人口減少と国土の荒廃から守る田舎生活の魅力を考える

  1. 消滅可能性自治体の衝撃

 私の中学生時代の同級生でサッカー部の同級生だった植原一郎君が、故郷で教育長を務めています。彼から依頼を受けて、9月に長野県木曽郡上松町で、「海外で暮らして分かる故郷の良さ」という講演をすることになりました。

 私は50歳の時にベトナムに渡り、現在までベトナムで中小企業の経営に携わっていますが、故郷を遠く離れていると良さを感じることはあります。しかし、実際に故郷は人口減少が加速し、諸問題を多数抱えていることも事実です。折角そのような機会をいただきましたので、今回のブログの原稿を作るにあたり、故郷のセミナーでも使えるテーマをまとめてみました。

 まずは最初のテーマとするのは、2024年4月に人口戦略会議が消滅可能性自治体のマップを発表したことです。それは衝撃の内容で、全国で現在1729の自治体が存在しているのですが、そのうちの744自治体が消滅可能性自治体として発表されたのです。民間の有識者でつくる「人口戦略会議」とは、国立社会保障・人口問題研究所が2023年12月に公表した2050年までの地域別将来推計人口に基づき分析を進めました。全国1729市区町村について、子どもを産む中心的な年齢である20~39歳の女性人口の増減に着目して見積もられました。

 その他分類されたのは、自立持続可能自治体が65自治体、ブラックホール型自治体が25自治体、どこにも分類されない(ある面で普通の)自治体が895自治体と発表されました。ブラックホール自治体とは他地域からの流入は多いが、出生率が低い自治体のことを指します。特に出生率が低い東京都内の16区などが該当しています。日本の人口減少を防ぐ構造にはなっていないのがブラックホール型自治体です。ほかの自治体から移動した若年人口を加えているだけで、日本の人口増加には何も寄与していない自治体ということになります。

 消滅可能性自治体とはどのように定義されているのでしょうか。出産する年代の女性の人口が減ると、子どもや若い人が減っていき、将来的には住む人がいなくなるのではないかとの考えを基本に、20~39歳女性人口が2020年から2050年までの50%以上減る可能性のある自治体と定義されています。消滅しないまでも大幅に人口減少する自治体です。

 今回の報告書では、今まで行われていた対策では、移住の促進など人口流入の是正に対策の重点が置かれた結果、近隣自治体間での若年人口の奪い合いになっており、人口減少基調を変える効果は表れていないと報告されています。そのため出生率の向上に結び付いた対策を充実させるべきだと提言しています。

2,カロリーベース食料自給率38%の現実

 食料自給率という言葉があります。食料の国内消費に対する国内生産の割合を示した数値です。年によっても異なりますが、日本のカロリーベースの食料自給率は38%、生産額ベースでは63%と農林水産省のホームページでは出ていました。年によって多少の変化があると思いますが、今回はこの数字で統一します。今回はカロリーベースの食料自給率を中心に考えます。なぜカロリーベースの食料自給率を重視するかというと、生きていくために必要なエネルギー量を換算した数字であるからです。日本人が必要なカロリーをどの程度国内産で賄えているかが分かるのです。もう一方の生産額ベースの食料自給率とは経済的価値として金額に換算する数値です。これは国内の農業経営上の数値と言えるでしょう。

 言い換えると日本に住む人々の生きるためのカロリーの62%を海外に依存していることになります。そのため円安になると食料の中で輸入品の価格はどんどん高くなるのは当然と言えるでしょう。カロリーベースの場合は穀物や食肉などの品目のウエイトが高くなっていると思います。生産額ベースの場合は野菜や果物などカロリーは高くなくても、単価が高い品目のウエイトが大きくなる特徴があります。

 世界では食料自給率が100%以上ある国があります。100%以上という意味は、国内消費を上回る国内生産があるということで、その超えた部分は輸出にあてられることでしょう。例えばカナダはカロリーベース233%、生産額ベース118%、オーストラリアはカロリーベース169%、生産額ベース126%などです。米国もフランスもカロリーベースでは100%を超えています。

 食肉などは国内生産もある程度あるのですが、食料自給率の計算においては、飼料が輸入飼料か、国産飼料かによって計算が変わります。その結果、カロリーベースの食料自給率では牛肉が10%、豚肉が6%、鶏肉が8%という数字になってしまいます。小麦や大豆なども多くの日本人の食材になっており、国内生産では大幅に足りませんので輸入に頼っていることになります。

 昨今の異常気象や地球温暖化の中で不作になるケースも増えていますので、カロリーベースの食料自給率が38%というのは、農作物の不作や飢饉などが発生した場合、危険な水準と言えるでしょう。食料自給率の向上は国を守るための重要な国策であるともいえます。

3,令和の米騒動

 先月8月緊急の要件があり日本に帰国しました。ベトナムに戻る直前に息子夫婦と買い物をしましたが、お米を売っている店がないというので、横浜市のスーパーをあちこち訪ねてみました。確かに袋に入ったお米の商品は品切れで、ごはんパック以外には買うことができませんでした。お米が品薄とはニュースで聞いていましたが、これほどまでに深刻であることを知ることになりました。

 お米が品薄になっている考えられる原因の一つが、昨年2023年の各地で起きた大雨や高温被害によるお米の不作と品質不良が原因のようです。昨年は全国各地で総雨量1000ミリを超える大雨が発生し、台風や線状降水帯による大雨で農作物に甚大な被害をもたらしました。最近の猛暑や海水温度の上昇など、大雨の大災害の要因が拡大していますし、農作物への気象の影響も厳しくなっています。

 お米が品薄になっている原因の二つ目がインバウンド(訪日外国人観光客)によるお米の需要の増加です。新型コロナによる行動自粛がなくなり、世界的に旅行機運が高まっています。その中で観光地が魅力的で、食事がおいしく、円安傾向でモノが安い日本は大人気です。特に日本食は健康志向が高い人に関心があります。、合わせて品質がいいと有名で、多くの外国人が和食レストランに押しかけています。

 そんな要因でお米の品薄が続いていますが、食料危機に備えた政府の備蓄米はあるはずですが、その放出には慎重です。背景には備蓄米を放出すると市場の供給量が増えるので、米価が下がることを危惧しているようです。農林水産省は米価を上昇させて、農家所得を維持させるために備蓄米の放出には慎重だというのです。確かに農家が高齢化して、農業の後継者がいなくなっている中で、農家を守ることは重要だとは思いますが、米価を下げないための政策だけでは根本的な解決ができないでしょう。備蓄米の放出もできないほど、農家の実情は深刻さを増していると考えることもできます。

 8月私の故郷に帰りましたが、空き家になった家もたくさんあり、また、耕作が放置されている田んぼや畑も増えているようです。私の実家も父親が亡くなったことで、住む人がいなくなりました。田舎にはそのような空き家がたくさんあります。今回の米騒動と人口減少社会の現実は、将来の日本の危機を暗示しています。日本人の食をどう守っていくかは人口減少をどのように抑制するかにも連動した課題になっていることでしょう。

4,日本を救う里山の再生

 空き家や空き地が増えていることを触れましたが、それが拡大するともっと危惧される荒廃の危険があります。日本には里山という言葉があります。里山とは、人里に隣接する森や山のことを言いますが、燃料となる薪や炭、畑に肥料として入れる落葉、農具や生活用具を調達するための木材や竹の供給、山菜やきのこなどの採集など、人々が里山を活用し、暮らしと密接に結びついていました。

 ところが1950~60年にかけての燃料革命で、石炭や石油が使われるようになったこと、ライフスタイルが変化したことなどから、里山は人の手が入らず荒廃していく森と山に変っていきました。人の手が入り循環していた里山の自然が、循環しない荒れた里山に変ってしまいました。血液の循環に支障が出てきている人体と同様です。

 つる植物の繁茂が樹木の生長の妨げになったり、萌芽更新ができず暗い森になったり、繁殖力の強い笹や竹が繁茂して、ほかの植物が駆逐されることになったりしています。従来はつる植物は、鎌で切り取ってモノを縛るために使われていました。また竹も人が使う道具などに使われていました。笹は刈り取ることで重要な天然堆肥にもなりましたが、それをする人も少なくなりました。特に広葉樹が駆逐され、常緑樹が増えることで、葉が落ちて堆肥になることもなくなり、その土地自体も痩せてしまいました。また、日が差し込まない暗い森になり、植物が育たなくなっています。

 それらの変化は地方の過疎化や高齢化の進展に伴い、また生活様式の変化から里山が顧みられなくなっています。それによって従来の動植物の生態域が消滅し、国土保全機能も低下して、ますます自然災害が増える傾向になっています。

 地元にいない人間が言うのは無責任であることは承知しています。しかし、人々が里山を資源として利用していくことも大事で日本人はそれを伝統として生きてきました。大事な地域の文化の継承ができないことは残念に思います。里山があることで災害の少ない安全な暮らしをもたらすこともできます。特に今年発生した能登地震の影響で、以前は朱鷺も生息していた自然や文化に恵まれた能登半島の里山が、廃れてしまうことを危惧しています。どんどん変わっていく日本の国土の中で、里山の持つ優しさを失っていくのなら、そこに芽生えた文化も消滅してしまいます。その点で、里山を守る作業は、伝統的な文化を守る作業でもあると思います。

 いずれにせよ人口減少が国土の荒廃にもつながる大事な問題です。日本社会にとって出生率を上げるための対応は待ったなしになっていると言えるでしょう。人口減少の課題と文化を守る課題は表裏一体のものと言えるでしょう。

5,外国人も感じる田舎の魅力

 過疎化と高齢化の故郷でのセミナーの資料を作るにあたり、我が故郷の魅力とは何かを考えてみました。故郷である長野県木曽郡は山の中です。私が高校生だった時、ヤマハポピュラーコンテストで入賞した「木曽は山の中」という葛城ユキさんの楽曲がヒットしたこともありました。「木曽のひのき」ブランド化もしていますし、2020年木曽駒ケ岳など木曽山脈の一帯などが「中央アルプス国定公園」に昇格もしました。木曽節など伝統文化も残っています。信仰の山、御岳山も有名です。それらは地域の魅力で間違いがないのですが、訪日外国人観光客が増える中で、外国人が何を見て感動するかがヒントになります。最近の報道などを見ていると外国人は豊かなカントリーライフにあこがれているようです。岐阜県白川郷や徳島県祖谷渓谷での宿泊や自炊なども人気のようです。

 欧米人は田んぼを見たことがほとんどないので、田んぼの風景に魅力を感じるようです。東南アジアの人たちは雪を見たことがないので、雪景色に感動をするようです。外国人は田舎の風景を美しいと感じる傾向が強く、自然の中で風を切って進むサイクリングにも人気があります。

 2024年6月に発表された路線価で全国トップだったのは、長野県北安曇郡白馬村北城(ホクジョー)別荘地でした。実に前年に比べて32.1%も上昇したようです。北海道のニセコに次いで、外国人が投資をするようになったのでしょう。また、廃墟になった古民家を購入して改装し、住まいに利用するのも外国人が増えているようです。

 外国人も日本人と同じ人間です。自然と共生してゆったりとした時間を過ごせる田舎生活は普遍的に魅力があるのでしょう。効率化や大量消費が求められた生活から、個人の嗜好を重視できるゆったりとしたカントリー生活が人気になる可能性はあるのではと思います。高度に進んだIT技術は、田舎のどこであっても仕事ができる環境は時代が与えてくれた力です。

6,長野県は全国トップクラスの長寿県

 そんな山間部も多く、過疎の地域が多い長野県ですが、誇れることがあります。それは長野県に居住する男性も女性も長寿では全国トップクラスだということです。日本でトップクラスということは世界でもトップクラスということになります。それでありならが、県民一人当たりの医療費は下から16番目、後期高齢者の一人当たりの医療費は下から8番目になります。健康なお年寄りが多いということですね。特質できるのが2023年発表された要介護をもとにした健康寿命は、男性平均81.4歳、女性平均85.1歳まで介護なしで生きていけることです。両方とも全国一位です。通常健康年齢は平均寿命より10年近く短いのが一般的です。

 私が大学時代にお付き合いがあった千葉大学教授の近藤克則氏の著書「長生きできる町」(角川新書)では、転ばない人が多い、鬱が少ない、認知症が少ない町が長寿の傾向があるとされています。人との交流が盛んであったり、体を動かす機会が多かったり、自然に溶け込む環境がある町が、長生きの傾向があるようです。

 実は50年以上前の長野県は決して長寿県ではありませんでした。その理由は、野沢菜などの漬物や信州みそなど寒い気候が原因もあり、塩分の多い食事が多かったはずです。そのせいで脳卒中などの病気で亡くなる人も多く長寿県ではありませんでした。それを何とか克服しようと始まったのが、保健補導員を活用した住民の健康指導や啓蒙活動を展開したことです。食事の指導やウォーキングの指導などを住民と一緒に丁寧に行っていた成果が、今日長寿県と言われるまでになりました。特に長野県が長寿の要因は以下のことがあげられています。

・高齢者の就業率が高く、生きがいを持って生活している人が多い

・野菜の摂取量が多い

・健康ボランティア(保健補導員)の健康づくりの取り組みが活発

・専門職による地域の保健医療活動が活発

 そんな長野県で人生の大半を過ごし、先月亡くなった私の父ですが、96歳まで認知症にもならず天寿を全うしました。父にとっては、生涯にわたりほぼ大部分を長野県木曽郡の地元で生活できたことは幸せだったことでしょう。子どもの立場からしても、ほとんど病気にならず、充実した人生を全うすることができたことと、この故郷で生活できたことは関連していると思われます。その意味でこの故郷には感謝しています。多くの方にとっても、社会から必要とされて、やるべき役割があるそんな生涯を全うできることが生きることの幸せと言えるでしょう。

以上