現代社会は普通でない人(変人)によって動かされている
- 唐突な韓国非常戒厳令の宣布
2024年12月3日夜、韓国で宣布された「非常戒厳令」ですが、韓国では大きな混乱をもたらしているようです。6時間で解除されたものの韓国社会に対立と不信を与えることになりました。ここのところ私は、日本から来訪する方がやや増えてきていることもあり、夜お付き合いすることも多くなり、ほとんどニュースなどを目にすることも少なかったので、後付けで知ることになったニュースですが、あまりに唐突な事件だったので背景が気になりました。この話題から今月のブログをスタートさせました。
この要因はやはりある種の権力闘争の表れであることが感じられます。この背景には今年4月の韓国国会の選挙で野党が圧勝して、与党の政策が何も通らなくなっていたことがあるようです。現在の政権与党の「国民の力」と野党の「共に民主党」の対立が根深いことと、国会の多数派が「共に民主党」などが多数派であることから、政策課題の達成に与党は苦労していました。同時に大統領夫人のスキャンダルや疑惑が取りざたされており、その対処にも追われていたようです。
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は、2022年の大統領選で勝利し大統領に就任しています。しかし、支持率も低迷していることから、野党の批判や抵抗にさらされて何もできない四面楚歌の状態に陥っていました。そのストレスが今回の判断に結びついたと思われます。北朝鮮の脅威、「反国家勢力」から自由な憲法を守るためというのが戒厳令を発布した理由ですが、国民の強烈な反発もあり、完全に失敗に終わりました。
この戒厳令の直近では野党側は検察上層部の弾劾訴追案を国会に提出を繰り返したり、政府の予算案を否決したりする状態だったようです。追いつめられた尹大統領が極端な手段に打って出たのが今回の戒厳令です。上からのクーデターとして見られており、尹大統領に対する批判が強くなっています。韓国の近年の政権を見ていると与野党の政権交代が絶えず起こっていますが、韓国の社会は与野党の対立が激しく、歴代の大統領が退任後に逮捕、投獄、あるいは自殺する人も出るなど悲惨な例がたくさんあります。
ところで戒厳令とは何なのでしょうか?日本の現憲法下ではこのような法令はありませんが、戦争・紛争や内乱、大災害などの非常事態に際して、通常の立法・司法などの全部あるいは一部を一定期間停止して、それらの機能を政府(行政)や軍部に集中させる法令です。戒厳令が発令されると、国民の権利は大きく制限されて、外出や集会などができなくなりますので、政権の独裁に道を開くことにもなり得ます。
日本では今までに3回戒厳令が出されたことがありました。1905年8月6日から11月29日まで戒厳令が発布されましたが、それは日比谷焼き討ち事件によるものです。この事件は、日露戦争に勝利したのちの講和条約であるポーツマス条約に反対した群衆による暴動でした。2回目は1923年9月2日から11月15日まで、関東大震災によるものでした。関東大震災の最中に、「朝鮮人が放火した」という流布が伝搬したことから朝鮮人に対する虐殺が起こりました。第三回目は1926年2月27日から7月16日日までで、二・二六事件によるものでした。陸軍の青年将校たちが国家改造を求めたクーデター事件でした。この事件では高橋是清大蔵大臣や天皇側近の斎藤実内大臣が殺害されました。日本では歴史的な事件や災害時に出された経験はありますが、そのような類の戒厳令が、韓国では安易に出されたことに混乱は拡大しています。
2,兵庫県斎藤元彦知事が再選を果たした不思議な現象
一方で日本では不思議な選挙結果がありました。それは「パワハラ」、「おねだり」などの疑惑を連日ワイドショーで取り上げられて、批判が渦巻いていた兵庫県斎藤知事が当選した選挙のことです。連日ワイドショーに取り上げられていたようなので、日本に住んでいる方の方が詳しいことでしょう。批判にさらされていた斎藤知事は、県議会の不信任決議を受けて、自ら県知事を失職することにし、県知事の再選挙が行われることになりました。ワイドショーを見ることもない私ですが、ネットの情報を見る限りでは、連日取り上げられて大騒ぎになっていたことが分かります。
昨年12月20日、21日に兵庫県ホーチミン市経済促進会議が行われて、私は斎藤知事にも直接ホーチミン市でお会いしていました。言葉を交わしたことがありました。私が参加できたのは、親会社が神戸市の企業との理由で、親会社の社長の代理で私がこの会議に出席しました。会議の翌日はベトナムの大学や企業訪問もご一緒しましたが、斎藤知事への批判が表面化する前の話です。
斎藤知事へのバッシングは、県知事に対して、パワハラを内部告発した件で、その後内部告発した局長が処分を受けて、その後自殺したことから事件は大きく取り上げられることになりました。その内部告発が「公益通報」にあたるのかどうかも議論の対象になっていたようです。その事件の取り上げられ方は、世間が斉藤知事をバッシングする方向で進んでいたと思われますが、そのような雰囲気の中で、斎藤知事が再選を果たした不思議について触れたいと思います。
この知事選に出馬したのは、有力候補以外に、元「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏の出馬がありました。立花氏は自らの当選目的はなく、連日バッシングしていたマスコミの主張を否定することが主目的でした。「斎藤氏はパワハラをしていない」、「元局長は自身の不祥事が発覚するのを恐れて自殺した」、「テレビで報じられていることは虚偽だ」として、改革を推し進めようとする斉藤知事に対して、旧守派が嫌がらせをしていたと主張したのです。現実に兵庫県政は長年特定の人が務めていました。斉藤知事の前の知事である井戸県知事は5期20年知事を務め、後継として副知事を立てて推薦していましたが、その副知事を破って斎藤知事が当選していたのです。兵庫県知事選は歴代、副知事だった方を後継にして県政が続いていたと言います。その意味することは、前任者の意向を受け継ぐ形で県政が継承されていたということです。
立花氏はそのことを全面的に主張して、斎藤知事が天下りの廃止や県庁の建替えの見直しなど、旧来のやり方を変えようと努力していたと主張しました。そのことをよく思わない勢力が嫌がらせをしていた構図であることをユーチューブで発信していました。このことから兵庫県知事選はSNS劇場選挙ともいわれていたようです。それにより選挙戦後半からは斎藤氏の街頭演説には多数の人が集まるようになり、激励の声も多くなっていったようです。そして斎藤氏は再選しました。
私は斎藤知事がパワハラやおねだりをしていたかどうか、旧守派の人たちが、斎藤知事の改革を反対するために嫌がらせをしていたかを判断する立場にはありません。しかし、このようなSNS劇場型の選挙には、世論の空気を換える力があることを感じます。このような現象はこれからもあり得るでしょう。確かに現在は、新聞購読者も減少し、テレビを見る人も少なくなり、共感しやすいSNSやユーチューブを見る人が増えています。大手メディアによる「オールドメディア」から、SNSなどの「ニューメディア」が支持されるようになっている観があります。ただ、SNSはその人が好きだと思われる情報に誘導する力があります。好きなものと嫌いなものを分ける力があります。ある意味で一方的な考えに染まっていきやすいツールです。
「オールドメディア」も間違った情報を発信することもありますが、「ニューメディア」はチェックされることもなく、自分の言いたいことを発信できるツールです。それをうまく使った人の主張が広く拡散している最近の風潮には危険を感じないわけでもありません。貧富の格差の二極化とともに、思想の二極化も顕著になっているように思います。
3,米大統領選トランプ氏圧勝はSNS戦略と米国の二極化が要因
一方で米国大統領選に勝利したトランプ氏は、SNSを選挙に利用しています。特にイーロン・マスク氏が経営するX(旧ツイッター)を駆使して、自己の考え方を発信しています。トランプ氏は大統領選を支援したマスク氏を政権幹部として登用することを表明していますが、彼が担当すると表明されたのは、「政府効率化省」という予算配分に権限に与える部署を担当することでした。
トランプ氏は反EV(電気自動車)を政策に掲げており、マスク氏が経営するEV車を販売しているテスラ社とは利益相反する考え方の持ち主にも見えます。しかし、今回の大統領選ではお互いを指示して協力をしました。マスク氏はスペースXという宇宙衛星産業やSNSであるXも経営しており、次世代の通信網を支配すれば、より一層の成功を手にできる、そのためにはトランプ氏と組むのが有効と考えたことでしょう。マスク氏も独特の考え方を持っている人です。通信、衛星などを支配できれば、強者になることができる現在社会において、トランプ氏の思惑とマスク氏の思惑が一致した形です。マスク氏同様に米国が近年成功してきたのは、IT産業のプラットフォームを支配できる企業が育ったことによります。今まであった土台を壊して、新しい土台を再構築した人が成功しています。
今回の米国の選挙で浮かび上がってきたことは、富裕層の多い東海岸と西海岸の沿岸部分は従来からも民主党が強い州でした。しかし、あまり豊かではない米国の中心部、内陸部が圧倒的にトランプ支持の州でした。従来までは民主党支持者が多かったラテン系(ヒスパニック、スペイン語を話す人々)の男性労働者もトランプ支持に回ったとされています。貧しい人たちがトランプ氏なら何かをしてくれると期待したのです。選挙戦後半ではハリス陣営は、トランプ氏を「ファシスト」として攻撃したのですが、一般大衆はトランプ氏を「人格者」とみているわけではなく、変えることができる人(変人)と見ているので、あまり投票には効果はなかったのでしょう。
ハリス氏は選挙戦初期段階では個人の自由や中産階級を守るというメッセージを優先していました。ところが二極化が進んでいる米国では、貧しい人たちがトランプ支持に回っていったのです。最近の先進国の選挙などでは既存の政党や政権与党にいら立ちや不満が向けられるようになっていると言われます。これが野党にあたる政党に有利に作用しているとの見方もあるようです。米国人の傾向は、一般的に現状維持から、変化を求める傾向があると言います。その点で米国第一主義と移民排斥を主張するトランプ氏の方が、貧しい人たちにとって期待を集めたのでしょう。
また、マスク氏のような財界人も増税でなく、減税を謳うトランプ氏の方が自分たちにとって有利と思えたのでしょう。輸入品には関税を引き上げることを表明しているトランプ氏は、EVで成功している中国の車輸入には高い関税を掛けようともしています。ビジネスマンから大統領になったトランプ氏の基本的考え方はディール(商取引)です。物事の判断基準は損得です。米国にとって損なことはせず、儲かることをするという考え方です。前回のブログでは「台湾有事」の可能性に触れましたが、中国と台湾の紛争になった場合、台湾に武器は売るかもしれませんが、積極的に戦争に加担しないことも考えられます。そのような新しい米国政権の方向性もよく見ておく必要はあると思います。
4,普通でない人が活躍する時代
最初に登場した韓国の戒厳令に関しては、尹大統領を敵対する勢力の力に恐怖を感じた尹大統領が、自滅の手段に出てしまった側面があります。一方で斉藤兵庫県知事の再選は、今までの常識が通用しなかった結果でした。特にその空気の変化をもたらす役割を果たしたのが立花孝志氏であり、日頃の言動からも普通の人からはかけ離れた人(変人)に見えます。また、斎藤知事もワイドショーなどバッシングにも屈しなかったのは、ある面で強靭な精神力を持っているところが普通人とは違うのではとも思います。
また、トランプ氏の大統領当選もトランプ氏の人格を評価されたというよりも明確な政策を実行しそうだ、普通の人とは違うという期待感により、大統領選の圧勝ということになったものと見ています。トランプ氏の政策方向性とは、中国など海外の輸入品には関税をかける、移民を排斥するという敵を明確にする戦略です。ここまで敵を明確にできるタフな精神を持っていることも、普通の人とはかけ離れているともいえるでしょう。イーロン・マスク氏も新しい事業に次から次へと参入し、普通の人が考えない戦略を取っています。というのも宇宙スペースXの戦略は、宇宙を制することで、国家の力を超えた領域を支配することができるからです。宇宙であればそれぞれの国が領域を支配することはできません。そのやり方で世界の通信を牛耳るという戦略です。
普通の人とは違うことを発信することができる手段がSNSです。自分の思ったことを発信し、共通の価値観を持った人を繋げることができるツールです。しかしながら、悲惨な結果をもたらす「いじめ」も、このSNSの拡大による悲劇の例ともいえるでしょう。自分の仲間だけ増やして、それ以外は排除する極端さを生むのがSNSの魔力です。その点でSNSには功罪があることも事実ですし、オールドメディアのように、批判にさらされるリスクがある媒体の方が、安全性が高いともいえます。批判にさらされることで、より修正が可能になります。ところが、SNSは気に入ったものだけに選ばれやすい媒体であり、気に入った人だけで意見を共有するため検証されることもなく発信される媒体でもあります。
SNSなどニューメディアには確かにリスクはありますが、人が成功するには何が必要かを考えたときに、個性を明確にすることは大切です。日本の教育はみんな同じように考え、行動する教育が今までの主流でしたが、画一的な商品を作って経済成長した高度経済成長期には通用したかもしれませんが、今の時代には合わなくなったと言えるでしょう。海外の教育は個性を伸ばすが、日本は協調性を重視する傾向があります。
個性を明確にするという意味では、成功者の習慣として「人と逆のことをしている」ということが効果的に働く傾向があります。「人と逆のことをする」という意味は、「人と同じ」という安心に逃げ込まず、同調圧力に負けずに自分が正しいと思うことを突き詰めていくということです。私は今になって思うことは、40代前半で会社を退職したことは失敗だったと思った時期もありましたが、67歳になってもベトナムで会社経営ができるのは、あの時人と違う選択をしたからかもしれないと思うことがあります。
世間と反対のことをすれば、不安や孤独も感じることは多いですが、人と同じことをしても不安や孤独からは逃げられないでしょう。アドラー心理学の考えを土台として書かれた「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健 著)のような話になりますが、人からの承認欲求を捨てて、自己実現欲求で生きていくことが大切ということです。
世間体を気にせず、自分のやりたいことを進んでいくことが、人生を開くことになるかもしれません。私の今までの価値観から測ると、それから外れることが次々起こりました。私の価値観から外れる行動をした人達は、同調圧力に屈せず、自分なりの価値観を持ち続けているという肯定的な見方も必要と思いました。人と違ったことでも、自分が正しいと思ったことを続けることは、その人の信念を育んでいるともいえるでしょう。
以上