出産業には大きな影響を与えました。貿易による巨大な経常黒字が国際的な摩擦を引き起こしているとして、内需を拡大する経済政策の転換がはかられました。「前川レポート」で構造改革(内需拡大政策)を進めるための改革が提言されました。その当時政府は財政再建を優先していましたが、その方向性を転換して、円安不況を乗り切るために内需拡大のために財政出動と金融緩和(低金利政策)を併行して進めました。政府は公共事業を拡大し、民間活力を引き出すことに注力して大型開発などを認めました。地上げなど横行した1985年から1989年頃の日本の風景でした。

 過剰な金融緩和による流動性の拡大が、株式や不動産投資に流れ込むなど、国民を巻き込んだ財テクブームが過熱しました。財テクブームというバブル発生が、その後のバブル崩壊を引き起こすことになりました。このプラザ合意は現在においても為替政策や国際協調の歴史的転換点と言われ、その後の日本の財政政策が、「失われた30年」に向かうあだ花のバブル景気を生むことになりました。

6、近年財政破綻あるいは近い状態に陥った国

 経済学者によってさまざまな主張がされる中で、近年財政破綻やそれに近い状態に陥った国があります。日本より経済規模の小さな国ですが、何が要因でそのような状態になったかを見ておこうと思います。まずはアルゼンチンを取り上げます。アルゼンチンは財政破綻と言える状態に陥りました。慢性的な財政赤字、対外債務の増大、ハイパーインフレとアルゼンチン通貨のペソ安という悪循環が破綻の原因です。それに向かわせたのが経済政策と言われています。その経済政策はポピュリズム的と言われており、過度な保護主義、物価統制、バラマキ政策という一時的な人気取り政策を行いました。

 構造的な経済問題(対外競争力の低下、産業基盤の偏り)が解決されないまま、1990年代後半の経済変動(アジア通貨危機、ロシア危機)によってさらに資金調達が困難になりました。2001年大規模なデフォルト(債務不履行)が発生しましたのは、次の政策をとったことが原因です。資金繰りに行き詰った政府が、国民の預金を国債に転換する「預金封鎖」を実施しました。国民の預金を政府が受け取り、代わりに国債を発行したやり方です。この結果経済がマヒし、大規模な暴動が発生し大統領も辞任し、デフォルトを宣言することになりました。

 次に財政危機が慢性化しているトルコを見てみましょう。この国は高インフレとトルコリラ安が慢性化しています。これにより、国民生活は圧迫され経済を不安定にしています。特にエルドアン大統領はインフレが加速する中でも低金利政策をとるなど、非伝統的な手法を取っています。インフレが進行したときは通常は金利を上げて貨幣供給量を調整します。それをしないとインフレが加速します。リラ安とインフレはこの低金利政策がもたらしたものと言えるでしょう。ようやく2023年は半ば以降、金融引き締めと財政緊縮への転換を進めるようになったことから、やや改善傾向にはありますが将来的なリスクは解消されるには至っていません。

 このように経済状況が悪い中で大衆迎合的な財政政策をとることがさらなる危機を招くことがあります。また、円安、高インフレ時の低金利はさらなる円安と高インフレを招く恐れがあります。自国通貨を発行できる政府は、自国通貨建で国債を発行する限り、財政破綻することはないという経済理論はあります。ただし、通貨(貨幣)というのは虚構であるとされていますが、信じる人がいるからそれが通用するのです。通貨の価値を人々が信じなくなると何が起こるかは想像できるでしょう。

 グローバル経済は一国の都合だけでは決められません。日本が貨幣を刷りすぎてお金の価値が下がっていると思われれば、水とは反対にお金は金利の高いところに流れます。投資家は金利の高い国の通貨を買うようになります。国際関係を見据えてどのように調整を図っていくかの判断がなく、国民に人気のある政策をとってしまうと世界中から見限られることがあるかもしれません。

 松方財政の時期は積極財政をしすぎてインフレが加速したときのデフレ化政策でした。国民にとっては痛みの伴う改革だったと思います。農民は小作人に転落し、あるいは工場労働者になりました。その結果、日本は産業革命に至り、構造改革ができた側面があります。

 高橋財政は恐慌時、積極財政により経済の回復を図る政策でした。経済回復が図られましたが、高橋が反対したにもかかわらず軍事費も膨張しました。その後の日中事変や第2次世界大戦につながりました。プラザ合意後の政策は円高不況を乗り切るための積極財政がバブルを生みました。失われた30年と言われるデフレ経済の中では、常時積極財政政策がとられたように思います。ただ、消費税など増税政策も取られたことは、積極財政派と緊縮財政派のバランスをとっていたからと思います。

 現在は逆に円安とインフレの経済状況です。もしかしたら松方財政のきっかけとなった経済状況に近いかもしれません。常時の積極財政が何をもたらすかはよく考えてみる必要があると思います。円安傾向が常態化しています。それが物価高ももたらしています。常態化した財政出動が何をもたらすかは、改めて考える時が来ていると思います。

以上