迷える管理職のベトナムでの日常

1,管理職として翻弄される日々

 ちょっとした社員同士の意見の相違が口論に発展することがあります。そのようなことを皆無にすることはできません。今回はそのような最近発生した事例から、ベトナムに来てからの私自身を振り返るきっかけにもなりました。20人弱のスタッフと一緒にベトナムで会社を運営してきました。今回は、カリスマ性もない私が、直面する諸問題に翻弄されながらのベトナム16年の経験を率直にお伝えしようかと思っています。

 私は親しくしているオーナー社長にも意見を求めることがあります。その人によると、会社の方針や人事など最終的に社長が決めたことは、守らせる強さが必要だと言います。船頭がたくさんいても船は一定の方向に進まなくなり、目的を果たすことができません。だから強い経営者は必要と言います。ただ、このような能力は私に備わっているようには思えませんが、ぶれない発言をすることは必要なようです。強いか弱いかの問題ではなく、強く言い切ることが評価されるための前提がありそうです。強引に人を指示する場合、近年ではパワハラに認定されることはたやすいことでしょう。

 パワハラにならず、社長の強い姿勢を示すことができるためには、何が正しいと考えるかのその人の考え方の軸があるかが必要に思います。コンプライアンス、会社の利益の追求など「正義」はたくさんありますが、その人の考え方の軸があるかが、発言のゆるぎなさを生むと思います。その点では歴代の総理大臣の中で人気が高い小泉純一郎氏は、考え方に軸があったということでしょう。彼の推進した郵政民営化をはじめとする新自由主義的政策が正しいかどうかは別として、軸がしっかりしていることに国民が信頼したのでしょう。

 私は小規模企業で雇われ社長をしていますが、社長として必要なことは何かと考えることがあります。社員から見て社長しかできない仕事をしているか、あるいは社長が会社を支えていることが分かるかどうかです。それは社員を幸せにするための重要な部分を社長が役割を果たしているかです。特に私が比較的心がけようとしているのは、社員が作業できる仕事を探してくることです。仕事がなければ、社員に給料を払えないのですから。会社を運営するための収入をどう得るかはもっとも重要です。

 商品がブランド化され、規模が他を寄せ付けない大企業はその看板で十分利益が出せるでしょう。しかし小さな組織であれば、社長の努力にかかっています。私はすべての要素を満たすほどの能力と器量はありませんので、小さなことでも意味がありそうなことを探して行動しています。合わせて自分が関心を持っていること、やりたいと思うことには積極的に関わろうとはしています。

 ブランド力も大きな内部留保もない場合、その人の持つ信用力が財産になる場合が多いと思っています。この人に頼めば必ずやってくれるだろうとのイメージを持ってもらうことが必要です。そのイメージを確保するためには、小さな仕事に手を抜かないこと、すぐに反応をすることだと思っています。その蓄積が信頼につながります。すべてがうまくいくわけではありませんが、問題が発生した場合にどう対処するか、どう人を動かすかは瞬時の判断とその人のものの考え方が影響するものと思います。

2,ベトナムに滞在することになった経緯

 私がベトナムに来ることになった経緯を簡単に述べておきましょう。2003年3月に私は大学卒業以来勤務していた生命保険会社を早期退職制度に応募することで退職しました。その後で民間企業に転職したのですが、中年での転職の悲哀を味わいました。苦労していたころに、生保の同期入社の仲間から会社設立の相談を受けました。仲間の一人は転職していた証券会社から少額ファンドを譲り受け運用するベンチャーキャピタルを先行して作っていっていました。今回は投資企業の株式上場(IPO)を支援する会社を作りたいというものでした。夢のある仕事に思えた私は、すぐにその会社設立に参加させてもらうことにしました。

 順調に滑り出していたと思われる事業も支えを失うことがあります。その支えとは、ベンチャーキャビタルとして機能するための資金提供してくれた証券会社に、大きな事件が発生したのです。2005年12月に発生したジェイコム株の大量誤発注事件です。うまくいかなかったのは、それだけの理由ではないのでしょうが、その事件も影響して自分たちの事業は収益性に陰りが生じていました。

 私ができることをやろうと考えました。経営者の交流会に参加させてもらい、多くの方と名刺交換をしました。その中で訪問を許していただいた社長にお会いして、お手伝いする仕事がないかを相談して歩きました。特に新規の会社はIT系の企業が多く、ITが分からない私も簡単な勉強をして、お話だけにはついていけるように努力をしていました。その中で新規事業の開発を検討したいとの企業があり一緒に事業を作ることになりました。

 一つは不動産業とITを組み合わせた事業を作ろうとしました。構想の準備には私が中心でかかわりましたが、ITリテラシーの低い私が事業の中心にはなれませんでした。その分野は後輩がその社長を務めることになりました。もう一つの事業は日本でやっている作業を人件費の安い海外に送り、オフショア開発会社を設立するというものでした。そのIT企業がお付き合いのしているベトナム人技術者がいるので、その分野の責任者にして事業をスタートすることになったようです。その事業にも間接的なかかわりしかありませんでした。両方の事業とも私が中心になることはなく、新規事業探しで経営者にお会いすることを繰り返していました。

 局面が変わるのはベトナム人技術者に期待していても大きな成果は得られないことがあり、それを打開するために一時的にベトナムに渡り、どんな事業ができるかを考えて欲しいとの依頼を受けたことです。仲間と一緒に行っていた事業も大きな壁に遮られかけていたので、いただいた仕事は何でもやろうとベトナムに渡る決断をしまし、渡航したのが2008年1月のことです。

3,ベトナムで始めたマッチング活動と事業作り

 ベトナムへは何のビザで入ったかわかりませんでしたが、その後長期滞在にするためにその会社の少額出資し出資者としてベトナムでの在留カード(ベトナム政府の発行する滞在カード、現在では許可される出資金額が大幅に引き上げられました。)を取得して長期滞在が可能になりました。

 私のミッションが新規事業作りだったので、新規事業を作るためには人に会うことが重要と考えて、その当時のホーチミン日本商工会(JBAH、現在はホーチミン日本商工会議所JCCHとなっています)に加盟し、名刺交換できた人にアポを取り、お許しいただいた人のオフィスを訪問することを繰り返していました。仲間と起業して挫折していた頃のIT企業訪問と同様です。

 心がけたのは、訪問した方から宿題をいただくことです。自分で解決できないことや困っていることをお聞きして、解決策がないかを検討しました。私が解決できないことも多かったので、その問題を解決できそうな専門家を訪ねていました。そのことが最初のビジネスマッチングにつながりました。ある物流会社のITインフラの保守メンテができる外部企業を紹介することです。それ以降も日本語の生産管理システムを英語版にするためのソフトの修正作業の相談を受けたときに、ある企業のIT技術者と弊社の日本語データ処理を行っていたスタッフを派遣して、完成させる仕事をしたこともありました。

 そのことが私のとっては大きなヒントを得るきっかけになりました。最初に立ち上げた新規事業は不動産仲介事業でした。不動産事業には素人の私でしたが、お客様の求める物件探しをベトナム人スタッフが行い、私が必ず同行してお客様の希望を正確に把握することを繰り返して行いました。

 それが次の事業のヒントを拾うことにつながりました。不動産は初めてベトナムに進出した企業が主なお客さまでした。そのような企業はそれ以外の問題や分からないことだらけです。私は相談を受ける立場でしたので、受けた相談は専門家を訪ねてその業務を委託していました。せめてキックバックだけはいただけるようにしました。そのうちに気がついたのは、弊社のスタッフもベトナムの法令など調べることはできることです。その気づきにより、一部事業は自社でもできそうだと思えるようになったことが、次につながりました。コンサル事業が始まる出発点です。

4,ある企業の不足部分を埋めることから生まれる仕事

 人とお会いしているとその方の悩みを聞くことになります。旅行業大手のJTBの方とお話をした際に、都道府県知事の視察時など専門性と語学レベルが高い通訳が必要になっていることを聞きました。このような人材を調べることができないかと相談を受けました。フリーランスの通訳などネットワークを探し、人の紹介などもありレベルの高い通訳を10数人集めることができました。

 また、公益財団法人日本生産性本部から、「製造業の海外移転が増加して、海外のコンサル案件が増えているが公益財団法人なので海外に事業所も持てないで困っている」いう話を聞きました。そのため弊社は生産性本部の業務を行う社員を特別に採用して、弊社で依頼業者と契約を結び、生産性本部のコンサルタントを招聘して弊社が委託する形でコンサルを行っていただくスキームを作りました。ベトナムに拠点がない組織なので、コンサルに関わっていただいた費用は、ベトナムの税法に従い外国契約者税を支払ったうえで、海外送金する方法で生産性本部にお支払いすることができました。

 そんな事業作りの蓄積が生きたのがコロナ禍です。今までの弊社の事業は一部を除き大部分が止まりました。海外からの入国がなく、会社設立も不動産案件も依頼案件が皆無になりました。私も時間が余るようになったので、余った時間を発信することに使いました。自社のコンサル部員がベトナム政府のコロナ規制を調べて、日本政府の対策は私の方で調べて、メールマガジンとして皆さんにお送りしました。徐々に質問をいただくことが多くなり、それが知識の蓄積につながっただけでなく、事業化する土台になりました。

 多くの企業が在宅勤務の中でスタッフも出勤できないので、会社で行うべき作業ができません。そのため外国人の入国を申請する作業を弊社が代行することが多くなりました。その当時、区(ホーチミン市行政の最小単位)をまたぐ移動も制限されていました。私だけがオフィスに出勤し、スタッフに連絡して、要請があった企業の申請書類をベトナム語で準備してもらいました。スタッフには郵送が必要な企業への宛名書きを作成してもらい、私が郵便物を作り、スタッフが事業者に連絡して書類をお送りしていました。私が作業者でスタッフが指示する役回りで物事を進めました。いつもとは反対の役割でしたが、特別便による外国人のベトナム入国のお手伝いが新たな仕事になりました。コロナ禍を乗越えられたのは、この仕事ができたことが大きかったです。その時に得た教訓は、何もできないからこそできることはすべてやるということでしょうか?

5,人を管理するために必要な考え方の軸

 私の営業活動などを振り返ってきましたが、人を管理することの方が難しいことを実感しています。弊社のベトナム人スタッフもベトナム労働法を根拠に自分の権利の主張をしてくることも多いです。法律に沿わない対応をしていると、後々その解決が難しくなりますので、極力法律に沿った運用をすることを心がけています。

 次に世代間のギャップに関することです。若い社員はコロナ禍の影響もあり在宅勤務や自分お趣味やプライベートを大事にする傾向が強くなっています。日本の若者もそうでしょうが、ベトナムでも同様の傾向があります。私の世代は残業が当たり前で、営業を担当した時は営業手当が残業代の代わりとみなされ、残業代をもらったことはありませんでした。しかしながら、今の時代でこれをしたら明らかに時代錯誤になってしまい、誰もついてこないでしょう。ベトナムのホワイトカラーも残業を好まなくなっています。

 私の20代生保社員の当時は、営業所長の下で主任として勤務していた時は、仕事が終わった20時以降に「飲みニケーション」の毎日でした。それも1日の活動の反省と注意を求められ、拷問のような「飲みニケーション」だった時もありました。もちろん上司と親しくなるきっかけになるような楽しい時もありました。私たちの世代は終業後の「飲みニケーション」で不安や不満を解消してきた傾向がありますが、現代はそんな働き方に変わることはないでしょう。

 最近はSDGsが重視されることもあり、企業にはその役割を求められているように思えます。女性が社会進出する傾向がある中で飲み会でのハラスメントのリスクも増えています。今後はシニア世代の再雇用が増えていくとなると、ジェネレーションギャップの埋め方ができる企業が伸びていくのではと思います。企業と言いましたが、そのジェネレーションギャップを埋める役割が管理職に求められるようになります。

 私が社長を務めるベトナムの会社は創業16年になるので、40代の社員から20代の社員まで幅広い年齢層になりました。入社は全員が20代の入社でしたが、入社年度によって年齢が幅広くなりました。ベトナムといえども世代間のギャップは存在します。年齢が若い世代は、SNSが得意で会社よりは友達との交流が盛んです。ITリテラシーのない私には能力を補完してくれる重要な存在ともいえます。また、若い人から得られるのは、固定観念を取り払ってくれる良質なカンフル剤の役割です。若い人の価値観は、私たちの世代と変わってきています。自分や会社の利益よりも社会をよくしたいと考える人が多いようにも感じます。Z世代は未来がたくさんあるからこそ、社会的な方法や将来の世界に目が向いています。

 社会は多くの人のための改革が打ち出されるのですが、実態は人のためになっていないこともあります。「働き方改革」で時間外労働の規制が強くなりました。仕事量が減らないで時間短縮だけが求められる中で、「隠れ残業」をする人もいるようです。それによるうつ病発症の確率が増えているとも聞きます。それは実質的な改革ではなく、形だけやっているふりをしていることに変わりません。

 何が正しいと思うのかの軸を持つことは重要です。そのぶれない軸があることで判断の仕方は変わります。軸を持たないと形だけの「正義」を振りかざすだけでは、人の納得には至りません。「働き方改革」は、政府や会社が言っているからやらなければならないわけではありません。人々の幸福に支障があるから解決するために考えられたことです。相手の社会的立場を認めて相手が納得できる考え方を示す、あるいは相手の心を動かす力のある人が良い管理者になれるように思います。

 管理者をして何年も経ちますが、良い管理者になることはなかなか難しいものです。ただ、日々起こってくる問題に逃げないことによって対応力がついてくるのではと思っています。そして自分の頭で試行錯誤してみることも重要です。誰かの助言でその人の人格にない対応をしても化けの皮がはがれます。自分の能力を生かせること、仕事が面白いと感じること、部下がここで働くことを良い選択と思ってもらえること、何よりも社会に役に立っていると感じることができる仕事ができることが幸せなことだと思いつつ、ベトナムでの管理職を続けています。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。