米国ビックテック企業躍進と日本経済停滞(躍進の思想基盤と批判的名著からの論考)

1,生物にとって危険な暑さをもたらす『地球沸騰時代』

 日本の7月から8月にかけて、ニュースでは「危険な暑さ」という言葉が頻繁に使われていました。世界中で気候変動の話をたくさん聞くようになりましたので、これは日本だけの問題ではないようです。35℃以上を記録した日を猛暑日と言い、日本人は誰もが知る言葉になっています。ただ、気象庁の資料によると1942年から2007年までの66年間のうち、猛暑日が2日以上あったのが8年でしたが、2008年から2021年までの14年間に猛暑日が2日以上あったのは8年だそうです。今年は東京都心で7月31日まで8日連続の猛暑日だったと聞いていますから、猛暑日の日数も爆発的に増加しているようです。

 それは日本に限ったことではありません。2023年7月27日に世界気象機関(WMO)は、「2023年7月は観測史上最も暑い月になる」との見通しを発表していました。さらに国連のグレーテス事務総長は記者会見で、「世界温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代(the era of global boiling)が来た」と述べました。WMOによると気温だけでなく海面水温も前例のない高さを記録しているとしていますから台風の発生も心配ですし、北米やヨーロッパでも熱波による山火事が頻発しています。

 なぜ猛暑日が増えてしまったのか、原因は何なのでしょうか?考えられるのは、「地球温暖化」と「ヒートアイランド現象」が考えられます。地球温暖化はご承知の通り温室効果ガスが原因ですが、その主な気体は二酸化炭素の増加です。地球では太陽光エネルギーを受けて地上が暖められます。地上に吸収された熱は夜間に放出されるため、太陽が出ない夜間には熱がとどまらず、気温が下がることになるのが本来の状態です。ところが温室効果ガスは、地上から放射する熱を吸収してしまい、地上に再放出するので大気が温まってしまいます。温室効果ガスの増加は、産業革命以来エネルギーを石油や石炭の化石燃料に依存して経済成長してきたことが要因と言えます。

 もう人一つの要因は、「ヒートアイランド現象」です。通常の大地においては、草地や森林、水田、水面などの植物の植生地域では高い保水力により、水分の蒸発による気化熱の消費が保たれ、地表面から大気への熱の供給が少なくなることで主に日中の気温が上昇するのを抑えています。

 しかし、都市化が進むことで道路は舗装され、あらゆる土地にはアスファルトやコンクリートの人工物で覆われた地面が増えています。人工物では日光による熱の蓄積が多く、日中の熱を蓄積して夜間の気温の低下を妨げています。エアコンの室外機からの熱の放出、自動車から放出される廃熱なども同じような効果があります。このような原因で気温が上がり、夜間にも気温が低下しないことをヒートアイランド現象と言います。地球の温暖化は、生命にとって危険な暑さと言われるところまでに到達しています。

2,1990年と2023年変わる経済指標、変わらない経済指標

 地球温暖化は多くの人が肌で感じる現象です。ところで時間をかけて、気が付かないうちにやってきている変化もあります。私が危険に思うことの中で、気が付かないうちに進行している国力の低下について今回のテーマとして扱います。

 昨年からの円安が一向に収まりません。円安とはほかの通貨に比べて弱くなっていることです。なぜ弱くなっているかは、構造的な問題としても考えてみる必要があると思います。バブル崩壊直前の1990年と2023年(あるいは2022年)を比較してみると似たような数字が表れます。例えば円とドルのレートは1990年には145円程度でした。2023年8月中旬も145円程度の状態です。ただし、この数字が進む方向が違っているのです。

 1990年の場合は、1985年当時には1USD=240円程度あり、米国の貿易赤字を救済するために先進国5か国(日・米・英・独・仏)の財務大臣・中央銀行総裁の集まった会議で、米国の貿易赤字削減のためのドル安誘導が決まりました。それをニューヨークのプラザホテルで開かれたことから「プラザ合意」と言いますが、じわじわ円高になり、1990年には145円程度になるまで円が上昇しました。それ以降も円高が続き100円を切ることも多かったことを知っている人も多いでしょう。円高の最高値は、2011年10月31日の1USD=75.32円でした。これは円の価値が今より2倍の価値があったことを意味しています。それ以降じわじわと円安になっていましたが、2022年世界がインフレ傾向になる中で、利上げをしない日本の円が一気に安くなりました。2023年の場合は1990年当時と真逆のトレンドで円が下がり続けている局面が続いているのです。

 1990年と2022年の際立って違っている経済指標があります。国の経済力を示すGDP(国内総生産)です。中国に抜かれて世界第三位にある日本ですが、世界全体に占める日本の割合は、1990年に14%だったのが、2022年は4%に減少していると言われます。下位との差は射程距離になっており、日本の低成長がこのまま続けば、さらに順位を下げることが予想されます。

 1990年と2022年のほとんど変化のないのが平均賃金です。同じように物価もほとんど上がりませんでした。日本人の平均給与はしばらく前には韓国にも抜かれて、先進国では低い水準になっています。ところが2022年からは、物価が急激に上がり始めています。低成長で安定していた日本の物価高は何をもたらすのでしょうか?

 日本企業の没落も鮮明になってきています。米国ビックテック5社と言われるアップル、グーグル、アマゾン、フェイスブック(現メタ)、マイクロソフトの株式時価総額は約800兆円にもなっています。中でもアップルは430兆円です。それに対して日本で一番時価総額が高いのはトヨタ自動車で37.7兆円と10分の1以下の数字になっています。化石燃料に依存する自動車から電気自動車への移行が叫ばれるようになっている現在、日本の産業転換の必要性が待ったなしであることを感じます。

3,米国の産業構造の転換の要因

 産業構造の展開と言えば、日本でも第一次産業から、第二次産業が成長した時代があり、現在は第三次産業が成長している世界のトレンドと大きく変わっているわけではありません。農業から工業、工業からサービス業に比重をシフトする現象は、「ペティ=クラークの法則」と言って、一般的な理論にもなっています。ところが米国は巨大なテック産業が急成長したにもかかわらず、日本は1990年以降、「失われた30年」ともいわれる時代に突入しました。それがGDPや給与の没落になっているのです。

 産業構造は同じように変わりながら、米国が急激に変化したのは何が要因なのでしょうか?先ほど述べた「プラザ合意」は、貿易赤字に苦しむ米国を西側先進国が助けるためのドル安誘導の合意でした。その当時のアメリカの製造業は衰退し、海外移転も進んでいる状況でした。戦後米国を支えたのは主要製造業を中心とした寡占体制ですが、それが衰退していました。

 米国の経済成長を担ったのは、当時製造業が中心であった米国大企業です。それに伴い勢力を拡大した労働組合の労使関係によって安定の体制が確立されていました。製造大企業は生産性を上げながら、その利益を労働者に分配するトリクルダウンと言われる良い循環が得られていました。低所得者層まで入っていなかったとは思いますが、大企業とそこに組織された労働組合は、米国の成長の果実を受け取っていたのです。

 ところが日本なども含めた他国の成長とともに、その構図を維持できなくなりました。そこに登場してきたのは、経済学者ミルトン・フリードマンなどを中心とする「新自由主義経済学」という考え方です。シカゴ大学を中心に波及してきたことから「シカゴ学派」ともいわれます。新自由主義経済の基本的考え方は、1930年代の大不況のさなか、国家財政を使った社会的な市場経済の構築を否定して、個人の自由と市場原理を再評価して、政府の個人や市場への介入を最低限に抑えることで、創意工夫ある人が自由に経済活動を行う体制を提唱した経済学です。これにより、雇用形態が多様になり、規制がなくなったことで金融システムも同様に多様化し、企業買収などもやりやすくなりました。投資の規制なども縮小され、資金力や新しいビジネスへの発想がある人にはよりチャンスが拡大した時期だったともいえます。

 この考え方も相まって、米国が陥った不況の中で巨大な製造業者は事業の縮小や転換を求められていました。米国の成功モデルが見る見る変化していきました。設備投資の抑制やコスト削減をせざるを得なくなったことから、労働組合も譲歩せざるを得ない状況になりました。賃金の削減などもこのころから認められるようになりました。米国では景気が低迷した時に一時的にレイオフし、景気が回復した時に労働者を呼び戻す慣行がありましたが崩れてしまいました。1980年代からは今まであった職も削減されて行きました。仕事も失い没落する人はいましたが、新自由主義に共鳴する人もいました。

 フリードマンは次のような言葉を残しています。「真の改革は、危機状況によってのみ可能となる」と。その当時の米国は、フリードマンの言葉通り危機的だったのでしょう。この思想は上昇する人と没落する人の明暗をはっきりさせる効果がありました。それゆえにその市場原理主義的な考え方が浸透できたのでしょう。時代は格差社会の緒についていました。

 米国では製造業が縮小する過程で、サービス産業の拡大に移行していきました。労働協約を巡る譲歩交渉、職の削減の中で労働のリストラクチャリングが展開していきました。こうした中で各産業の利潤率が変わり始めています。所得格差の拡大にも影響を与えたことはこの当時の経済情勢が影響しています。米国では成長産業に移行することができる人、やむなくて低収入の職場につかなければならない人に分かれていきました。しかし、新しく生まれたテック産業が急成長できる要因は、雇用労働条件の譲歩や規制の削減によるところが大きかったと思います。

4,『ショック・ドクトリン』による新自由主義経済批判

 米国が新自由主義経済によって復活した要因が大きいように書きました。しかし、一方的にすべてが良いと評価できないこともあります。新自由主義経済が米国の再興には資する政策だったかもしれませんが、多数の人を幸せにしたわけではありません。

 私が最近知ったのは、新自由主義経済に批判的な論調の著書です。それはカナダ出身の女性ジャーナリスト・ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』です。「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」、というサブタイトルもついています。この著作は6月に日本に帰った時に、NHK eテレの「100分DE名著」で取り上げられる作品であることを知りました。2007年に出版されて、日本では岩波書店から2011年に翻訳版が出版されました。私は最近アマゾンのキンドルで電子版を買いましたが、上巻をやっと読むことができ、躊躇しましたが下巻も続けて読むことにしました。躊躇したのはかなりの分厚さがあり、読むのに時間を要するからです。

 さて、書籍の本題に入りますが、「ショック・ドクトリン」とは、言葉の通り人々のショックに乗じて行う政策のことを言っています。最初の「ショック・ドクトリン」の例として、チリのアジェンデ政権が倒され、ピノチェット軍事政権に移行するクーデターを取り上げています。これも事前に計画され、周到な準備にシカゴ学派が関わったとされています。やや社会主義的な政権でしたが、軍事クーデターによって新自由主義経済に移行させられました。

 従来、シカゴ学派は投資家の利益を代弁、「大きな政府」や「福祉国家」を盛んに攻撃し、国家の役割は警察と契約強制のみであるべきで、他はすべて民営化され、市場の決定に委ねよとの主張でした。しかし、米国では反対もあり、実行できなかったことから、関わりのあったチリのピノチェットを利用して、チリで最初の実験をしたとされています。独裁体制下では、それに反対する一般市民を逮捕・拷問・処刑などのショックを与え、惨事に便乗する形で新自由主義的な経済、公共部門の民政化、福祉・教育・医療などの削減が行われたとされています。そのショック状態の中で市場原理主義を導入し、経済改革、外資導入、利益追求を進めていったとされています。

 それ以降、天安門事件(1989年)、ソビエト連邦の崩壊(1991年)、米国同時多発テロ事件(2001年)、イラク戦争(2003年)、スマトラ島沖地震による津波被害(2004年)、ハリケーン・カトリーナ(2005年)といった政変・戦争・災害などの危機的状況の中で、「惨事便乗型資本主義」は、人々のショック状態に付け込んで、自分を取り戻す前に過激な市場原理主義を導入して、外資の参入を加速させ、経済改革や利益追求に猛進してきたとされています。

 「ショック・ドクトリン」は、国際的機関も実行したことがあるとしています。1997年のアジア通貨危機です。タイバーツの暴落から始まり、東南アジアを巻き込み、韓国にまで波及した危機です。先進各国が救済に動かない中で、IMF(国際通貨基金)が動いたのですが、融資の条件として、貿易の自由化、基幹産業の民営化、財政赤字の解消などを求めた結果、いずれの国も外資企業の餌食になっていったとされています。

 イラク戦争(2003年)後、占領政策を任されたCPA(連合軍暫定当局)は無政府状態の恐怖を蔓延させ、市民を思考停止にした好機を利用して、市場開放を断行したとしています。同時多発テロも加えて、新たな市場分野としてセキュリティ産業バブルを生み、国防産業の急速なアウトソーシングが始まったとされています。米国中南部のハリケーン、スマトラ沖津波被害に関しても、被害の沿岸集落の土地を民間に売り飛ばして、高級リゾート開発につなげる論理にも応用されているとされます。

 しかし、民衆たちがその企みを事前に知ることで、ショックに呆然とするだけでない存在に変わります。自分たちにとって大切なものが何かを見極め、それに対して何ができるかを考えて行動することで覚醒する民衆が生まれます。そんな民衆は、来るべきショックに備えて、残ったもの(スクラップ)を再利用して地域社会を手直し、平等で住みやすい場所に変える力を持つとしています。

5,日本の改革に必要なこと

 さて、日本でも新自由主義的な改革が行われましたが、米国ほど急激にテック産業が育ったとは言えないかもしれません。米国は製造業が没落した危機を利用して、テック産業が主要産業になりました。米国は世界の優秀な頭脳が集まりやすい国だったことが影響しているとも思います。しかし、現在の日本の産業を引っ張っているのは自動車産業です。そのほか中小の製造業が日本を支えていますが、概ね従来型の産業によって経済が維持されています。米国に倣った新自由主義の導入は二番煎じで、米国にいいところをもっていかれているだけかもしれません。

 そもそも日本は従来型の産業に優位性があったからでしょう。日本は急激なショック状態は避けられたということも言えます。日本は国民皆保険制度、年金制度など多くの国民が見捨てられることなく守られている、ある面で社会主義的な平等な国であるようにも見えます。それさえなくなるような「ショック・ドクトリン」が行われていなくてよかったとも思えます。

 ところが、現在は経済成長できないにもかかわらず物価高になり困っている人は増えていますが、日本から脱出しようとする人はあまりいません。どちらかというと税金対策が必要な資産家が税の優遇された国に移住することはあると思います。庶民にとっては、日本は生活しやすく、安全性の高い国であると思います。

 ただ、日本の相対的地位が低下していることには目を向けなくてはならないと思います。円安が進み、地位が低下する中で、日本の不動産や企業は外資に買われ始めています。円安で株式市場は低迷していませんが、大手企業の収支の中で、海外で稼ぐお金や配当を日本に送り、円に換算すると大幅に利益が上がる円安効果があるのです。皮肉にも海外進出している企業が海外で稼いだお金を日本に戻したときに、円安の経済的効果が表れます。

 日本の政治家は選挙に通るために大衆受けするばら撒き政策に依存する傾向があります。ばら撒きは受け取った瞬間は得をした気持ちになるでしょう。ただ、思考が停止します。私が思うのは、コロナ禍の時には日本は政府の助成金・補助金など、積極的な支援をされました。ベトナムで事業経営している我々には何も支援はありませんでしたが、その分自分で考える機会がありました。誰も助けてくれないからできた気がします。

 日本が考えなくてはいけないのは、米国をまねることではなく、日本にとって何が必要かを真剣に考えることです。日本のカロリーベースの食糧自給率は38%程度と非常に低いです。食糧自給率の改善は国を守ることにもなります。また、地球温暖化の影響もありますし、それ以外にも地震大国でもあります。防災産業は日本にとって重要な産業でしょう。

 高齢化が進み、田舎では限界集落が増えていますから、人が住まなくなった地域をどう使うかも重要なテーマになります。文化的つながりがあるかないかが、人間の理解に大きな影響を与えます。文化的基盤が違うとまとまりを欠く結果にもなります。各地域によって文化も違いますが、多様性を受け入れつつも生活基盤の中で生まれた文化を守ることも重要でしょう。日本は世界でも比類がないほど幅広い文化があります。

 日本に足りないものはどこからでも供給して、よくなる方向に進むことを模索することは必要ですが、すべて外に依存してしまうと、「ショック・ドクトリン」のような外資の侵略を許すことになります。自分でできることはやりながら、優秀な外国人を迎え入れる魅力ある日本を築くことに価値があると思います。日本にとって何が必要で、何を守る必要があるかを、みんなで真剣に考える待ったなしの時代を迎えているのでしょう。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。