収奪型の経済体制と包括的民主的な経済体制

1, 今年印象に残った書籍 「国家はなぜ衰退するのか」から

 私は最近老眼も進んでいるので、電子書籍で本を購入してKindleで文字を拡大しながら読むことが多くなりました。しかし、「国家はなぜ衰退するか」は、ノーベル経済学賞受賞者の著作でもあり、日本に帰国したときに本屋で購入したものでした。小さな文字を苦労しながらも、興味深く読めたのであっという間に読破した本です。著者は2024年ノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル氏とジェームズ・A・ロビンソン氏になります。今年もいろいろな本を読みましたが、その中でも印象に残っている本の一つです。

 世界には豊かな国と貧しい国があります。貧困から脱出して発展する国がある一方で、繁栄を持続できず没落する国もあります。この本では過去300年にわたり、各国の歴史的展開から国家の繁栄と衰退は何が影響しているかを考察しています。

 第一に、人々の行動を規定して国家の繁栄・衰退を左右する要因は、制度にあるとします。その制度とは政治や経済両面から、収奪型かそれと対極にある包括的で民主的な制度かに分類されるとします。収奪型は政治権力や経済的な成果が、一部の人々に集中することで発展できないか、一時的に発展したとしても持続性はないとします。一方で広範な人々が参加できる包括的かつ民主的な制度は、政治に参加し経済的にも成果の分配に恵まれ、個人が努力できる環境にあり、技術革新により発展が継続するとします。

 第二に、これらの制度が形成される歴史的な過程を見ると、大きな出来事が発生して、その結果決定的な岐路に直面するケースが多いとします。新大陸の発見と植民地政策ではポルトガル、スペインがまずは植民地を作りました。南米各地の植民地は原住民を支配し、さらに足りない労働力として奴隷貿易によるアフリカの黒人を奴隷貿易で調達しました。

 征服者の利益のため、金銀を手に入れるために収奪的な制度が構築されたのです。その収奪的制度が地域の発展を阻害する要因になったとします。一方で、名誉革命のイギリスやフランス革命が起こったフランスでは、包括的かつ民主的な母国の制度に裏付けられた体制から、植民地支配も比較的収奪型にはならなかったとします。特に北アメリカでは、原住民や金銀が少なく、自分たちの労働によってのみ発展したので、収奪的な制度にはならず、このことが産業革命をもたらし、さらに発展する基盤を作ったとしています。

 アメリカの独立戦争そのものも、植民地が収奪的ではなかったことを物語っています。アメリカの独立戦争が起こったきっかけは、イギリスとフランスの北アメリカに関する覇権争いです。戦争に勝ったのがイギリスですが、戦費を膨大に使った結果、植民地(北アメリカ)に莫大な税を課しました。それに反発した植民地の人たちが蜂起して独立戦争に発展し、アメリカの独立が実現しました。植民地のアメリカが収奪的でなかったことを示しているように思います。

 発展する国家と衰退する国家の根底には、政治・経済体制があるとして、収奪的体制ではなく、国民が経済的、政治的な機会に広く公平に参加できる体制が望ましいとします。ある時期の局面では、包括的かつ民主的な国でも収奪的な政策が選ばれることがあります。今回はその問題を考察してみようかと思いました。

2,大航海時代以降の植民地

 収奪型の政治経済体制の代表的な仕組みは植民地でしょう。歴史的にはいろいろな植民地(属国)がありますが、大航海時代(15世紀後半以降)にポルトガルやスペインは金銀財宝や資源を求めて新大陸やアジアに進出したことで植民地は増えました。

 日本史では最初にヨーロッパの国が現れるのがポルトガルです。ポルトガル人が漂着した種子島に日本で初めて鉄砲が持ち込まれました。これを鉄砲伝来と言いますが、鉄砲のことを「種子島」と言うようになりました。1949年スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルがイエズス会の派遣する宣教師として鹿児島に上陸しました。キリスト教の布教をしましたが、ポルトガル、スペイン共にキリスト教布教などの目的は、日本を植民地にしようとの野望があったとされています。

 その後、重商主義と帝国主義の時代にイギリス、フランス、オランダが世界各地に進出して市場、資源、資本の輸出先を確保するために、軍事力と経済力によって支配地域を広げ、政治経済的に従属させる植民地を作っていきました。イギリスやフランスより早い段階で植民地を増やそうとしたのはオランダです。インドネシアはオランダの植民地になりました、また新大陸アメリカにも進出していました。現在アメリカの大都市ニューヨークは誰もが知っていますが、最初の名前はニューアムステルダムです。当初はオランダが支配していたのです。その後イギリスが奪いイギリスの植民地に変わりました。イギリスの植民地となった段階で、ニューヨークと名称が変更されたのです。都市の名前にもその当時の国の力を表しています。

 ポルトガル、スペインの後に成長したのがオランダです。徳川幕府が鎖国をして、長崎でオランダとの商取引を独占したのはオランダが力をつけていたからです。その後、徳川幕府末期に日本に開国を迫ったのは、イギリス、フランス、アメリカですが、それぞれの国の力の変化を表しています。

 支配する国(宗主国)は軍事力と経済力を基盤として、弱い国や地域を支配する仕組みが植民地です。原材料の調達、自国製品の販売市場、安価な労働力の確保が目的でした。植民地は自国での政治経済の統治がなくなり、宗主国に従属する立場になり、まさに収奪される状態になりました。このような植民地は大航海時代から、第二次世界大戦まで続きました。先進国の後進国を収奪する仕組みが植民地政策です。

 第一次大戦終結後以降、民族運動が拡大していきました。第二次世界大戦終了後には、アジアやアフリカの植民地が独立することになりました。しかし、包括的民主的な政治経済運営に移行できた独立国は少数しかありませんでした。それはどの国も一部エリートが富と権力を独占する状態が続き、国全体の経済発展を阻害していたからです。

3,奴隷制度の歴史

 収奪型政治経済体制の最大の犠牲者が奴隷と言われる人たちでしょう。奴隷制度は人類が土地に定着して農業生産を行うようになった以降から存在している制度のようです。富の蓄積ができるようになってから、権力を持った勢力が奴隷に転落した勢力から収奪してさらに力をつけていました。しかし収奪的な権力はほころびを見せることがあります。

 奴隷制度は紀元前6800年頃のメソポタミアですでに存在していたと考えられています。チグリス川、ユーフラテス川の三角地帯にあったメソポタミアは、肥沃の地で農業にうってつけの土地でした。人類が定住するようになり、生活も安定したことから、文明は進歩を遂げメソポタミア文明と呼ばれるようになりました。この文明とは人類最古の文明の一つであり、楔形文字の発明、法律の制定、都市国家の形成など、現代社会の基礎となる多くの革新をもたらしました。しかし、繁栄したメソポタミア文明も紀元前539年には滅亡することになります。滅亡の理由は豊かな土地を支配しようとする他の民族の侵攻があり、奴隷を使っていた権力に逆転が起こり、体制が不安定になったことが考えられます。

 日本では大化の改新以降に律令体制が確立し、天皇制を中心とした中央集権制度が確立した中で「奴婢(ぬひ)」という奴隷制度に似たものがありました。その後平安中期にはその身分制度は廃止されました。このように奴隷制度は世界のあちこちに存在するのですが、歴史上代表的なものが、大西洋奴隷貿易と言われるものです。大航海時代で新大陸を発見した西洋の海洋国家が植民地を増やしていた時代です。

 船による物資等の移動が行われた時代です。ヨーロッパからは武器、そしてアフリカを経由して奴隷を載せてアメリカ大陸に向かいました。アメリカ大陸からは砂糖や綿花など現地の産品を船に乗せてヨーロッパに運びました。黒人奴隷の1,000万人以上が強制連行されたと推定されています。航海時代最初の覇権国になったポルトガルやスペインの支配するブラジルや西インド諸島、その他南米に移送されたようです。当初アメリカ合衆国への流入は少なかったようですが、産業が発展するにつれて労働力が必要になり、再生産された奴隷(出産や養育によって増えていた奴隷の子孫)を確保していったようです。

 この奴隷制の中で、ポルトガルやスペインの植民地に関しては、母国の収奪型の政治体制の影響もあり、政治経済的な成長や進歩が得られなかったが、北アメリカでは支配していたイギリスやフランスが収奪的な政治経済体制から包括的民主的な体制に移行していったことが影響したと捉えています。その結果、奴隷制も変化していき、奴隷も含めた権利を認められて、社会が進歩できる要因を作っていったと見ています。そのことが北アメリカと南アメリカの発展の違いと考えられています。南アメリカ諸国では、政権が変わっても収奪型の政治経済体制は変わらない国が多くありました。包括的民主的制度に変わっていくことができた北アメリカの国は、経済発展に向かうことができたとされています。

4,日本の収奪的人事制度

 日本の問題に関しては自分なりの論考ですので、批判的にとらえる方もあるかもしれません。一部の利益を優先させる政策を進めた結果、社会にゆがみを生み、経済発展の負の要因をもたらす例として私は考えています。日本は包括的かつ民主的な国であると思いますが、時の政策で収奪型の制度が現れることもあります。それは1986年7月1日に施行された労働者派遣法ではないかと思います。当初は一部業務に限られていましたが、産業界からの要望もあり、製造業にも解禁されることになりました。この法律によって非正規労働者が増える結果になりました。

 それ以前の日本経済の発展を支えたのは、日本型の雇用と言われる制度でした。新卒一括採用、年功序列賃金、終身雇用という日本型雇用システムによって経済成長を実現してきました。産業構造の変化や新自由主義的な政策がとられるようになり、規制緩和が矢継ぎ早に行われました。労働者派遣法もその一つです。当初は正規雇用社員の雇用を脅かすものにしないために、限られた職務のみが認められましたが、徐々に職種は拡大していきました。日本の構造改革の中で非正規労働者が増加したのは規制緩和を主張する新自由主義的な改革は、労働者の収奪的な要素を持っていたことが想定できます。

 この法律施行により非正規労働者が増加しました。一度非正規労働者になると正規労働者になれる機会が著しく減ります。非正規労働者に転落すると脱出できなくなります。それが、日本の経済発展に負の要因になっていることを、後になってようやく気付くことになります。非正規労働者には勤務時間や日数や場所など働き方の柔軟な対応ができるメリットはあります。育児や学業などを両立できる利点があることは否定しませんが、デメリットの方が圧倒的です。

 非正規雇用の労働者側のデメリットは、言うまでもなく収入が不安定で低いこと、ボーナスや昇進の機会がないこと、福利厚生が限定的であり、結婚して子育てにも厳しい経済的な現実があります。そのうえキャリア形成が難しく、企業の都合で雇止めもされ易い傾向があります。逆に企業側にはメリットがあります。低賃金、ボーナス支給もなし、退職金もなしなので、人件費の抑制が可能です。また、企業業績の変化や繁忙期あるいは閑散期での人員調整がしやすいのが非正規労働者の存在です。

 2021年の法改正からは「同一労働同一賃金の原則」が打ち出されてはいますが、十分に機能していると言える状況ではありません。再三改正はなされ労働者の権利は拡大しているというものの、非正規労働者が高齢化していく中で将来の展望が見えないことが問題視されています。5080問題と言われるのは、80代の親が50代の引きこもり、無職、低賃金の子供を支えなくてはいけない異常事態のことを言います。非正規労働者の増加はそのような社会問題を引き起こしています。

5,収奪型経済制度を持つ国とは

 収奪的政治経済体制を持つ国とは、一部のエリートが富と権力を独占し、その利益のために制度が設計されて、多数の人々の富を吸収する構造を持つ国と定義されています。歴史的には植民地支配された国や独裁国家がそれにあたります。これらの国々はやがて衰退に向かうというのが、「国家はなぜ衰退するのか」で提唱した概念です。

 特定のエリートや特権階級が富と権力を独占し、その集団の利益を維持するために収奪の経済体制が築かれます。それが衰退に向かうのは、私有財産権が不安定で、法の適用が不公平になり、イノベーションや広範な政治参加が阻害されることになります。その結果、経済成長が持続しなくなり、収奪されたものが貧困に陥ることで社会の安定性が壊れ、紛争や暴動も発生する中で社会が混乱して衰退するとされています。

 歴史的にはローマ帝国も旧ソ連も南米やアフリカの多くの植民地だった国家も収奪型経済体制から逃れられていないとみています。現在の例では中国も一党独裁体制が収奪的体制を持っていますが、経済特区など市場経済の包括的な制度も取り入れているので混合型として分類しています。しかし、この著書はその持続性については否定的な見解が書かれています。

 すべての国民が市場に参加して、私有財産が保護され、公正な競争が保障される制度を持った国が、技術革新を促し持続的な経済成長を可能にするとしています。その好例としてイギリスやアメリカを上げています。その中でアメリカの人たちの幅の広さを感じさせた出来事がありました。それはニューヨーク市長選挙でゾーラン・マムダニ氏が当選したことです。当初は支持率1%程度の泡まつ候補とみられていた人です。さらにイスラム教徒ともされる人物です。彼が9.11同時多発テロのあったニューヨークの市長に当選したのです。

 彼は物価高が続くニューヨーク市で、「家賃値上げ凍結」、「バスや保育の無償化」を訴え、富裕層や大企業への課税効果を訴えたことが民衆の支持につながりました。アメリカ大統領に再選したトランプ氏も全米の労働者層などにアメリカを変えることができる人と支持され当選しましたが、両者の考え方は左右に対局です。全く違った考えの人がそれぞれ支持されるということは、社会の層の厚さを示しているのかもしれません。

 収奪的な経済制度は一部権力者が富を独占する状態を指し、特定の国というよりはそのような制度下に陥った国が衰退に向かうと考えられます。一部の指導者が長期政権を維持し、独裁傾向の政治を続ける状態は社会の停滞をうむことになるのでしょう。ソ連の崩壊、東欧諸国の崩壊、アラブの春などの事実を見ていてもそのように感じます。今後世界がどんな方向に向かうかは、それぞれの国の体制から考えてみるのも有効な方向かもしれません。「国家はなぜ衰退するのか」は、明確にそのような指針を示した書作です。

以上