小説「琉球処分」を読んで国境とは何かを考える

1, 琉球王国がなぜ日本に編入されたのか?

1972年5月15日、沖縄の施政権(立法、行政、司法の権限)は米国から日本に返還されたことは知っている人が多いと思いますが、琉球王国が日本に編入された経緯については、日本人でも知っている人は少数でしょう。先月お越しになった大西雄三氏から面白いのでぜひ読んでみてほしいとお借りしたのが、「小説 琉球処分」(著者 大城立裕)でした。

大久保利通などを中心とした明治政府の官僚たちが琉球王国を日本に編入しようと画策した過程を「琉球処分」という言葉で著しています。琉球王国は従来から薩摩藩が宗主国の関係を結んでいながらも、中国(当時は清国)でも朝貢関係を続け、二重の支配関係にありました。その二重の支配体制を「日支両属」と言われます。小説では島津藩の税徴収に琉球の人々が苦労していたことが書かれています。また、清国に対しては琉球の人々が気を遣いながら接していた様子が伝わってきます。明治維新後、明治政府は廃藩置県を行いましたが、国境の確定をする必要があったことから琉球の併合を画策しました。

その際に1871年に宮古島島民の台湾遭難事件が利用されました。台湾で数十人が虐殺されたとして、日本国民に対する虐殺として清国に賠償を求める交渉をしました。この交渉を進めるにあたり、琉球を日本に併合する提案を進めました。1874年日本は台湾へ懲罰的遠征をし、和平協定により清国は賠償金を支払い、琉球人を「日本国属民」と表現させることにも成功しました。

1875年日本政府は琉球の処分を決定しました。内務省の松田道之が処分官に任命され、首里城内で9つの要求を提示しました。要求を受けたのは病気の琉球国王尚泰に代わった今帰仁(なきじん)王子でした。琉球王朝に伝えた要求は以下の通りです。

中国への朝貢・祝賀施設の派遣中止、中国からの使節の接待中止、日本の元号採用、新刑法施行のため東京へ三役の派遣、藩政改革・階層改革、留学生の東京派遣、福建省の琉球館廃止、国王の東京訪問、日本軍の駐屯地設置の9項目です。一部の処分には反対があり、しばらくは不穏な空気に支配されました。その後琉球藩が廃止されて、沖縄県になったことが日本政府から発表されました。琉球王国の人たちにも日本政府に反発もありました。清もこの併合には反発をし、日清戦争を引き起こす重要な要因にもなりました。アメリカ政府が仲介し、一時は奄美大島など一部を日本の領土にし、八重山諸島と宮古島などを清国の領土、沖縄本島を琉球王国にする案まで出たことがありました。この問題は、日清戦争を引き起こす重要な要因にもなりましたが、日本が日清戦争に勝利することで、長引く不満などは解消されるに至りました。

2, 国境は固定したものではなく激しい変動の歴史

第一次世界大戦前のヨーロッパは、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国などの帝国が君臨していた時代があります。また、第二次大戦後ドイツとポーランドの国境は改めて線引きが行われました。20世紀終盤まで存続していましたが、解体された大国もあります。それはソビエト連邦やユーゴスラビアのような国です。1989年ベルリンの壁崩壊もありましたが、ソビエト連邦は1988年から始まったバルト三国の独立以降、1991年ソ連崩壊により15の国に分かれました。ソ連崩壊の衝撃はその当時大きなニュースでした。

ユーゴスラビアは、1988年ユーゴスラビアのサラエボで冬季オリンピックが開催されましたが、1991年から民族対立の内戦が発生し、現在はボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロ、クロアチア、スロベニア、マケドニアの5か国に分かれました。内戦にはなっていませんが、チェコ・スロバキアもチェコとスロバキアに分かれました。

西ヨーロッパは比較的国境の変更がありませんが、それでもドーデの小説「最後の授業」ではフランス領のアルザス地方の学校での話が展開されています。遅刻して学校に入った少年が先生に叱られるかと思いましたが、静かな口調で席に着くよう促されました。先生は、「アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけなくなりました。これが私のフランス語の最後の授業です。」というように国境が変ることで使うことができる言語も変ってしまうのです。

しかし東ヨーロッパになると状況が違ってきます。東ヨーロッパは東西冷戦の影響でソ連を中心とした東側諸国として分断されてきました。また、戦争によって列強の支配のせいで国境線も変えられてきました。東欧諸国は19世紀半ばにひかれた歴史の新しい国境が多くあります。ポーランドなどは国名が消えていた時期があります。第一次世界大戦前まではドイツとロシアに分割支配されており、ドイツが敗戦したことで復活しました。結局は今の国境はドイツが第二次大戦に敗れたことで、ポーランドやソ連にも伸びていた領土が分割され、大部分はポーランドに譲渡され、一部は現在のロシアの飛び地に分割されてもいます。

国際情勢は絶えず不安定さを生み出しています。ヨーロッパを例に見てきましたが、国境は昔から固定されたものではなく、歴史の激しい変動の結果として揺れ動いてきました。今現在もウクライナとロシアの戦争が続いていますが、東欧は領土が固定された歴史が浅く、このような領土の分割は絶えず起こり得る状況にあると考えられそうです。

3, ソ連崩壊とは何だったのか?

ソビエト連邦が崩壊したのが1991年でしたが、ソ連崩壊とは何だったのかを松本深志高校の後輩でもある北野幸伯(きたのよしのり)氏のコラムを参考にお伝えします。彼は高校卒業後、1990年にモスクワ国際関係大学に留学し、ソ連崩壊当時の状況を体感している人物です。ソ連とは何だったのかは、まず1917年のロシア革命から説明する必要があります。

マルクス主義をベースとする世界初の社会主義政権を作るきっかけとなったのがこの革命です。1922年にはレーニンを中心にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)は成立しました。この思想は人類の歴史を階級闘争の歴史と捉え、労働者階級が資本家階級を打倒することで、新たな発展段階の社会主義の時代になると考えられました。

ソ連は米国や日本のような資本主義国とは真逆のシステムで動いていました。共産党の一党独裁体制と社会主義計画経済の体制です。共産主義とは私有財産を否定する社会で、民間企業も存在しませんでした。石油会社のような大企業も町の小さな食料品店も国営で、社会人はすべてが公務員という体制です。共産主義の社会体制とはこのように現在の資本主義国から見るとかなり変わった体制でした。

その体制の功罪はともかくとして、アフガニスタン戦争の戦費増大、米国との軍拡競争、80年代の原油価格の低迷などが重なり、経済状態が極度に悪化したことが最大の要因です。1990年北野氏が留学した当時は、車の数は圧倒的に少なく時代遅れのソ連国産車ばかりだったと言います。テレビも白黒で、モスクワの家庭には洗濯機がないところも多かったようです。生活で最も厄介だったのは、食料品店前の長い行列で1~2時間ほど並ばないと中には入れず、入った時には棚はガラガラだったと言います。そのようにソ連の経済状況は悪化していました。

1989年ベルリンの壁の崩壊がたときには東欧の民主化革命が起こると、当時の大統領ゴルバチョフは黙認したようです。第二次世界大戦後ソ連に併合されていたバルト三国なども独立のチャンスととらえて独立を宣言、1991年ソ連構成員のロシア、ウクライナ、ベラルーシが、「ソ連消滅と独立国家共同体設立」を宣言して、ソ連は崩壊しました。崩壊後のロシアには市場が開放されて、外国から様々な製品が流れ込んできたことでモノ不足は解消されましたが、ひどいインフレに見舞われ、ほとんどのロシア人が一文無し同然になったとのことです。

そのこともきっかけに、ロシア国民の中には強いロシアを復活させてくれる指導者を求めるようになり、2000年にはKGB(ソ連国家保安委員会)出身のプーチンが大統領になりました。ロシア国民は民主主義を強く望むようにはなっていませんでした。プーチンがラッキーだったのは、その当時主要輸出品の原油価格が上がり始めていたことです。大不況を経験したロシア国民は、プーチンの政治を認めたのです。

4, ホモ・サピエンスが絶滅しなかった理由は「認知革命」

以前、読んだ本に「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)がありますが、傍流の人類が誕生した中で、ホモ・サピエンス(人類)だけが生き残った理由として、「認知革命」を最も大事な要素として挙げています。それはホモ・サピエンスの頭が良かったからでもなく、道具を使えるようになったからでもなく、二足歩行ができるようになったからでもなく、「認知革命」が人々をまとめることに貢献したとしています。

その後の「農業革命」と「科学革命」も必要な要因として扱っていますが、最重要な要因として「認知革命」とはいったい何なのでしょうか?通常人間は150人程度も交流するのが限界だと言います。それ以上の人とは関係を作ることができませんが、フィクションを信じることができれば、多くの人と協力できるようになると言います。虚構を作り、それを語ることで、神話を作り、会ったことがない人でも協力できるようになるとしています。この協力できるようになる虚構を作る力を「認知革命」と言っています。

特に重要な虚構は国家、宗教、お金と言われています。お金に関しては貝や革、塩、穀物などが利用されていましたが、現在では国家が発行する紙幣になりました。最近ではデータ化されて電子マネーも利用されるようになりましたが、信用できるかどうかの情報をデータ化したものが電子マネーです。

一方国家の基礎を作るためには、みんなが信じられる権力・権威が必要になります。日本でも天皇家創成の物語は、「古事記」「日本書紀」などで作られてきました。特に古事記は. 天武天皇の命令のもとで、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記し語った神話や伝承などを、太安万侶(おおのやすまろ)が記録し古事記をして編集されました。各国の歴史もこのような神話が根付いています。ベトナムでの最初の国家バンラン国が紀元前2879年に建国されたという伝説があります。その当時の国王の「フン・ブン王の命日」というベトナムの祝日もあります。

サピエンス全史の話に戻りますが、その後の農業革命は小麦や稲、ブタや馬などの家畜を囲うことで安定した暮らしができるようになりましたが、労働時間は長くなり、貧富の差を生みお金を持った人が権力を持つようになったといい、お金を持つために戦争も発生するようになったと言います。

「科学革命」前は、宗教に生きるための答えがあると信じられていました。その後、科学的知識を得て投資をすることで、さらに利益を上がられることが分かってから近代化が進みました。それが資本主義と帝国主義に進むことになりました。

ハラリはサピエンスによる地球の支配で、私たちが誇れるものはほとんど生み出していないと断言します。環境を支配して、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を作り、広大なネットワークを作りましたが、個々のサピエンスの幸福は増進せず、それ以外の動物たちにとっては甚大な災禍を招いた、と結論付けています。

5, 国家とは何なのか

国家についてマックス・ウェーバーの有名な定義があります。「国家とは正当な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体である」(「職業としての政治」岩波文庫より)。ここで言われる暴力が悪なのかどうかは別問題として扱いますが、国家が維持されるためには、税(あるいは年貢)の徴収、国家の維持を危うくする国内の取り締まる警察、あるいは国外からの侵略や侵入の取り締まる軍隊、また、凶悪犯罪の死刑制度など、社会秩序を守る体制などを暴力装置としてとらえているようです。ウェーバーはこれらの暴力装置がないと国家は維持できないとも言っています。

暴力は悪と規定するのではなく、国家を維持するためには暴力を抑制する、あるいは治安を維持する暴力装置を持っていることが国家の本質であることを述べています。しかしながら、圧政の危険を防ぐためには民主主義的に統治された暴力装置でなければならないとしています。一方でロックの「社会契約論」では、治安の維持よりも、個人の権利の保障の方に国家の本質的な役割を主張している考え方もあります。

第一章でご紹介した「琉球処分」を読み終えた後、そのような国家論に触れて考える機会を得ました。その当時の政治情勢が背景にありますが、欧米諸国がアジアを植民地化するために、着々と準備を進めていました時代背景がありました。清国はアヘン戦争でイギリスに苦しめられていました。今は中国に返還されている香港は、このアヘン戦争でイギリスに99年間租借されたのです。

そのような中で明治政府は。清国と日本の二重支配にあった琉球を日本の領土とするためにとった政策が「琉球処分」でした。清国はイギリス以外からも植民地化を狙われていました。そのような事情で国が、弱体化し始めていたのも事実です。「琉球処分」の後、日本は清国と戦争をすることになりました。1894年から1895年にわたる日清戦争です。

そのきっかけは、その当時の朝鮮半島は清国が宗主国として強い影響力を持っていました。しかし、朝鮮政府(李氏朝鮮)の専制的な支配や重税に苦しむ朝鮮民衆が、宗教結社の東学党の指導の下で蜂起しました。朝鮮政府(李氏朝鮮)はそれを鎮めることができず、清国に軍隊の派遣を求めました。そこに日本が清国に対応して朝鮮に軍隊を送ったことから、「日清戦争」が始まりました。朝鮮でのきっかけが主な理由に挙げられますが、その戦争のきっかけには、「琉球処分」に関する清国の反発も背景にあったようです。

清国は清仏戦争でフランスにも敗北して、ベトナムがフランスの植民地にもなりました。清国の敗北で弱体化する中で、下関条約が結ばれ、台湾の日本領土化と遼東半島の割譲を受けることになりました。大国に成長する日本を警戒する欧米列強、特にロシア、フランス、ドイツが干渉し、日本が獲得した遼東半島は還付することになりましたが、それを「三国干渉」と言います。清国を日本から助けたことにより、清国は三国にさらに支配されるようになりました。その経緯からその後発生する日露戦争にもつながることになります。日露戦争で勝利した日本は、ポーツマス条約で朝鮮に対する優越権を認められて、1910年韓国も併合することになりました。

日清戦争のきっかけなどを見てきましたが、領土の問題は国家が暴力装置をいかに持っているかという視点は、結果的には大事な要素だったのかもしれません。私も戦後の日本しか知りませんので、領土獲得のための戦争の歴史についてほとんど無知でしたが、小説「琉球処分」読んだことが刺激となり、その辺まで調べてみることが楽しみになりました。時代の状況にはより同様には考えることはできませんが、国とは国境とは何かを考えさせられたのが、小説「琉球処分」でした。

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。