第一次・第二次世界大戦の歴史から読み解く混乱の未来

 2022年5月17日

1,岸田首相の5月外遊から読み解く国際情勢

 岸田首相は4月29日から始まったゴールデンウィークの期間8日間の日程で東南アジアとヨーロッパの5か国を訪問しました。5か国とは訪問の順番から書くとインドネシア、ベトナム、タイ、イタリア、イギリスの5か国(実際は6か国)を訪問しています。最初の訪問国インドネシアは今年秋に行われる予定のG20の議長国です。ロシア、中国への対応を連携するうえでの重要性が高いと判断したものと思います。ベトナム、タイについても中国の台頭を念頭に、日本との関係強化を図れる訪問すべき国との認識があったものと思います。また東南アジアは中国との関係性も強いこともあり「自由で開かれたインド太平洋」の日本が持ち出した構想を含めこの訪問国は重要と判断をしているのでしょう。

 ヨーロッパでは対ロシアに対する認識に日本との共通性の高いイタリアとイギリスが今回の外遊には選ばれたものと思います。両国ともG7メンバーであり、今後ロシア包囲網を形成するために重要と考えているものと思います。ただし、イタリアは公式予定はそれほどなく、ローマ教皇との会談も入れられており、二つ合わせて表敬訪問という意味合いがあったものと思います。ローマ教皇がいるのはバチカン市国ですので正確には訪問国は6か国になりますがあまりに近隣です。

 イギリスについてはジョンソン首相との意見交換については重視していたものと思われます。第一次大戦時には日英同盟によって日本は救われた歴史がありました。岸田首相はイギリスで記者会見をして、「国際社会が歴史的な岐路に立つ中、東南アジア、ヨーロッパの合わせて6か国を『平和を守る』との目的で訪問し確かな成果を得たと手応えを感じている」と強調しましたが、歴史的岐路に立っているという認識は間違いないかもしれません。

 今回の外遊について日本の今後を考えるならば、東南アジアとヨーロッパ国を巻き込んで、ロシア、中国に対する包囲網を築いていこうとする日本政府の考え方が見えるような気がします。このような情勢ではますます外交は重要になっています。

2,第一次世界大戦勃発の原因となるヨーロッパの対立

 ロシア・ウクライナ戦争が第三次世界大戦につながるのではないかと心配されています。そうならないことを祈るばかりですが、まずは第一次世界大戦の原因を簡単にみていきましょう。第一次世界大戦は1914年から1918年にかけてドイツ、オーストリア、イタリアの同盟国とイギリス、フランス、ロシアを中心とした三国協商国が対立し戦争に発展したものです。19世紀末、欧米諸国は植民地を広げていました。その中でヨーロッパの内部では領土問題、民族問題などの対立が起こっていました。特にギリシャやセルビアなどの国があったバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」といわれるほど民族対立、宗教対立が激化していました。戦争の発端はオーストリアの皇太子がサラエボでスラブ系のセルビア人に暗殺されたのがきっかけでした。

 しかしそれはきっかけに過ぎず、それまでの植民地獲得競争が影響しています。イギリスとフランスはアフリカで植民地のすみ分けに成功していました。ドイツは3B政策と言って、ベルリン、ビザンチウム(今のイスタンブール)、バクダットに鉄道を建設して支配力を強めようとしていました。そこに南下政策を進めていたロシアと対立が深まっていました。その対立のさなかに起こったオーストラリア皇太子の暗殺を契機に戦争に発展しました。

 ヨーロッパが対立していた構図は、フランスの作家ドーデの「最後の授業」からも読み取れます。小説の一部を紹介しましょう。ある日、遅刻して学校に行った少年が先生に怒られるわけでなく、着席するようにやさしく促されました。先生からフランス語の授業は今日が最後だと伝えられたのです。この地域のアルザス・ロレーヌ地域は、フランスとプロイセン(今のドイツと考えてください)の戦争で、フランスが負けたためにプロイセンに併合されました。最後の授業の時の先生の話が有名です。「ある民族が奴隷になっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているいるようなものです」。力による国境線を引いても、言語、文化、伝統を守り続けている限りは、その民族の一体性は消えないということでしょう。いつか領土が戻ることもあるでしょう。

 ヨーロッパを主戦場とした戦争では、新兵器が開発されていたこともあり、死者数が大幅に増えました。また、経済的にも疲弊し、世界経済の中心はアメリカに移っていきました。アメリカはイギリス、フランス、ロシアの協商国を支援し、日本は日英同盟により支援をしていました。結局はイギリス、フランス、ロシアの協商国が勝利をしましたが、ヨーロッパには大きな傷跡が残りました。また、この戦争でオスマン帝国が消滅し、サイクス・ピコ協定というオスマン帝国解体案に沿って中東の国の境界が決められました。アラブ人の独立やユダヤ人国家の建設の約束など、この地域の将来に引き継がれる矛盾は、この戦争の処理が影響しています。また、この戦争の期間に発生したのが、1918年から1919年のスペイン風邪というパンデミックでした。スペイン風邪といわれますが、アメリカが参戦した時に当初アメリカで発生していた感染症が、この戦争によって、ヨーロッパに派遣された米兵によってもたらされたともいわれています。そしてパンデミックが戦争を終結させたともいわれています。

3,第二次世界大戦の引き金は何だったのか?

 第一次大戦の終結、ロシア革命、スペイン風邪の終結など歴史的な事件の後、世界経済の中心はアメリカに代わっていました。ヨーロッパが戦場の中心になり、大戦で大きな被害がありました。アメリカは物資の不足や軍需産業の発展を契機に経済の中心の地位を固めていきました。しかし、ヨーロッパも戦後徐々に復興して、生産が再開されました。世界経済はアメリカの好況とヨーロッパの復興により景気が回復していきましたが、結果としてそれが思わぬ落とし穴になりました。

 1928年10月24日、世界恐慌のきっかけとなる「ブラック・サーズデー(暗黒の木曜日)」がニューヨークのウォール街で発生しました。1920年代戦後の好況の中で、資本・設備の過剰な投資が行われました。アメリカは第一次大戦で高まった需要の唯一の供給大国になりました。そこで株式市場が盛況になり、企業への資金供給が加速したことから設備投資が拡大し、自動車、住宅、ラジオ、洗濯機、化粧品などの消費財が大量に生産されました。1920年代のアメリカは大量生産・大量消費の社会です。コカコーラが発売されたのもこのころです。それらの消費財を製造する企業は、空前の株式ブームという過剰な投資のおかげで更なる設備投資をし、増産体制を築きました。これがバブルを生んだということです。

 同時期にヨーロッパが経済回復していく中で、アメリカで過剰生産された商品がだぶつき始めました。人々は好景気に沸きに、過剰に在庫が増えていることには気が付きませんでした。一部投資家が気付き始めたころ、株式の投げ売りが始まりました。それが「暗黒の木曜日」と言われる大暴落の引き金になりました。不況の時よりも好況の時の方が、人の気持ちを高揚させ、気が付かないうちにリスクをため込むことになるのです。

 第一次大戦後、世界最大の債権国になっていたアメリカですので、世界経済はアメリカに依存を強めていました。そのアメリカ経済が暴落したことで一気に不況が全世界に拡大しました。特にドイツは第一次大戦の多額の賠償金の支払いをベルサイユ条約で決められていましたが、アメリカから借りることで何とか支払っていました、ところがこの大恐慌でその支払いがとどまることにもなり、英・仏・露との関係も悪化しました。そのような状況の中で多くの国が疲弊していきました。

 その不況を乗り切るための対策として登場したのがケインズ主義の経済思想です。巨額の公共投資を行い失業者に仕事を与え、不況からの脱出を図る考え方です。アメリカのニューディール政策が有名です。このことが自由主義経済から大きな政府、国家主導の政治経済体制に転換するきっかけにもなりました。。

 もう一つがブロック経済という考え方です。ヨーロッパは植民地を多数持っていました。その植民地とだけ取引ができる体制をブロック経済といいます。自国第一主義、あるいはグループになる国だけを支えあう体制です。各国がブロック経済に移行し、グループ内の経済圏での保護貿易によって自国とそのグループだけの経済を守るのが目的です。植民地の多かったイギリスがポンドブロック(スターリングブロック)、フランスがフランブロック、アメリカは南北アメリカ大陸の国をドルブロックとしてまとめました。ロシアはソビエト連邦として近隣の国々を飲み込んでいたことや社会主義の計画経済体制もあり独自路線を進むことができました。

 しかし、その当時植民地を持たない、ドイツ、イタリア、日本がほかのブロック経済体制に対応をするため、新たなブロックを形成しよう考えました。その経済圏を拡大しようとしたことにより、世界あちこちでの紛争が発生しました。日本が関与したのが盧構橋事件を含めた満州事変です。ドイツ、イタリア、日本のブロック経済圏を作ろうとするための紛争が第二次世界大戦のきっかけになったのです。ドイツはオーストリアやチェコスロバキアを併合し、さらに経済力が弱かった東ヨーロッパに侵攻しました。有名なミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台はドイツに支配されたオーストリアです。イタリアはバルカン半島のアルバニアやその当時アフリカで唯一の独立国のエチオピアに侵攻しました。そして日本は満州および大東亜共栄圏構想でアジアや南太平洋に侵攻しました。日本、ドイツ、イタリアは三国同盟を結び協力するようになりました。

 一方三国同盟に対峙したのが、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の連合国です。戦争の結果は連合国が勝利し、終戦後国際連合が創設されました。国際連合の英語名称は、The United Nationsとなりますが、直訳すると「連合国」です。国連の常任理事国がこの5か国で構成されていますが、第二次世界大戦の戦勝国を中心とする構図を保った機関である国連は、もはや機能不全になっているのは当然ともいえるでしょう。

4, 今後世界で起こりうる混乱の不安定要因

 第一次世界大戦と第二次世界大戦の経緯を見てきました。私は今の時代において歴史から学ぶことが重要と考えています。直近で起こっているのは、大規模なパンデミック、大規模な紛争です。そこから大きな戦争に拡大する要因は、経済的なバランスが崩れることです。経済的に苦しくなった国が解決のために苦し紛れの対応を仕掛けることで紛争が拡大しています。

 パンデミックの対応もそれぞれの国で極端に違います。中国は習近平政権の威信にかけてゼロコロナ政策をとっています。武漢での徹底的な隔離の成功事例があり、今回も上海、北京で徹底した対策をとっています。一方、私の住んでいるベトナムは、5月15日海外から航空機の搭乗のための陰性証明書の提示が不要になりました。それで規制はすべてなくなり、全くコロナ前の状態に戻りました。日本は外国人の訪日の拡大に動こうとしています。今、日本が稼ぐ方法は、外国人に訪日してもらいお金を落としてもらうのが得策です。円安日本は外国人にとっては魅力的です。日本経済を貧しくしないためには外国人の旅行者を増やすのも今やるべきことでしょう。

 激動の時代になりました。この先、急激に貧しくなってしまう国は暴走する可能性があります。危機の時にそれぞれの国が取る政策は、自国を豊かにするためには関与地域や支配地域を広げることで活路を開こうとします。または、財政出動して、事業や産業を育てることで自国の失業者を救済することで危機を脱しようとします。しかし、それぞれの相対する思惑が衝突した時に戦争が起こっています。

 今回の大規模な紛争は何をもたらす可能性があるでしょうか?エネルギーの不足、食糧の不足という事態が起きることが想定できます。そのような事態になると限られた食糧やエネルギーを自国やグループのみで独占しようとの動きになります。それは政治経済のブロック化です。どちらの陣営に与するのが得かを迫られます。日本は明らかにアメリカを中心とした陣営に与しています。今後もさらにアメリカへの依存を強めていくことでしょう。現在でも東京の大部分の空域(横田空域)や米軍基地のある地域の制空権は日本ではなくアメリカが持っています。そのことは日本がアメリカに従属していて、簡単には離れることができないことを物語っています。

 政治で最近顕著な動きがあります。それは自国第一主義的な考え方です。それはアメリカでもロシアでも起こっています。日本も近隣の国への嫌悪感の増幅は、そうなり始めていることを表しているのでしょう。ヨーロッパの国でも極右政党の台頭という言葉を聞きます。そのようなナショナリズムの傾向が強くなることで、自国以外には非寛容の思想が広まり、小競り合いのリスクはさらに高まることでしょう。

 同時にこの地球に起こりまじめているのが、地球温暖化と気候変動リスクの拡大です。SDG`sで唱えられている持続可能な発展の目標では、環境問題の対応を強く求めています。しかし、その目標がうまく達成されず気候変動や環境問題で食糧や水の不足という事態になれば、それの奪い合いが起こる可能性があります。

 世界的なパンデミックの影響で、人間社会が内向きになってきている傾向があります。在宅勤務をはじめ出張も少なくなりました。海外にいる私から見るとオンラインである程度のコミュニケーションと業務の対応ができれば、お金をかけて出張する必要はありません。そのためリアルに人と接触する必要はなくなることで、深い相互理解の場面は失われるのではと思います。それぞれが自分の都合よいことしか考えられなくなっている可能性があります。

 それと同時に経済社会がより一層ITに依存するようになっていることです。IT依存が強まることで、産業や職業に大きな変化が生まれるかもしれません。IT分野のプラットホームになりうる事業を日本はほとんど持っていません。そのことも失業者を生む可能性が考えられます。

 このように将来の社会はリスクがたくさんあります。貧乏になり始めた国は何とか脱するために必死になります。エネルギーや食糧の奪い合いに組み込まれないような日本の外交における立ち位置の確保が非常に重要な時代を迎えていると思います。

以上