静かに進む日本と日本企業の変化  ~夜明け前の日本~

  1. 日本帰国の際に受けた相談

 先日6月5日から16日まで日本に帰国しておりました。2か所でセミナーの依頼をいただいたこともあり、セミナー開催のない時に企業訪問などをしておりました。

 日本に滞在していた期間も多かったので、今回は日本に滞在して感じたことや日本の産業に関する私見を述べてみることにしました。企業訪問の最初の依頼をいただいたのは、以前一緒に仕事をした仲間から、20代のサラリーマンが悩んでいるので相談に乗ってほしいとのお話でした。

 お会いすると、まだ入社数年の若者ですが、上司から求められる仕事の進め方に適応障害が発生し、会社を休職しているとのことでした。話を聞いていくと、彼自身が正しいと思ったことではなく、上司の指示を何とかこなそうとすることで心を病んでしまったようです。休職したことで少し心にゆとりが持てるようになったようですが、今後どうしたらいいかを真剣に考えているようでした。私から見ても今の職場に復帰することは、病気の再発が心配になりました。そのため、彼自身の将来像を設計して、それに合う仕事が何かを考えてみたほうがいいのではと伝えました。

 ところで日本は少子高齢化において先進国ともいえる国です。少子高齢化により、日本は衰退に向かうのではとネガティブに考える人が多いのが現実です。しかし、個人個人の生き方を考えるとむしろチャンスと言えかもしれません。その理由は、働き手が不足するということは、労働者側がやりたい仕事を選べるということです。転職へのハードルが下がり、自分の才能を発揮できる職場を選べることが可能になります。与えられた仕事が退屈あるいは社会性がないと感じられれば、転職という選択肢があるのです。

 高齢者にとっても同様のことが言えます。今までの日本社会では社会の決めた定年で今までの仕事から離れることになります。会社の雇用責任がなくなるのです。会社から見ると人はコマの一つで代替が可能なのです。会社でなく労働者から見ると、自分のやりがいは、何をしようとするかを自分で決めることによって得られるものです。

 年金の支給年齢はどんどん引き上げられていますので、収入を確保する当てがないと厳しい隠居生活になります。しかし、社会的役割を果たすことができる準備さえしておけば、働き方は選べるのです。働き手が不足するということが、労働市場の正常化させる力になるのです。優秀な人物とは自分で生き方を考えられる人のことを言うと思います。そのような人にとっては、自分の力を最大限発揮できる場所を見つけやすい社会になっていると考えられるのではないでしょうか。

 労働力が不足するということが、企業にもDX(デジタル・トランスフォーメーション)というによる省力化を進める原動力にもなるものと思います。新しい時代に備えた対応が求められて、それが社会の変化を生む原動力になるものと思います。以前の私のブログで「ブルシット・ジョブ」という著作について触れたことがあります。その著作は、働く側の人が無意味で不必要で有害とも思われる雇用形態について触れたものでした。そんな「ブルシット・ジョブ」を解消できるチャンスでもあります。社会のためではなく、上司の立場を守るだけの仕事を選ばない自由もあってもいいでしょう。

2.台湾企業TSMCの熊本進出が意味すること

 少子高齢化がネガティブ材料ばかりではないことを述べましたが、円安もネガティブに考える人が多いです。しかし、円安のポジティブな面もないとは言えません。日本に海外の有力企業が進出しているポジティブな例を見ていきましょう。TSMC(台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー)が熊本県菊陽町に進出することになり、工場建設が進んでいます。TSMCは台湾では台積公司と呼ばれている企業ですが、世界最大手の半導体製造のメーカーとして確固たる地位を築いています。円安時に決定されたことではないですが、今後円安下であればそのような日本への投資は増えると考えられます。

 かつて日本の半導体産業は50%以上の世界シェアを誇る基幹産業でした。しかし、現在は10%程度まで落ち込み、TSMCなどの企業の後塵を拝し、急激にショアを落としていきました。TSMCは新しい技術革新により、超小型の半導体を製造する技術を開発しましたが、日本企業では新しい技術が生まれず淘汰されていきました。

 そこで新たな技術開発を東京大学と協力していたTSMCは、「東京大学・TSMC先進半導体アライアンス」を立ち上げ共同研究をしていました。その中で経済産業省が中心となり、TSMCの日本進出を交渉していました。その結果、熊本県菊陽町に工場建設することになりました。総投資額1兆2900億円に上り、半導体を経済安全保障上の重要物質と位置付ける日本政府は、最大で4760億円を補助する事業になりました。

 経済安全保障上の重要物質である半導体が、台湾のTSMCが世界シェアを50%以上も確保していることはリスクともなり得ます。米中摩擦が拡大しており、中国の台湾に関する影響力を拡大した場合、現代社会で重要な役割を持っている半導体が手に入らない国々は大きな打撃になるからです。新型コロナ禍の中でも、半導体の不足で自動車製造を止めざるを得ない工場が続出した例からも明らかです。中国は半導体の分野でも高成長を見せており、米中の技術覇権競争も起こっています。その中で台湾企業を日本に誘致することは、米国の意向にもかなうものと思います。

 TSMCは日本企業では生産できない6~7ナノメートルという極小の半導体を製造できる能力があります。この高性能の半導体を生産できる技術力によって、そのほかの企業を凌駕しています。そんな企業の日本誘致は円安日本の成果でもありますが、日本が再生するための要素になることも考えられます。そのような円安下で、日本に投資する外国企業が増えることが、日本企業の再生にも役に立つことと思います。

3.日本の半導体産業が後れを取った理由

 TSMCの日本進出で日本の半導体産業が再浮上するきっかけになればよいと思います。しかし、なぜ日本の半導体産業は廃れてしまったのでしょうか。日本の半導体産業は、当時の大型コンピュータの需要を満たしていました。半導体製造にはクリーンルームが必要であり、目に見えないゴミやチリがないことが求められます。靴で入る米国の製造業とは違った概念で、クリーンルームを作ることができた日本でその産業が発展しました。成長できた日本の半導体産業ですが、凋落した原因は何なのでしょうか?

 1980年代レーガン政権下、米国は貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」と呼ばれた危機に苦しんでいました。躍進を遂げる日本に対して苦しんでいた米国は、日本に対する外国製の半導体を購買する義務が課される「日米半導体協定」を結ばせました。そのような米国の事情にも左右されました。

 また、半導体を必要とするマーケットが大型コンピュータからパソコンに変わる中で、日本はパソコンへの対応が遅れたことが原因と言われています。電子機器の小型化に伴って、日本ではデフェクト製品と言われる標準化された半導体を作ることに出遅れました。電子機器の頭脳となる最先端のロジック半導体を作る技術力で日本企業は負けてしまったのです。ロジック半導体とはいろいろな論理回路に共通して使われる個々の機能を、一つの小型パッケージにまとめた小型の集積回路のことだそうです。

 その点で小規模のロジック半導体を製造できる能力を持ったTSMCは急成長してきたのです。そのTSMCが日本に誘致されることよって、優れた技術力を取り込み海外メーカーとの連携ができれば、日本は再び成長力を取り戻すことができます。まさに、海外に出て競争するスポーツ選手のおかげで、国際大会で日本チームが活躍できるようになったことに似ています。

 半導体の主要な用途はパソコンからさらに小型のタブレットやスマホにシフトしていることから、小型化及び交換サイクルが早くなっていることにも対応しないといけなくなりました。交換サイクルが早いということは、数年もてばいい装置を開発してコストを安くすることです。その主要製品の変化に対応できる柔軟性が必要になっているのです。

4.半導体製造に必要な素材を提供する日本企業

 日本の半導体産業の凋落の原因を見てきましたが、現実に世界の総合的に半導体を取り扱う大手メーカーでは、日本企業はベスト10にも入っていません。2023年売り上げでは米国のインテルが1位、2位に急上昇したのが米国のエヌヴィディア(NVIDIA)、3位は韓国のサムソン電子です。

 ところが、その製造を支える素材に目を転じると、日本企業の存在がないと進みません。半導体チップの母材になるのが、シリコンウェーハという素材です。シリコンウェーハは、私たちの暮らしを豊かにするあらゆる電子製品に搭載されている半導体の製造に欠かせない材料です。シリコンウェーハは、日常生活で目にすることはありませんが、表面を鏡面に磨き上げ、世界中のあらゆる物質の中で最も高い平坦度を誇り、微妙な凹凸や微粒子を限界まで排除した超平坦・超清浄な円板で、半導体の基盤材料です。最先端の半導体には、高度な技術によって製造された最高品質のシリコンウェーハが必要です。

 その素材を生産し世界シェアの60%弱を担っているのが、信越化学工業とSUMCOという日本企業です。世界1位のシェアが信越化学工業で31.0%、第2位がSUMCOで22.8%となっています。第3位が台湾のGlobal Wafersde15.7%になります。信越化学工業は、1926年に設立され東京都千代田区に本社がある日本の伝統的な化学メーカーです。SUMCOは東京都港区に本社があり、もとは住友金属工業の一事業部と三菱マテリアルの子会社が合併してできた会社です。その企業の製造する素材が世界の半導体製造事業を支えているのです。

 このような分野で日本企業が上位に君臨できているかの理由を、SUMCO会長兼CEOの橋本氏は次のように述べています。「ウェーハを安定供給できるのは、日本企業としてもムラ社会的なメンタリティーがあるから。米国や中国にはなかなかない。協調して和気あいあいとモノづくりをしないといけないが、世界で日本人に一番向いている仕事」と話しています。

 ウェーハの生産には工程が多岐にわたり、どこかに欠陥があれば出荷できない製品ですので、緻密な協力体制が必要なのです。高度なすり合わせを要する素材や機械では、まだまだ日本企業が外国企業に勝っていることも多いようです。その点でいえば、米国流のステークホルダー第一のような考え方は、このような仕事には向いていないのかもしれません。ムラ社会のような集団が役に立つ分野もあるようです。一概に日本が衰退していることを嘆かない方がいいかもしれません。

5.日本の変化の「遅さ」は悪いことか?

 伝統的企業が衰退する中で、苦しんでいる日本企業も多いのですが、一方で巻き返している企業も存在します。「日本製鉄の転生」という著作が売れているようです。伝統的企業である鉄鋼大手企業が、再生している要因が書かれています。伝統的産業であっても、時代に合わせた変化ができれば、再生できることを示しています。

 日本は第二次世界大戦後、欧米から生産工程や製造について学び、それを取り入れたり改善したりすることに長けていました。日本の高度成長期を経て、成長した日本企業が米国にも進出しました。ソニーや松下電器(現パナソニック)などです。米国に進出すると勢いは日本企業にあり、RCA(Radio Corporation of America)などの米国企業が凋落していきました。その当時、IBMでさえ、PC製造事業を売却する判断をしたのです。

 現在の米国企業は以前のようなハードウェアを作る企業は少なくなりました。1990年以降に設立されたテック系企業が、米国躍進の中心になっているのです。一時期代表的な産業として君臨しても、新興国や新興企業が成長し、新しい技術力を持つことで旧来の国や企業からシェアを奪うことは歴史の必然ともいえるでしょう。今の日本は逆に新興国の技術力を学び、新しい技術を開発できる力を身につけられれば、再浮上の可能性はあると思います。

 日本はほかの国に比べると変革に時間がかかる国です。日本では社会の安定性が重視され、失業者を出す施策は受け入れられなかったからでしょう。企業にとって大事なのは、社会を混乱させないことでした。そのため慎重な改革を求められました。ただ時間はかかりましたが、変革の遅さが必ずしも悪というわけではありません。時間を掛けながらも、労働者も変化していくのです。そのような安定性を大切にする思想が、日本企業の伝統の中に生きています。

 日本では経営哲学として、「三方良し」という考え方が広く普及しています。商売においては、売り手と買い手が満足することは当然の上で、社会に貢献できてこそ良い商売と言えるとの考え方です。「売り手良し」、「買い手良し」、「世間良し」が近江商人の哲学として広く伝わっています。近江商人とは近江の国(現在の滋賀県)に本宅を置き、他国へ行商に歩いた商人の総称です。それが伝統的に日本企業の経営哲学にも生きています。自らの利益のみを追求するだけでなく、社会の幸せをセットに考える日本の経営理念は守られるべきものと言えるでしょう。

 日本の企業は食うか食われるかの激しい競争ではなく、ゆっくり変化することで社会を安定させてきたと考えられるかもしれません。一方で米国では派手な新興企業が華々しく活躍しています。その反面で、多くの敗者も生まれています。数多くの失敗や損失も発生しており、大量の失業者も発生するなど社会的安定とは言えない実情が垣間見られます・。

 日本の変化の遅さは、社会の安定性と引き換えの代償と考えたら、必ずしも悪いことではなく、日本流の伝統的なやり方ともいえるかもしれません。日本の社会の変化など見てきましたが、安定した社会の変化を進めることが、日本の特徴であるとしたら、外国企業に学びながらも、ゆっくりと社会を変えていく方向性が日本には合っていると考えてもよさそうです。

以上