人間を発展させ、国家・組織を強化した虚構を作る能力
西田俊哉のベトナム・フォー・パラダイス 2021年6月投稿分
2021年6月12日
1、紀元前2879年 ベトナム最初の国家 バンラン(文郎)国の建国
先日、公認会計士から士業の人たち向けのセミナー講師としてベトナムについての講演をするので、ベトナムの歴史的な話題や近隣諸国との関係など資料をいただけないかとの依頼がありました。ベトナムの歴史に関しては、簡単な知識だけはありましたので引き受けたのですが、外国の歴史に首を突っ込むと驚くようなことがいろいろあります。
まずは何と言っても驚くのは、ベトナム最初の国家の建国が、紀元前2879年と言われていることです。今年が2021年ですから、単純に計算すると4900年前ということになります。日本では旧石器時代から縄文時代に分類されるのでしょうか?考古学など詳しくはない私ですが、日本では文字らしいものは残っていない時代のことです。戦前までは旧石器時代にはまだ日本に人類が住んでいないとも考えられていました。
その見方が覆されたのは、岩宿遺跡の発見からだったように思います。相沢忠洋氏が群馬県笠懸村(現みどり市)で、関東ローム層内で黒曜石の打製石器を発見したのがきっかけでした。旧石器時代は長期間に跨る時代です。日本では人類がいた証拠がやっと見つかったような時代ですが、ベトナムでは最初の国家ができたとの伝説が残っています。
一般的ではありませんが、日本には皇紀という考え方があります。これは神武天皇が即位した時が紀元前660年1月1日とされており、そこから積み上げられたのが皇紀と呼ばれるものです。ただ、その当時グレゴリオ暦(今の太陽暦)が使われていたわけではないので正確なところはわかりません。やはり伝説と考えたほうがいいとは思います。日本で神武天皇が即位したと言われているのは2681年前ということになりますから、バンラン国が建国したと言われるときから、2219年も後ということになります。日本の方が圧倒的に後進国でした。世界史と比較すると最初にメソポタミア文明が起こったのが、紀元前3300年ごろ、次にエジプト文明が紀元前3000年ごろ起こり、その後2300年ごろインダス文明が起こるのですが、その中間くらいにベトナムの最初の国家ができたと言われています。中近東からアジアにかけて、いかに早くから文明が起こったかを証明できるような話です。ただ、先進国が変わらず先進国ではないことも現代から過去を振り返ると事実としてとらえられます。
バンラン国は紀元前2879年から紀元前258年までの2621年間、ベトナム北東部の現在のフート省に存在し、ベトナム人の9割近くを占めるキン族の始祖が住んだ地と言われています。歴代の王は、フン・ヴォン(Hung Vuong)王と言い、旧暦の3月10日がフン・ヴォン王の命日という祝日になっています。旧暦なので新暦(グレゴリオ暦)ではいつも日が変わります。今年は4月21日でした。その周辺地域ではフン王祭りが開催されて、民族音楽の演奏や獅子舞が行われます。2012年にはこの行事がユネスコの無形文化遺産に認定されました。
2、岩宿遺跡発見の意味
ベトナムで国ができたと伝わるバンラン国の古さを比較するために岩宿遺跡を取り上げました。岩宿遺跡が発見されたのは1946年相沢忠洋氏によって群馬県笠懸村の関東ローム層の中から石器が発見されたのがきっかけでした。それまで日本では日本列島が形成されつつあった時期でプレートがぶつかり合い、火山の噴火もあちこちで起こっていました。その石器が発見されるまでは、まだ人類がいなかったと考えられていました。
この発見で縄文時代より前にも日本には人が住んでいたことが確認されたのです。今までの歴史の常識が覆った発見でした。旧石器時代は日本以外の世界にも見られる時代ですが、石を割って刃物として使う打製石器、石を磨いて使う磨製石器の作り方の違いで地域の特徴があります。日本ではガラスのような素材の黒曜石を割って刃物として使いました。黒曜石は長野県の霧ヶ峰周辺の和田峠や北海道の遠軽町あたりで採取できたのですが、全国あちこち黒曜石の石器が発見されていますから、その当時でも貿易や往来があったことを物語っています。
縄文時代前の日本人がどこから来たかを示す例として、シベリアのバイカル湖周辺で生まれた細石器文化は、1万4000~1万3000年前、北海道から日本海沿岸を中心に中国地方まで及んだと言われています。長野県野尻湖立ヶ鼻(たてがはな)遺跡にはナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型動物の骨と牙と解体に使った石器とみられるものが見つかっています。大陸と陸続きだった時代にシベリアからマンモスハンターとしてやってきた人もたくさんいたのです。今の日本より寒い氷河期の時代ですので、大型動物の毛皮は重要な防寒具にもなりました。毛皮を裁断するためには鋭利な刃物が必要でした。日本の先住民人に当たる人たちはシベリアから渡ってきた狩猟民族だったのです。それらの民族がこの時代は石器を使って生きていたのです。
そんな日本人のもっとも古い時代の祖先が生活していた様子がわかるのが岩宿遺跡です。相沢さんの発見は、遺跡を発見したのではなく、そんな時代が存在したことを発見した時空を超えた画期的な発見でした。
3、古事記で語られる神々の系譜
ベトナムのバンラン国ができた時代には、日本では旧石器時代の遺跡しか見つかりませんが、紀元後には編纂された歴史書が残っています。それは古事記という歴史書です。天武天皇の命令を受けて、稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習(しょうしゅう)したものを太安万侶(おおのやすまろ)が書き写したと言われる日本最古の歴史書です。日本に文字ができる前は語り部によって語り継がれていました。語り継がれていたのは、神々たちの歴史から天皇家につながる歴史です。中央集権制が築かれた時代に天皇家が日本を治めることの正当性を示すことが目的で編纂されました。
簡単に古事記の内容を紹介します。初期の世界は天界のみで、そこにはたくさんの神々が生まれていました。そこで上席の神から末っ子のイザナギとイザナミが地上の国を作れと命令を受けました。矛で海をかき混ぜると島になりました。次々と島を作っていきましたが、それが日本の国土となりました。それが大八島です。本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡の八つの島が日本の原型になりましたが、そのときまだ北海道は入っていません。日本の国土や神々を生んだイザナギとイザナミが古事記の最初の主人公です。ところがイザナミが火の神を生んだ時の火傷がもとで死んでしまいました。イザナミのことを恋しく思ったイザナギが黄泉の国に出向き、愛する妻を連れ戻そうとしました。イザナミが「確認をするまで決して私をのぞかないでください」と奥に入っていきましたが、なかなか戻らないので気になって中に入ると、イザナミは腐っている状態でした。見てはいけないと言われたにもかかわらず見てしまったイザナミに対して、イザナミは怒り追っ手を放ちました。必死の思いで逃げ帰ったイザナギは体を洗い流すとアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子が生まれました。この中のアマテラスとスサノオは古事記に登場する次の主人公です。アマテラスは天界を、ツクヨミは夜を、スサノオは海を治めることになりました。アマテラスとスサノオで有名なのは天岩屋戸です。乱暴者のスサノオのせいでアマテラスが天岩屋戸に引きこもり、世界が真っ暗になってしまいました。八百万の神が天岩屋戸の前で大騒ぎをして、アマテラスを引っ張り出すことに成功して元の明るさがよみがえりました。
天皇につながるのが天孫降臨からです。アマテラスは子に下界で降りる指示を出しましたが、結局は孫のニニギが下界(高千穂の峰)におりたことを言います。ニニギの子供にあたるのが海幸彦、山幸彦です。釣りが得意な海幸彦と狩りが得意な山幸彦が、釣りと狩りの道具を交換しました。その時山幸彦が海幸彦の釣り針をなくしてしまって、探しに海の中のワタツミの宮殿に行きました。そこで出会ったトヨタマビメ姫と結婚しました。この山幸彦とトヨタマビメが神武天皇の祖父母にあたります。神武天皇は先祖同様宮崎県の日向に住んでいましたが、日本の真ん中に出ようと移動したことを「神武の東征」といい、大和に来て天皇として即位しました。それから後の話は、ヤマトタケル、仁徳天皇、雄略天皇なども登場し推古天皇までの記録がありますが、前半の方がよく知られています。アマテラスは伊勢神宮に祭られている神ですが、一方スサノオは出雲大社と関係が深い存在です。八岐大蛇の逸話はスサノオが主人公で三種の神器「草薙に剣」は、大蛇の体内から出てきたものです。因幡の白ウサギはその子の大国主が主人公になっています。古事記の編纂をした意味は神々の時代から日本を作り支配してきたのが、神々の系譜につながる天皇家であることを強調するためのものです。
3、認知革命 ~虚構を語る能力を身につけたものの飛躍~
虚構を作る力が人間の歴史を築いてきたと伝える近年発行された著書があります。それはユヴァル・ノア・ハラルの著書「サピエンス全史」です。その著書では次のように記載されています。歴史上人類は何種類も存在していましたが、今の人類であるホモサピエンスのみが生き残りました。ほかの種はホモサピエンスに滅ぼされたのです。例えばホモサピエンスとネアンデルタール人は別の種類ですがほぼ能力は同じでした。腕力や体力はネアンデルタール人の方が勝っているほどでした。しかし、ホモサピエンスの方が生き残りましたが、それはなぜだったのでしょうか?
その理由としてハラルは「認知革命」という熟語を使っています。具体的に言うと、ホモサピエンスは虚構すなわち架空の物事について語る能力を身に着けたのでした。その能力により、人間は多数のものと関連性を築き、急速に変化する環境に適応できる多様性を持つようになったのです。10万年前の地球には少なくとも6つの異なるヒトの種が存在していました。人類はジャングルを追い出され、サバンナに行くしかなかった負け組でしたが、そんな存在が地球の自然界を大きく変える勝ち組に変わりました。その理由は虚構を操る能力を得たことで大きな組織化に成功しました。そこに行く着いた虚構を作る能力を持ったことを「認知革命」と言うのです。
私たちには他の動物には持っていない能力、架空の物事を語る能力を持ったことで、特別な存在に押し上げられました。天地創造の物語、近代国家の民主主義の概念のような虚構を作り上げ、それを組織のよりどころに変えていきました。その能力が最も活用されたのが農業革命以降です。狩猟や採集で生き延びていた人類が、食物の栽培、家畜の飼育という農業の大革命によって、人口が飛躍的に増えました。増えた人口をまとめるためには、組織の中核を示す虚構が必要でした。ネアンデルタール人は家族や少人数の仲間との信頼が重要でした。ホモサピエンスは上下関係のルールなど、組織を維持するための虚構を作り上げましたが、それにより支配が可能になりました。
企業に社是があるのも虚構の構築が人をまとめるからかもしれません。物語を語ることは難しいことではありませんが、多くの人に納得してもらうことは難しいものです。しかし、膨大な時間をかけて語り継がれ足り、徹底されると多くの人の共同幻想になります。多くの人に納得を与えた物語は、その集団の思想の中心に位置されるのです。ベトナムのバンラン国の建国は史的事実ではないかもしれませんが、ベトナム人に国への誇りを与えています。また、古事記にかかれていることも神話であって史実の通りではありません。しかしながら、そこに基盤のある集団をまとめるためには必要な虚構だったのです。古事記の虚構によって、本来は地球上のあちこちから移住してきた種族たちが、そこに住み神話を共有できるからこそ「日本人」と括られるようになりました。日本人は単一民族というのは正確ではありませんが、共有できる虚構があることが「日本人」を作っています。
世界のあちこちにも虚構があります。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教ももともとは旧約聖書が基礎になっています。それぞれの途中の解釈が異なることで、特定の集団をまとめる力になっていきました。逆にそれが対立軸にもなりました。虚構でありながら人類にとって普遍的な概念となっているものとして、「貨幣」・「国家」・「宗教」が上げられます。それらの三つはそう思う人が一定数いるので存在している概念です。日本にいる人は日本円が大事な財産と認識していますが、ベトナムに来たこともない人にとってベトナムドンは紙切れ(日本の紙幣に当たるものは実際にはプラスチック製です)くらいの意味しかありません。民主主義も人権も大事だと思う人がたくさんいるから虚構でありながらイデオロギーとして成立しています。
4、将来虚構はどんな変化を遂げるのか?
一度作り上げられた虚構が集団をまとめるのに役立つ、あるいは一つの方向性を守ることに役立つことをお伝えしました。しかし、一度出来上がった虚構は変わらず維持されるのでしょうか。必ずしもそうはならない事例はたくさんあります。例えば科学の進歩により、従来考えられていたことが間違いだったと判断されることがあります。例えば天動説と地動説の例をあげましょう。キリスト教の教えは天動説です。天動説とは地球が中心で天にある星たちが動いているとの考え方です。それに対して地動説は、宇宙の中心にあるのは太陽であり、地球は他の惑星と同様に太陽の周りを公転しているという考え方です。現在からすると当たり前のことですが、地動説を主張して処刑された人もいました。
特に宗教は人の心を支配する重要な虚構ですが、科学の進歩とともに変わっていきます。特にその時に正義とみられなくなると虚構の変化が起きるきっかけになります。ルターの宗教改革が始まったのは、聖職者の腐敗や汚職が横行したからでした。聖書を理解しているのは教皇や聖職者のみで、一般人は教えてもらう立場でしたから、聖職者が権力者になりました。聖職者でない一般人には善い行いをすることが求められました。悪い行いをした時にはその罪を償うための贖罪することが求められました。贖罪することで善行をしたことになりました。その贖罪の方法はカトリック教会が発行する免罪符を買うことでした。悪いことをした人は教会に賄賂を払えば許される仕組みだったのです。それが協会の資金源になりました。権力者の決めた善行が社会の腐敗を生みました。
その宗教改革でカトリックからプロテスタントが分かれていきましたが、今でも信者が多いのはカトリックの方です。一度虚構が成立すると簡単には変えられないのです。とはいえ特定の組織や人だけが有利なことは、時間と共に変わるきっかけを生みます。人類の歴史を長い目で見ると狩猟採集の時代(旧石器時代や縄文時代)は、あるものをみんなで分け合う社会です。分けるためにも小さな集落の方が維持しやすいものです。原始共産制ともいえる社会で、自然と共存するのが生きるすべでした。
農業の進歩で富の蓄積が可能になると、富を集中できる立場の者が権力を持ちました。権力者は土地を中央集権的に管理する仕組みを作り、それが王国(日本では天皇中心の中央集権社会)になりました。諸々の王国が戦いの中でより強いものが弱いものを飲み込んでいきました。今の資本主義社会と同じです。しかし、その中で特権や有力な手段を得たものは私有地を持つようになりました。徐々に中央集権は壊れて、強い支配者が領土を維持する封建制になりました。ヨーロッパの騎士団や日本の武家社会はそんな時代です。
科学が進歩すると航海が可能となり、新しい投資先が生まれました。機械が発明されるとより効率的に生産が可能になりました。資金を投資することで、植民地やフロンティアを見つけられ、先行投資ができる人がより多くの利益を得られる時代になりました。それが資本主義ですが、資金を集めることが可能な金融の仕組みやリスクを最小限にする金融と保険の考えがセットで資本主義の基盤を築きました。
資本主義は「お金」と「人間」中心の考え方です。農業革命、産業革命を通じて人間は地球を好きなように利用してきました。農業革命以降は人間が自然を支配する考え方になりました。その結果、多くの動植物の絶滅、温暖化など地球環境問題が起こっています。動植物で今最も繁栄している種は、人間と人間の食物になるものだけです。それ以外はどんどん絶滅しています。虚構が変わるとしたら、人間中心では人間自身が生き残れないとの「虚構」が信じられたときではないかと思います。
以上