「どうでもいい仕事」の解消と労働生産性の改善策

1.日本の労働生産性は先進国最下位

 日本の労働生産性は先進7か国では1970年以降最下位が続いていることを伝えたことがあります。また、経済協力開発機構(OECD)加盟国35か国中で22位と下位に位置しています。日本は長時間労働のうえ労働生産性が低いという問題を抱えています。日本の労働生産性が低い理由は、付加価値を生み出す力が弱いこと、また一つの仕事に関わる人が多く、時間をかけすぎていることです。日本はモノづくり国家といわれていましたが、なぜ労働生産性が低いといわれるようになったのでしょうか?

 現場で汗を流して働いている人に比べて、ホワイトカラーの生産性が低いことが影響している可能性があります。例えば役員が読みやすいように過剰に忖度した丁寧すぎる書類作成、ホッチキスの止め方のルールなど、その組織でしか通用しないルールがびっしりです。一方営業現場ではやたらに電話をして見込み客を見つけ、何度でも訪問するのが営業の鉄則のように、効率より気合を叩きこまれます。顧客の分析やニーズの確認はさておき、売り手側の一方通行による体力勝負の営業が推奨されることが多いです。

 さらに日本企業は会議が多いのも特徴です。日本企業は集団で決めることが大前提になっている仕組みも要因です。日本社会は同調圧力が強い傾向があり、新しい発想が出てきません。そのため人と違うことを避けようとする傾向があります。付加価値が低いのはそれも要因かもしれません。

 このような労働生産性の低さの原因には、モノづくりが少なくなってきていることも要因ではないかと思います。モノを作り出す仕事は目に見えます。関わる人によって生産性が高いか低いかもすぐわかります。品質が高いか低いかもすぐわかります。ところがオフィス労働はその基準が分かりません。上司の評価が重要ですから、生産性が高いか低いかなどに関心はありません。オフィス労働などは極力人数を減らして、その分現場の業務に回す方が労働生産性は上がるのではと考えるのは単純でしょうか?

2.政府が「働き方改革」を提唱する理由とは

 労働生産性が低いからだけではないのですが、日本政府は「働き方改革」を提唱しています。なぜ今、「働き方改革」なのか、その背景を考えてみましょう。日本の将来の人口予測は2050年には9000万人、2105年には4500万人になることが予想されています。その上、生産年齢人口(15~65歳)が毎年急速に減少してきています。高齢化と少子化が原因です。日本は働き手を増やさないと現在の経済規模を維持していけません。そのことも含めての「働き方改革」を提唱する理由があります。「働き方改革」と同時に「一億総活躍社会」という表現がありますが、労働力不足をみんなが働くことで解消しようとする意味での表現です。

 労働力不足を解消するための方法はそんなにありません。どれも難問ではあります。政府が考えている労働力不足を解消する対策は以下の3つです。

・労働市場に参加していない人の参加(高齢者や女性など)

・出生率を引上げて将来の労働人口を増やす

・労働生産性を上げる

 労働市場に参加していない人に参加してもらうことは、高齢者や女性の活用ということになるかと思います。高齢者が短時間でも勤務しやすい就労の方法を考える必要があります。豊富な人生経験を活用できるタイプの仕事、熟練した技術を継承させる仕事などが考えられます。外国人労働者を増やすというようなことも考えられますが、国際的に評判の悪い技能実習生制度のような方法は、次第に変わっていくことでしょう。また、日本で働く外国人にとっては、在留資格などの障壁も高いこともあり、ほかの国に流れる傾向も最近は顕著です。加えて日本人が外国人の居住を関して、一定数の反対意見も根強いのでそう簡単なことではありません。

 次に出生率を上げるためには、若い世代がゆとりを持って働ける環境が必要だと思います。そのためには、長時間労働の解消や非正規労働者の解消など、出産や育児をしやすい環境を整える必要があると思います。日本が長期停滞に陥っている中で、雇用に関する制度改革は困難さが増しています。喫緊の課題ではありながらなかなか有効な効果が表れません。

 次に労働生産性を上げることですが、日本ではなぜ労働生産性が低くなったのか理由を分析することが重要です。無駄な仕事が多いことも事実だと思いますが、労働生産性とは付加価値をどれだけ作り出せたかの指標です。労働によって生まれた付加価値が少ないということになります。その理由としては、高付加価値の製品やサービスの提供ができていないこともあると思いますが、価格が上げられないデフレ社会になっていることも要因と思います。

3.『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』について

 ところで、日本の労働生産性が低い原因を検索している中で、発見した書籍がありました。価格が高い(4070円)ので電子書籍を購入するか迷ったのですが、読む価値がありそうで購入しました。

 タイトルが『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』という書籍です。著者はアメリカの人類学者のデヴィッド・グレーバー氏で、2018年にアメリカで出版されました。日本では2020年岩波書店から翻訳版が出版されたのですが、翻訳版の出版のすぐ後に滞在先のヴェネツィアで急逝されたようです。写真を見るとまだ比較的に若い著者のように思いますが、この著書が遺作になりました。読み進めていくと、歯に衣着せぬ表現に気持ちよく感じるくらいです。

 ブルシットのもとの意味は、「牛の糞」ですが、「馬鹿馬鹿しい」、「無意味な」という意味があるようです。ブルシット・ジョブとは、雇用されている本人さえ、その存在を正当化しがたいほど、完全に無意味で、不必要で、有害でもある労働であるとしています。そのうえで雇用される本人は、意識的にそうではないと取り繕わざるを得ない結果、自分の仕事から精神的なダメージを受けてしまいます。生活費を稼ぐ以外の意義を見出せない「意義の欠如」が人を苦しめるのです。

 この著書では5種類の「ブルシット・ジョブ」を説明しています。

(1)Flunkies 取り巻き

誰かを偉そうに見せる、あるいは偉そうな気分を味わわせるためだけに存在する仕事。例:受付係、ドア・アテンダント

(2)Goons 脅し屋

雇用主のために他人を脅したり、欺いたりする存在する仕事。例:セールスマン、ロビイスト、企業弁護士、広報スペシャリストなど、

(3)Duct Tappers 尻ぬぐい

組織の中に存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在する仕事。例:粗雑なコードを修復するプログラマー、荷物が到着しない乗客を落ち着かせる航空会社のデスクスタッフ、コールセンタースタッフ

(4)Box Tickers 書類穴埋め人

組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するための存在する仕事。あるいは誰も読まない書類を作る存在。例:調査管理者、社内の雑誌ジャーナリスト、企業コンプライアンス担当者

(5)Task Masters タスクマスター

他人に仕事を割り当てるためだけに存在する仕事。例:中間管理職、リーダーシップ専門家など。

 この著書では「1970年代に生産性の上昇と報酬の上昇は分岐していく過程があったこと」から、そのようなジョブが登場していると分析しています。「労働者の報酬は平行線をたどっているのに対して、生産性は飛躍的に上昇した」として、「生産性の上昇から得られた収益は、1%の最富裕層、すなわち投資家、企業幹部に流れた」としています。その結果として、「生産性上昇による利益のかなりの部分が、まったく新しい基本的に無意味な専門的管理者の地位や無駄な事務職員を作り出すために投入されているのである」としています。

 要するに現場で生産性を上げた利益が、本部(本社)など生産性に関連しない無意味な仕事に回されているということです。ある面で示唆に富んだ指摘に思われます。ただ、今までの組織形態で優遇されている者が管理をしていますので、長時間労働や努力主義的な考え方をなかなか変えられないのでしょう。

4.解決策としてのベーシックインカム

 イギリスの経済学者ケインズは、1930年の講演で、「2030年には人々の労働時間が週15時間になる。21世紀の最大の課題は余暇だ。」と予測した話は有名です。ところがそれは実現していません。本来であればその予言に近づくはずなのに、代わりに「ブルシット・ジョブ」が妨げているのです。

 「ブルシット・ジョブ」が存在する理由は、一生懸命に長時間働くことが尊いことだというコンセンサス(社会的合意)により、従業員にストライキや政治闘争を起こさせなくされていると著者は言います。プロテスタントの教えにも長時間労働そのものが、精神的支えになっている面もあるとしています。効率化することが管理職の仕事を奪うことになることから、ブルシット・ジョブをなくす方向にならないとの見解です。

 その解決策として著者はベーシックインカムを提案しています。ベーシックインカムは、最低限所得保障の一種で、政府が全国民に対して 、決められた額を定期的に預金口座に支給するという政策です。このインカムの原資として、機械やAIの自動化によって利益を得られる企業に課せされた税金を使うことを想定しています。ベーシックインカム導入によって、どうでもいい仕事から解放されて、個人より意義の感じられることに時間を使うことができるようになるとしています。

 ただ、ベーシックインカムには賛否両論があります。何もしなくても収入が得られることは、人を堕落させるのではという考え方もあります。しかし、ある程度余裕を持って働けば、自分が好む選択が可能になり、余暇やボランティアに時間を使えるようになります。その結果、充実した生活を送れるようになるかもしれません。安定的な財源が保証されれば、そのような政策も一概に否定する必要はないかと思います。お金のための労働から、自己実現のために時間が割けるならばとても良いことです。第2章,第3章については、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』からヒントを得て書かせていただきました。

5.海外との比較による日本の強みと弱み

 労働生産性について遠回りして考えてきましたが、私がベトナムにいて垣間見る人々の生活や企業活動の様子から思うことを最後にまとめます。日本人の国民性に関しては「勤勉でまじめ」というイメージが強いと思います。そのことも労働生産性が低いとは思わない、あるいは認めない風潮を作っているように思います。「勤勉でまじめは」事実とは思いますが、柔軟な考えも必要になっています。

 そもそも労働生産性とは生産性を定量的に表す指標です。労働投入量(労働人員数・労働時間数)を分母にして、生み出した経済的成果(付加価値)を分子にして計算されます。そのため分母の労働投入量が少なくなれば、労働生産性は上がります。働き方改革は労働生産性を上げることでもありますが、日本では生産人口がどんどん減少します。自虐的な見方ですが、労働投入量という分母が縮小し、労働生産性は次第に改善するかもしれません。

「まじめで勤勉」という日本人のイメージに戻ってみましょう。私の会社で働いているベトナム人の社員を見ても、ある程度「まじめで勤勉」ではあります。ただ、残業はほとんどしません。製造業のワーカーは残業があった方が給料は増えるので好んで残業をすると聞きますが、弊社の社員はそうではありません。労働時間外は家族や友達と楽しむか、勉強のため学校などに通って時間を使います。言い換えてみると、自分のために時間に投資をしています。人に合わせるための「まじめで勤勉」ではなく、自分のための「まじめで勤勉」です。

 一方でベトナムの社会の変化を感じることがあります。特にIT利用が進んでいることです。社員を見ていると、物を買うときはグラブバイクで商品を取り寄せています。通販サイトを使って、化粧品、衣類、PCの周辺機器を取り寄せています。また、社員を採用するときには、私が依頼して社員がSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に投稿を出して応募します。社員がウェブ面談をしたうえで、私が実際に面接する仕組みです。そのようにベトナム人にとって、IT利用は必須になっています。会社の業務のなかで、外国人のビザの取得や労働許可の取得の業務は、公的機関への申請もオンライン化されるようになってきました。ベトナム企業から送られてくる不動産情報は、ドローンで撮影された動画が送られてきます。レストランに行くと、QRコードを読み込んで食べたい商品を選択し、それが調理場に直結する仕組みです。ただし、慣れない仕組みを急に導入されても、利用客には決して便利とは思えませんが、実験的な導入をむくめてどんどん変わっていきます。

 日本のIT利用はコスト削減などの目的が多いのですが、ベトナムで見ているとビジネスモデルがどんどん変わっていることを感じます。社会が変化しているということです。そのことで新しい産業が生まれてきています。その点で日本は変化が遅く、新ビジネスが生まれづらいこともあるかもしれません。

 ただ、日本が世界中から評価されてきたことはあります。それはサービスや製品の「質」に対する評価です。モノの品質は精密です。ベトナムの建設会社の建てたコンドミニアムを見ても、数倍日本のマンションの方が精巧に作られています。また、日本のレストランやコンビニの店員の動きも数倍日本の方が優れています。ただ、日本がモノづくりの現場を海外に移したことが、その技術力の劣化を招き始めています。コンビニやレストランの店員に至っては外国人の占率が高く、エッシェンシャルワークは外国人でカバーしています。

 日本の労働生産性の向上のためには、モノづくりの日本回帰という従来の成功した経験を取り戻すことと、そのうえで最新のIT技術の導入によるビジネスモデルの革新に取り組み、新たなビジネスモデルが登場することで、人口減少時代の日本の再生のきっかけになるように思います。

以上