西田俊哉のベトナム・フォー・パラダイス(2021年4月投稿分 差別を生む空気と格差社会)

 2021年4月17日

FM桐生2021年4月原稿

1、アメリカで多発するアジア系住民への差別と暴力

 アメリカではアジア系住民に対する差別や暴力が相次いでいると報道されています。3月には南部ジョージア州のマッサージ店などで男が銃を発砲し、アジア系住民6人を含む8人が死亡する事件が起きました。2月25日にはロスアンジェルスの東本願寺別院が白人とみられる男に放火された事件のほか、アジア系住民が暴力に遭ったリアルな映像があちこちで報道されています。

 アジア系の住民への差別や暴力のきっかけは、新型コロナウィルスが中国武漢から始まったことをトランプ前大統領が、「チャイナウィルス」といい、中国にすべての責任があると批判していたことが大きいと思います。白人系の不満を抱えた人たちが、中国を始めアジア系(東アジア系)の人たちにうっぷんを晴らすために差別的な空気が広がっているように感じられます。そもそもアメリカは元来、白人系の人たちは有色系の人種に対する差別意識には根深いものがあります。

 トランプ前大統領は、どんなに批判されても、白人至上主義の団体を糾弾するようなことはせず、白人の立場を擁護する側にいたように感じます。その姿勢に不満を抱えている白人層の支持を集めていたようにも見えました。アメリカは重化学工業が盛んだったころ、活躍の中心的な役割を担ったのは白人でした。その分野が価格の安い海外に流出するようになるとラストベルト(錆びついた工業地帯)と言われるように産業が衰退していきました。仕事を奪われた先はアジアの新興国だったのです。

 トランプ政権とはかなり違いはありますが、バイデン政権も中国への人権問題で強く批判しています。アメリカと中国の主導権争いは今後もますます拡大していく様相を呈しています。このようにアメリカと中国の争いは今後の世界政治の中心的な問題になっていきそうです。中国は反アメリカの考えを持った国とも連携する傾向も見え始めています。このようなことからもアメリカのアジア人差別は今後も続くかもしれません。

2、黄禍論の歴史を考える

 19世紀末から20世紀前半にかけて、YELLOW PERIL(黄色人種の危険)と言われる考え方が、アングロ・アメリカ、オーストレイシア(以上の二つの呼称はヨーロッパ系の人種が住みついた地域のことを指しています)、南アフリカ、ヨーロッパで拡がっていた時期があります。地域と国の名前が入り混じっていますが、白人が多く住んでいる地域で拡がった考え方でした。アジア人による脅威の拡大を問題視した考え方で、日本では黄禍論という言葉を使います。

 このような考え方の誕生には、アジア人移民の増加やアジア諸国の影響力の拡大が影響していました。1850年代にはカリフォルニアやオーストラリアで金が発見されると、その地域に多くの中国人が移民していました。それに対する白人の移民たちは、中国人に対して嫌悪感を抱いていました。

 また、後進国と思われていた日本が日清戦争で勝利すると、日本の中国進出を脅威と捉えられました。満州の進出をたくらんでいたロシアが、フランスとドイツを巻き込んで、遼東半島の日本支配を止めようとしたのが『三国干渉』と言われるものです。下関条約で清から日本へ遼東半島の割譲することが約束されたのですが、日本に返還を迫り、日本は飲まざるを得なくなりました。ロシアにとっては、不凍港である遼東半島を日本に支配されることはどうしても避けたいことでした。その当時の黄禍論も相まって、西洋諸国は得体のしれない東アジアの国が力をつけられることを抑えるために、圧力をかけてでも止めようとしました。そのためにロシアは下関条約でいったん決まった遼東半島を清が日本に譲ることを認めないように仲間を作りました。このような考え方になるのは、それぞれの国の事情は異なりますが、黄禍論の台頭により、黄色人種の進出を止めなくてはいけないという白人中心主義が根底にあります。

 更に歴史をさかのぼるとモンゴル帝国(元)が強大な勢力を拡大していた時期に、ヨーロッパの白人たちは黄色人種に苦しめられた歴史がありました。ヨーロッパ系の白人にとって、言語、習慣、宗教、容貌の異なる黄色人種は、劣等であるが凶暴で注意しなければならない存在と考えられていました。1800年代後半から、1900年代前半の黄禍論の対象は主に中国人と日本人でした。現実にアメリカでは、1882年に排華移民法が制定され、1924年には排日移民法が制定されています。当時のアメリカは反中、反日でしたが、それも黄色人種に対する様々な嫌悪感から発するものでした。

3、多発する差別と急速に拡大する格差社会

 つい最近も、「Black Lives Matter」という言葉が有名になりました。黒人差別に関する怒りの声を象徴する言葉です。黒人差別の問題は奴隷制以降、長く続いている差別の問題です。それ以外にも国として人種差別政策を取っていた国が最近までありました。人種差別と言えば学生時代に習ったことがあるのは、アパルトヘイトと白豪主義という言葉です。アパルトヘイトは南アフリカの人種隔離政策のこと。住むところや職業などに人種による制限を設けたことです。南アフリカ政府は黒人の居住地と職業に制限をかけました。白豪主義はオーストラリアの移民制限(英国系以外は原則禁止)や事業制限(英国系人でないと事業を興せなかった)や原住民の隔離や原住民と白人との間の子供は一カ所に集めて国が教育を行ったりした人種差別的政策です。

 最近ではミャンマーのロヒンギャ問題もありました。ロヒンギャはベンガル(バングラデシュ)系の民族でイスラム教を信仰する人々ですが、違法入国者という扱いで国籍さえも認められていない人が多いようです。そのため不法移民扱いをされているようです。

 日本はというとジェンダーギャップ(男女格差)が先進国中圧倒的に最下位とのニュースがありました。世界経済フォーラム(WEF)が2021年3月31日公表した「ジェンダーギャップ(男女格差)リポート」で、日本は156カ国中120位でした。2019年12月調査の121位から1つだけ順位を上げたものの、下位グループから抜け出すことはできていません。特に政治分野や経済分野で女性進出が遅れているようです。ベトナムにいると女性の社長や管理職がたくさんいます。女性の産休や出産支援の社会制度は充実していて女性が活躍しやすい社会になっています。そのような例を見ても日本は改善しなければならないところはたくさんあると思います。

 そもそも格差社会とは、収入や財産によって人間社会の構成員に階層化が生じ、階層間の遷移が困難である状態になっている社会のことを言います。いったんその階層に入ってしまうと抜け出ることができないと言うことです。そのため社会的地位の変化が困難になり、社会移動が少なく閉鎖性が強くなる社会を意味しています。アジア系住民への差別暴力もそんな閉鎖性を生んでいる社会の変化と無関係ではないように感じます。

4、差別を生む考え方 「優生思想」

 これらの差別的な考え方の土台になっているのは、「優生思想」です。優良な遺伝子とそうでない遺伝子があり、優秀ではない遺伝子は残さないようにしようとする思想です。その結果、命に優劣をつけ選別する考え方になりました。20世紀初頭に欧米諸国で盛んになり、20世紀前半のドイツでは、障害のある人に対し、「断種法」に基づく強制的な不妊手術や、「T4作戦」と呼ばれる計画的な大量殺りくが行われました。

 このような優生思想を政治に持ち込んだのがヒトラーです。ドイツ民族は精神・肉体とも遺伝的に優れていると主張していたヒトラーは、その著作で優生思想への傾倒をはっきりと記しています。「肉体的にも精神的にも不健康で無価値な者は、子孫の体にその苦悩を引き継がせてはならない」とヒトラーの著書、『我が闘争』には書かれています。ヒトラーの言葉は人間の心にある本音にも由来するかもしれません。しかし、その考えに歯止めがかけられないと必ず暴走します。

 ヒトラーの過ちは、社会をうまく操作すれば健康な社会が作れるという幻想です。根底には多様性の排除、自分たちは優秀でそれ以外は認めないと言う排除の論理です。ヒトラーのドイツは、国民全体を健康にするためには一部は犠牲にすることは悪ではないと考えるようになり、一層過激に拡大していきました。ユダヤ人の虐殺の前にドイツで起こっていたことは、この優生思想の徹底でした。

 ナチスが政権をとるとその思想が法律として結実します。「遺伝病の子孫の出生を予防する法律」、通称「断種法」です。当時、遺伝すると思われていた知的障害や精神障害などのある人は、不妊手術を受けなければならないとされたのです。断種法制定の3年後の1936年にベルリン・オリンピックが開催され、ヒトラーはドイツ民族の優秀さを国内外に誇示する機会として政治利用しました。国民の士気を高め、支持を集めることに成功した裏で、障害のある人の殺害計画が動き出したのです。

 「病気の状態が深刻で、治療できない患者を安楽死させる権限を与える」とした命令が「T4作戦」と名付けられました。この命令は、実行本部が後に首都・ベルリンのティアガルテン通り4番地に置かれたことから、「T4作戦」と呼ばれました。まず、殺害の対象者を選ぶため、全国の病院や施設にいる患者に対して労働者として使えるかどうかを調査しました。担当の医師たちが「使えない」と判断した場合は、判定欄に印を書き込みました。この調査票をもとに殺害の現場に選ばれたのは人目につきにくい、へんぴな場所にある病院や施設でした。精神障害者や知的障害者、回復の見込みのないとされた疾病の患者などが、連日バスに乗せられ運ばれていきました。患者は到着したその日にガス室に連れて行かれ、殺されたと考えられていますが、闇に葬られている事実です。

 当時の日本でも、そうした影響を受けて旧優生保護法が作られました。1948年から1996年まで施行されていた法律ですが、今でも多くの問題が起こっています。日本の優生保護法とは、「第一条」に “優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的とする”と書かれています。障害をもつ人に、中絶や不妊手術をさせる条文がありました。本人の同意がなくても不妊手術を行うことができたのです。それが、いま問題になっている「強制不妊手術」です。被害を受けた人の数は、分かっているだけでも1万6千を超えると言われます。“遺伝性”とされた疾患の場合は、不妊手術にかかる一切の費用を国が負担していました。このような人権侵害ともいえる法律が最近まで維持されていたのです。

5、社会変化の兆しを読む力

 近年の歴史上起こった差別の問題を見てきました。また、自分たちこそ優秀だと考えることで、そうでない人の排除や虐殺の悲惨な歴史を見てきました。特に最近の差別や暴力の問題から、社会が病み始めている痕跡ではないかと感じることもあります。このような社会の現象の中で大事なことは、差別の兆しを見る力、読む力を養うことかもしれません。ヒトラーのドイツはユダヤ人の大量虐殺に進んでいきましたが、最初のきっかけは、ドイツ人は優秀であり、民族の純血性と身体障害者や精神障害の人を排除しようとしたことがきっかけでした。ヒトラーの最も大切にした考え方は、「世界の最も優秀な民族はドイツ民族」と考えたことです。

 極端な優生思想を持つにいたったことで2016年凄惨な事件は発生しました。相模原市の津久井やまゆり園で起こった施設に入所者への殺人事件です。その容疑者は、入居している障害者は生きるのに値しない人だとの考えを持っていました。その容疑者は自分と同じように考える人もいるはずだと供述していました。常軌を逸した事件ではあるものの、ヒトラーのドイツも政策として実行した、日本にも優生保護法という法律があったことから考えると、人に意識の中にはそのような闇が潜んでいるともいえます。

 人はなぜそのような考えに陥るのかを考えさせられます。いろいろな人がいることを社会が認めなくなった時に閉鎖的な考えが生まれます。多様性を認めない社会です。男女しかり、LGBTしかり、肌の色しかりです。ひとつのものだけを優秀と考えることで、多様性の否定になり、独善的な考えに支配されます。

 人とのかかわりを極端に避けなければいけないコロナ禍の環境下にあって、海外に行くことも海外から人を迎えることも少なくなりました。海外の人と接する機会も少なくなりました。SNSなどを見ていると日本でコロナ感染が減少しないのは、外国人を入れているからだという意見もたくさんあります。自分と違うものは排除しようと考える人も増えているような気がします。

 日本のワイドショーでは、芸能人の不倫などみんなで一斉にバッシングするケースが増えています。水に落ちた犬をみんなで叩く世論の雰囲気があります。批判しやすいことがあれば、みんなで群れて弱くなったものを叩くことで自分の不安から逃げているようにも見えます。耳触りの良い自分の主義に合う情報のみを選んで取り入れること、批判しやすいことには自分とは関係ないにもかかわらず徹底的に批判するようなこと。このような客観的に物事を見えなくなるような社会が、実は危険な社会の兆しのように考えています。

 もしかしたら今の世界は、何十年後かに『あの時が始まりだった』ということがないように祈っています。社会のあちこちにある差別意識ですが、違いを認めない社会が危険性を増すのではと思います。日本ではみんなが同じ行動をとることを暗黙の了解の中で強いています。

 それと同時に格差社会の定着の中で、いったん低収入、非正規雇用の立場に陥ってしまうともうそこから抜け出せない社会になり始めています。お金のある人は株式など資産運用していつでも資金を増やすことができ、新たな投資機会も作れます。しかし、低所得の人は、日々の生活に余裕がなく、そこから抜けられない社会です。多様性ではなく固定化された社会です。貧しくても豊かな人はたくさんいます。1856(安政3)年に下田にやってきた初代アメリカ総領事ハリス(1804-1878年)は、以下のようなことを記している。

 「この土地(下田のこと)は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精いっぱいで、装飾的なものに目をむける余裕がないからである。それでも人々は楽しく暮しており、食べたいだけ食べ、着物にも困ってはいない。それに、家屋は清潔で、日当りもよくて気持がよい。世界の如何なる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」   タウンゼント・ハリス著、坂田精一訳『日本滞在記』 

 人と違うことが当たり前で、どんな違いも認め合うことが、いろいろな人が共生可能な社会だと思います。自分と違った人を受け入れる訓練をしていくことが、今の時代に必要なことではないでしょうか。

以上