インフレが止まらない要因と将来起こり得ること

1,インフレの要因を考える

 デフレ経済だった日本の物価の上昇が始まったのは、コロナ禍の2021年後半くらいからだったように思います。要因は国際的な原材料の価格の上昇や物流システムの混乱、コロナ禍の人手不足なども要因で世界の国々で物価の上昇傾向が鮮明になりました。世界中で物価高になっている要因は供給の不足です。その要因はあちこちで起こっている戦争や紛争の影響もありますが、2021年頃から始まっていることを考えると別の要因が考えられます。その当時の出来事は、「コロナ禍」ですので、それが影響していると言えます。その当時は生活様式の変容、特に在宅勤務の定着などにより、エッセンシャルワーカーという言葉で言われていた在宅勤務できない分野の人材が不足しました。在宅勤務ができないのは、農林水産業、製造業、物流、医療や小売りなどの事業者です。それらの人材不足も相まって、物価が上がるようになっていきました。その後、世界各地で起こっている戦争や紛争も影響を与えています。日本ではそれに加えて急激な円安による輸入コストの上昇が物価高の要因に加えられます。

 ところでインフレには二つのタイプのインフレがあります。コストプッシュインフレとデマンドプルインフレです。コストプッシュインフレは、コストが上がるから物価が上がるということで、今の日本がまさにその状態です。デマンドプルインフレとは、人々の購入意欲が旺盛なために価格が上がることです。日本の高度成長期の物価上昇はこれが要因です。給料が上がり消費意欲が拡大した高度成長期は、日本の経済的な地位を上げることになり、世界第二位の経済大国にもなりました。今では中国に抜かれ、ドイツにも抜かれ、そのうちにインドにも抜かれそうな状況です。今回のインフレは需要が拡大することに因るインフレではなく、輸入価格や人件費が上がることによるインフレであり、経済成長に繋がるインフレではありません。

 日本では1980年代後半から1990年初頭にかけて発生した資産バブルの崩壊や金融システムの不安定化などを要因にデフレ経済に陥っていました。賃金も上がらないので物価を下げないと物が買えないので、企業はコスト削減を進めることに集中しました。下請け企業は大手企業からコスト削減を要請され、人材も非正規労働者に切り替えるなど、物価も賃金も上がらないデフレ経済に突入してしまいました。ようやくここにきてデフレ経済からの脱却ができそうですが、物価の上昇が激しいので、人々の生活は引き続き厳しいことでしょう。逆に物価上昇が厳しい現在より、デフレの方が良かったと思う人もいることでしょう。

2,物価上昇はいつまで続く?

 一昨年から賃金上昇の傾向が表れています。一昨年の春闘では賃金上昇率は平均2.2%、昨年が3.6%とのことです。そのような流れが定着し、今年の春闘の集中回答日では、組合の要求に対してほとんどの企業で満額の回答を出したこと、組合の要求よりも増額の回答をした企業もあったことが報道されていました。このように賃上げの方向性が継続されるようになっています。

 大企業を中心に人材を確保するためには賃上げをせざるを得ないのです。優秀な人材を雇って働き続けてもらうためには、積極的に賃金を上げる必要があるという考え方に変わってきています。中小企業も経営が大変な中で賃上げしないと人材が確保できないので、賃上げの動きが広がってきているようです。

 そうはいっても経営環境が厳しいのが中小企業です。特に地方の中小企業の人手不足は深刻と言えるでしょう。人手不足を解消するため外国人の技能実習生に頼っていますが、それも制度改正され、転職が認められる方向で調整が進んでいます。地方の企業を守っていけるかは、地方にも人が住み続けられる環境を維持することです。日本の国土の保全にとっても重要な課題と言えます。

 このような動きを見ていると、この物価高がいつまで続くかを考えると、半永久的に長期間にわたり続くのではないかというのが私の率直な感想です。半永久的という意味は過激な経済変化に直面するまでは続くという意味です。過激な経済変化とは、激しいリセッション(景気後退)の意味を含んでいます。高齢社会の日本では今後も労働力不足が継続します。30年以上日本では抑えられていた賃金の上昇が始まりました。物価が上がるから賃金も上げることは、人手不足に苦しむ企業にとっては、避けることができない対策です。賃上げしなければ人材は去り、廃業せざるを得なくなります。

 それに合わせて、円安傾向は150円前後に定着しています。世界ではインフレ傾向が鮮明なため、インフレ退治のための利上げをしていますが、日本では金融緩和をやめる気配はありません。金利を上げることは金融引き締めにつながりますが、経済の減速を不安視してその政策が取れません。金融緩和していることにより、余った資金の行き先が不動産投資などに向かって不動産価格の上昇も続いています。そのことを加味しても、物価の上昇はしばらく続き、価格が下がることはないだろうと思えます。

3,「日本製鉄の転生」を読んで

 労働組合の要求を上回って増額回答をした企業があったことをお伝えしましたが、その企業の一つが日本製鉄です。2012年に新日本製鉄と住友金属工業が合併して、新日鉄住金という名前でしたが、2019年から日本製鉄に社名を変更していました。現在、「日本製鉄の転生」(上阪 欣史 著)という書籍が人気があり、販売部数も伸びているようです。

 一時期低迷していた日本製鉄が目覚ましい復活を果たしていることを著したのが、「日本製鉄の転生」です。一時期新日鉄住金は危機に瀕していました。決死の覚悟で5つの高炉を削減し、32のラインを休止させて出血を止めました。そのあとで打ち出したのは高級鋼板の値上げ交渉です。名古屋製鉄所で大手自動車メーカー宛に納品していた鋼板が高い技術で製造されていましたが、納入先からの価格交渉に屈して、ほとんど利益が出ない状況でした。意を決して値上げに応じてくれなければ納入できないとの強気の交渉の結果、価格の引き上げに成功しました。安くしなければ買ってもらえないから、品質を上げて高く買ってもらうことに転換したのです。売り手と買い手の立場を逆転させました。

 それ以降は海外のM&Aに心がけています。インドで過去最大のM&Aを成功させるなど、コスト削減した部分で余剰になった資金を使い積極的に打って出る取り組みもしています。2023年からは米国の大手鉄鋼メーカーのUSスチール買収にも着手しています。トランプ前大統領も反対し、バイデン大統領も慎重な姿勢を崩してない中で、日本製鉄は強気を崩していません。日本製鉄の株主たちもこの提案を承認したと伝えられています。このように日本製鉄に大きな変化をもたらしたのが、2019年に社長に就任した橋本英二氏だったと言います。主力の国内製鉄事業が赤字の落ち込み、回復が見通せない中で変革を進めたのが橋本氏でした。企業を変革に導く強いリーダーシップは、企業でも国でも必要なことでしょう。

 デフレの日本社会において、とにかく価格を下げなければ市場から相手にされなくなる恐怖から、賃金の削減、コストの削減に終始してきた日本企業です。それに反して、無駄なコストは徹底的に削減するが、技術力に優位性があるものについては、強気に価格のアップを勝ち取る積極果敢な行動に代わっています。それで得た利益は、グローバル市場に積極的に攻勢をかけたことも円安下の企業経営に資するものがあります。日本を代表する日本製鉄ですが、改革によって再生したのです。日本は長らく金融緩和の緊張感の足りない経済政策の中で、企業も生活者もデフレの安心感の中で安住していました。一般的な世界経済の趨勢とは異なる動きを続けてきてしまったのです。その点でいえば、日本製鉄のような変革をしようとする企業が増えてくることが、日本にとって今後求められることでしょう。

4,日本は「英国病」に陥ったのか?(大西雄三氏のお話を聞いて)

 先日の4月12日元大手学習塾経営会社ワオ・コーポレーションで長年にわたり常務、専務、副社長を歴任された大西雄三氏とお話をする機会がありました。そこでお聞きした内容はとても興味深いものでした。大西氏の了解をいただいたので簡単にお伝えします。

 大西氏は1973年に2か月の短期留学、1975年~1976年の約2年の長期留学をしていました。その留学先はイギリスです。その当時「ニクソンショック」と言われましたが、為替が変動相場制になり、1973年にはオイルショックを受けて、大西氏が留学していた1975年から1976年にかけてイギリスの事情について次のように語っています。

 「1ポンドが700円台から400円台までに下落していました。当時日本では変動相場になってはいたのですが、為替についての関心や個人が為替を取引する人はおらず、一部のビジネスの世界の人たちだけの関心事でした。ところがまず4か月ほど語学学校に行って驚いたのですが、ヨーロッパの国々から来た学生たちは、為替の話を毎日しており、最低限以外は強い通貨でお金を持っておき、ポンドには両替しませんでした。特にスイスフラン、ドイツマルクでお金を所有していました。当時日本円は強くなり始めていましたので、円をぎりぎりまで、ポンドに変えてはいけないとよく言われました。これがイギリスにおけるカルチャーショックの始まりです。多分現在の日本でも外国人の間で、為替問題は議論になり、現在はFXなどでヘッジができますので、日本円を所有している外国人は手を打っていることでしょう。」

 大西氏が現在の日本が当時のイギリスに似ていると思うところを挙げています。

(1)衰退に向かっているのに、危機感が薄い。大ショックが起きないとわからないのでしょう。

(2)インフラが老朽化している。

(3)公的分野に金がかかりすぎている。(国の稼ぎの割に支出が多い)

(4) 老人が多く、ペットを大事にしている。

(5)国民が過去の栄光を忘れられない。自分の国はまだ新興国には負けていない。

 大西氏は続けて次のように当時のイギリスの状況を述べています。「当時優秀なイギリス人はイギリスを見限り,英語で仕事ができるアメリカ、カナダ、オーストラリアをはじめ英語圏にどんどん移住しはじめていました。逆にインドをはじめアジアやアフリカなどのイギリス連邦から豊富な安い労働力はどんどん入ってきて、人口の流動化が始まっていました。」

 その当時のイギリスが陥っていた状況を「英国病」という表現を使いますが、1960年から70年代にかけて経済成長が長期的に停滞していた状況を示す表現です。イギリスは産業革命の成功を受け、世界の工場と言われ繁栄し、世界各地に植民地を持ち、大英帝国として覇権国の地位を築いていました。ところが1960年以降、フランス、西ドイツ、日本に抜かれて70年代も低迷が続きました。世界では第二次大戦後経済の好況が続いていましたが、イギリスは例外的に停滞していました。

 その原因としては諸説あるようですが、主要な要因に上げられるのは、固定的な階級社会、教育の保守性、施設の老朽化などがあげられていますが、経済学者の森嶋通夫氏の著作「イギリスと日本」(1977年岩波新書)などによると、労働党と保守党の二大政党の政権交代のたびに経済政策の基本政策が定まらないことが主要な原因として挙げられています。時代に適合した経済政策が行われなかったのです。教育についても、手作りや個人としての確立を重視するイギリスの教育より、日本の教育が大量生産を目的とするその当時の工業化に適していたと指摘しています。逆に日本の教育の在り方は、大量生産の時代から変化する中で、時代に合わなくなっていると思われます。

 その後、英国病の克服を至上命題に上げて80年代に首相になったサッチャーは、その原因を労働党政権やその後の保守党政権も引き継いでいたケインズの提唱した完全雇用を目指すための「大きな政府」による政策が無駄をもたらしていると考えました。そこで「大きな政府」から「小さな政府」の政策に転換しました。それは社会福祉などの出費を削減し、企業活動を規制せず、雇用の自由化などを推進する新自由主義と言われる政策への転換でした。

 日本の場合でも、イギリスより15年程度遅れて新自由主義的政策が行われるようになりました。代表的なのが小泉政権ですが、郵政民営化などの政策を強いリーダーシップで実現しました。安倍、福田、麻生と自民党政権が続きましたが、選挙の結果政権交代となり、民主党政権になりました。鳩山、菅、野田政権が続きましたが、再度政権交代があり、安倍長期政権が続きました。その政権交代の様子や行った政策などから見るとイギリスのその当時の英国病の理由と日本の理由は異なるように思いますが、金融緩和(アベノミクス)を長期に続けたことで、結果的に企業活動は助けられました。しかしその結果、ゾンビ企業を温存し、時代に合った産業への改革ができなかったとみることもできるのではと思います。

5,超円安の恐ろしい現実予想

 しかし、大西氏が英国病について語っていた言葉の中で、最も驚いたのは通貨(英ポンド)の価値の変化についての言及です。通貨下落についてネット検索した数値が以下の数値です。

 19世紀に基軸通貨だった英国ポンドですが、1992年のポンド危機を経て通貨の価値を大きく下げた歴史があるようです。1971年3月、「1ポンド=864円」だったのが、2011年12月には「1ポンド=119円」と7分の1まで下落したとされています。最近でもトルコ・リラやアルゼンチン・ペソの下落が報じられていますが、次のような下落が記録されています。

〇 トルコ・リラの急激な価格変動

1ドル=5.88リラ(2020年1月10日)→1ドル=28.67リラ(2023年11月15日)

〇 アルゼンチン・ぺソの急激な価格変動

1ドル=58.52ペソ(2020年1月10日→1ドル=350.06ペソ(2023年11月15日)

 日本も2年前の2022年3月中旬では、1ドル=115年程度でしたが、4月後半には1ドル=131円になり、その後円の価値がどんどん落ちており、最近では1990年以降34年ぶりの円安水準と言われるまで円の価値が落ちています。日本円だけで生活していると円安とはどのようなことであるかは実感できないでしょう。日本に外国人観光客が急激に増えていることなどは、円安に直結した現象です。また、輸入価格が上がったことから物価が上がり続けるのも円安が招いた現象です。

 今まで日本のエッシェンシャルワークを支えていた外国人技能実習生が日本から離れること、日本行を選択しなくなることが起こるでしょう。円を自国通貨に換えたときに以前より大幅に目減りするからです。円を海外通貨に換えないといけない場合、大幅に価値は下がりますので、日本人の海外旅行は減るでしょう。また、日本円の金融商品よりも外国の金融資産を持つことを選択する人も増えるでしょう。多くの人が円を売って外貨に換える選択したら、キャピタルフライトが起きて、更なる急激な円安を招くことにもなります。ベトナムに住んでいる日本人の中でも給与の基礎金額を日本円で計算されて現地通貨で受取る人は大幅な減少に苦しんでいる人もいます。また、日本からのオフショア開発をしているIT企業では、円建ての契約をしていることから、海外通貨に換えて従業員の給与で支払うとき大幅な減少に困っています。

 一方で海外に拠点を持っている企業は円安による利益を享受できます。例えば海外でビジネスをしている大手商社、海外で製造拠点を持ち輸出している事業者は大幅な利益を得て、日本の親会社に還元することができます。外貨を円に換えると以前に比べて利益が出ますが、その逆は損失が多くなります。円安日本では、海外で稼ぐ仕組みがないと利益を上げられなくなっているのです。

 最近よく言われるのは海外でアルバイトをし、就職をする若者が増えていることです。海外の給与水準が高く、外貨で給与を受け取ってから日本円に換金すると、以前に比べてもかなり増えることになります。ベトナムでは2015年に外国人が不動産(コンドミニアムなど)を購入できるようになりましたが、円高の時に購入して、賃貸し家賃収入を得ている人は、現地の非居住者口座で預かっている現金を日本円に換えたときに、以前より多くの日本円に交換できます。そのように円高の時に外貨建の資産を持っていた人にとっては、今の円安はプラスになります。

 通貨安に陥った通貨をその国以外で使うと損することになります。ところで通貨安が止まらない国になると、もっと恐ろしい現象が襲ってきます。これを通貨危機というのですが、どのようなことが起こる可能性があるか見ていきましょう。

・急激なインフレに見舞われる。

・政治が不安定になり、政権交代がしばしば起こる。

・国内企業が外国企業に買収され、既存の海外資本企業が相次いで撤退する。

・不動産などの国内資産が外国資本に買われる。

・政府機関のコストカットが要求され、行政サービスの質量が低下する。

・国内の優秀な人材が流出し、海外からの出稼ぎ労働者も減少する。

 日本がトルコやアルゼンチンのような財政が厳しい国と同等の通貨安に陥る確率は低いものと思いますが、食糧やエネルギーを海外に依存してことから考えると、円安による食糧不足、原油価格の高騰を引き金に一層のインフレの進行、投資家が円を売って外貨に交換するリスクを考えるとあり得ないとは言えません。早めに円安から脱却できればいいのですが、まだその道筋が見えていません。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。