要介護社会日本と成長するベトナムの未来予想

 1, 父親の入院と介護施設への入居

 この6月私にしては珍しいことですが、一時日本に帰国していました。帰国の理由は高齢の父親が入院してしまったからです。父親は94歳になるのですが、長野県の実家に一人暮らしをしていました。弟達が時々訪ねて面倒を見ていましたが、痴呆にもなっておらず、基本的な生活は自分でできるので介護施設に入ることもありませんでした。

 ところが4月の中頃から熱を出して寝込むことが多くなったようです。一進一退を繰り返しながら、とうとう一人で起きられなくなり緊急入院することになったと聞きました。病名は心臓あるいは心筋が何らかの感染症になり、高熱が出ているとのことでした。心不全の恐れもあり、重篤な状況でもあるとのことなので、覚悟も必要と思っていました。帰国のタイミングを計るのに迷いましたが、早めに帰国しようとは決めました。既に入っているスケジュールがあったのでそれを消化して、6月帰国する予約にしました。

 父が入院している病院は長野県立木曽病院といい、その地域で唯一の総合病院です。高齢者の入院患者が多いその病院では、コロナ感染対策もあり、面会者は事前登録の上、少人数かつ12歳未満の面談は不可、面会時間も15分だけと聞いていました。それでも一度も行かないことはできないと思っていました。

 弟からの報告では、幸いその間に父親の症状は快復に向かっているようでした。ただし、退院できたとしても今までのように一人暮らしは無理との医師の判断がありました。弟が介護施設を探してくれていました。なかなか見つかりませんでしたが、弟の住む松本市で看護施設の空きを見つけられたとのことでした。退院後すぐに介護施設に入居する条件で、病院からの退院が認められました。

 私が面会予定だった翌日に退院できることになったことは幸いでした。退院の時は息子夫婦も協力してくれ、いったん実家に帰って介護施設入居の準備をして松本市に向かいました。ただ長い入院のせいもあり、父親は車いすでしか移動できませんでしたし、立ち上がることさえも大変でした。高齢であり、入院が長期化すると、筋肉も衰えてこのようになってしまうようです。久しぶりの外出で車酔いもしたようでした。介護施設入居の費用もかなりするのですが、父親は長年国鉄(JRの前身)に勤務していたこともあり、共済年金で何とか賄えそうなので子供としてはほっとしました。近くに弟がいてくれることもありがたいことでした。

2, 「老人大国日本」から「老国化日本」

父親の介護施設への入居を目の当たりにして、自分の老後にも想像をめぐらしていました。父親の年までには30年を切っていますし、父親ほど長生きはできないかとも思います。日本の高齢社会の現状を精神科医和田秀樹さんが意見を述べています。『マスクを外す日のために』(幻冬舎新書)という書籍が和田氏の著作ですが、「人は高齢になると前頭葉が委縮し、変化を好まなくなる。つまり日本人の多数が前例踏襲思考に陥っている」と指摘をしています。

日本に行くと必要なのが日々マスクの持参を忘れないことです。マスクがないと入館できない施設が多いのです。病院、介護施設はまさにそうでした。ベトナムではほぼマスクをすることはなくなりました。マスクをつけない傾向は欧米系の人には多いですが、マスクをかけない自由を求める頑迷な権利意識の強い人たちと考える日本人も多いかもしれません。ただし、本当に必要かはマスクとつける功罪を判断した上で、合理的な判断をしてもいいかもしれません。

和田氏によると「高齢化が国民全体の脳を委縮させ、政府も国民も変化を好まなくなった」と見立てています。そのうえで日本は今後大国とは言えなくなり、変わろうとせず収縮するのみの「老国化日本」になっていくのではと危惧していました。和田氏によると人の脳、とりわけ前頭葉は40歳を超えると目に見えて縮み始めるようです。40代からは頭蓋骨と脳の間に黒く映る隙間ができ始め、特に前頭葉の萎縮が進行するようです。前頭葉とは大脳皮質の前方部にあり、創造性や意志・意欲・変化への対応など、高い精神機能をつかさどっている部分のようです。それがコロナ禍を通じて、自粛禍脳が形成され、より前頭葉が委縮して変化を好まなくなったと指摘しています。

 コロナウィルスからみた最も有効な生存戦略は、感染しやすいが宿主に害を与えすぎないように変異することです。ウィルスは徐々に弱毒化するだろうとも述べています。なぜならば宿主を殺してしまえば、ウィルスそのものも消滅してしまうからです。

 実はより危険なのが過剰な自粛策によるマイナス面です。自粛策によって人々は多くの自由を失っています。外で運動すること、人と交流することと会話すること、コンサートやスポーツ観戦することなど、人間の脳を委縮させない刺激や楽しみを失っているとしています。マスクを外さないことが、コロナ以上に高齢者の命を奪っているのではとの指摘です。

3, 人口ボーナスの国ベトナムはどこに向かうか?

 日本の老人大国に対する話をしてきましたが、平均年齢は2022年現在約48歳と言われています。一方ベトナムは31歳と言われていますので、まだまだ若い国です。生産年齢(15歳から65歳)の人口比率が高い人口ボーナスの国になります。人口ボーナスの国は経済が発展すると言われています。

 しかし単純にそのようになるとは限りません。ベトナムの日本人向け情報サイト「POSTE」の7月4日の記事には、「ベトナム人の若者の世代、年配世代よりも浪費傾向顕著」とタイトルが出ていました。その記事の内容は家族や友人あるいはローン会社からお金を借りて過剰消費する若者が多いと伝えています。ベトナム人は財務管理の知識がないので、入ったお金をすぐ使っており、約67%が返済等の経済的プレッシャーにさらされていると書かれています。

 そんな若者の声が載っています。若いベトナム人女性のウエンさんは、「よく働き、よく遊ぶ現代的な女性になりたい。人生は一度きりなのに、なぜ出費を計算して青春を無駄にしなければならないの?」と自身の浪費を正当化しています。

 ベトナム国家大学のファン・ラン博士によると「現代社会は消費社会であり、人々は自身の外見のみが自分を決定すると考えているとしたうえで、最近は知識と興味、経済的な豊かさよりもソーシャルメディア上で自分自身の存在を証明することに頼っている」と指摘しています。

 ベトナム人のSNSへの投稿好きは顕著ですが、写真の画像加工にも熱心で自分を良く見せることに最大の関心があるようにも見えます。一方で日本人はその逆で、老後が心配で自由にお金を使わない傾向があるようです。現在のベトナムではお金を使いすぎてしまう若者たちが多いようですが、日本が高度成長する以前には日本人の意識はどうだったのでしょうか?

 そんなことを思いながらふと思ったのは、日本帰国時に感じたインフラの充実度です。特に鉄道運航の緻密さです。時間に正確でもあり、用地買収の遅れなどはありますが、計画したことは進んでいきます。日本にいる間の土日は父のところに行っていましたが、平日は自宅のある横浜に帰っていました。そこで初めて利用したのが、3月18日に開通した新横浜線です。自宅の最寄りの駅が羽沢横浜国大駅なのですが、電光掲示板には、行先が様々に表示されていました。

 北に向かうのが、東横線、新都心線と東上線に乗り入れる路線の行き先が埼玉県の森林公園行や川越市行がありました。もう一方目黒線、三田線に乗り入れる路線が西高島平行です。更に目黒線、南北線と埼玉高速鉄道に乗り入れる路線が浦和御園行です。南に向かうのは、相鉄本線海老名行と相鉄いずみ野線の湘南台行があります。そのほかJR貨物線と埼京線につながるJR相鉄ラインの新宿行や逆方向の海老名行もありどれに載るかはよく考える必要がありました。開通した新線から、これほど複雑な乗り入れができる日本人の計画性と緻密さに改めて感心しました。

 一方、ベトナムでは都市鉄道の建設が進められていますが、ホーチミンではいまだに開通していません。当初は2020年ごろには開通予定だったのですが、国にお金がないこともあり予定通りに工事が進みません。姿は似ていても日本の国民性とは違っているのかと思うところもあります。

4,日本はなぜ高度経済成長できたのか?

 ベトナムは日本のような高度成長ができるかを考えたときに、ヒントになるのが高度成長を成し遂げた日本の過去です。資源も乏しい国が経済発展を遂げることができた要因としては、生産人口の増加ですが、これは団塊の世代が労働力に加わる1960年代後半ごろからになるでしょうか。団塊の世代は日本の発展に寄与したことは間違いないと思いますが、もっと基本的なことがありそうです。

 日本の経済成長の原動力になった財産があります。それは国民の勤勉さ、教育レベルの高さ、生産能力の高さがあげられます。これはもともとに日本が学校教育を重視していたことから基盤ができていました。同時にGHQが入ってきたことから一層の近代的な教育がされるようになりました。もう一つ忘れてはいけないのが、日本の貯蓄率の高さです。日本人の将来に備えようという考え方が貯蓄率の高さを生み、その預貯金が金融機関を通じて産業の設備投資の資金として使われるようになりました。まずは経済が復興するためには、エネルギーや素材が生産されなければなりません。例えば鉄鋼がなければ、自動車専業などができません。鉄鋼業を育てるためには、エネルギーと設備投資が必要です。そこで日本では石炭や電力などの生産に力を入れました。日本政府は「傾斜生産方式」と名付けた経済政策で、必要な産業を選んで復興のために資金を投入しました。その時できた復興金融公庫が大規模にお金を貸し付けたせいで、極端なインフレが発生しました。ドッジ不況と言われる景気悪化の中で、社会を不安定にする下山・三鷹・松川事件のような鉄道の事件が発生しました。

 しかし、時代の幸運は日本にありました。インフレに苦しむ日本を救ったのが、輸出によって外貨を獲得できる国際環境ができたことでした。そのきっかけを作ったのがアジアの共産化の嵐と朝鮮戦争でした。その当時、地政学的重要な位置に日本があったことが、その後の経済発展に大きく影響したものと思います。日本は朝鮮戦争時アメリカの基地として活用されました。そのためアメリカ軍の必要な物資が日本から調達されました。同時にアジアの共産化の動きからアメリカが考える日本の役割が変わりました。民主化と非軍国主義化より経済復興を進め、共産化の防波堤になる役割です。共産化ととめるために資本主義の日本がアジアの手本になることが、アメリカにとっても日本の役割の重要性があったのです。

5, 高度成長前の日本と現在のベトナムの比較

 国民の勤勉さや教育レベルの高さや技術力の高さは、ベトナムもかなりのレベルにあることを感じます。また、仕事が終わった後でも専門の勉強や語学の勉強をしようとする若者がたくさんいます。今の日本人がなくしてしまった成功への渇望も持っていると思います。また、地政学的にも米中のデカップリングなどの影響で、中国の工場をベトナムに移そうとの話もありますから、ベトナムも地政学的にも良い立位置にあると考えられます。

 しかし、私が日本の経済復興とベトナムの現状が異なると思われるのは次のようなことです。まずは、ベトナムの経済成長は外資の投資頼りのところがあることです。ベトナムは苦しくなると外資の投資が拡大するように政策を転換してきました。その柔軟性は見事で、一定の成果は出ています。

 ただ、そこでベトナム人が考えるのは、豊かな外資からお金をとろうという発想が強いように見えます。空港で観光客や出張者からお金をぼったくるタクシーが横行しているのも一例です。決してベトナムの成長にプラスになりません。また、外資からは法人税や所得税の納税はきちんと取りますが、ベトナム企業や富裕層にはかなり甘いような感じがしています。シャープ使節団が来て、直接税中心の公平感のある税制改革を行った日本との違いもあります。

 ベトナム人は不労所得の確保に強い関心があり、不動産投資は積極的ですが、楽をして儲けたい発想が強いようにも感じます。若者たちの感覚も今が楽しければいいとの刹那的な考えが見られます。日本は敗戦の絶望から、何とかしようと必死で頑張った国民がいましたが、ベトナムはある程度裕福になり始めたことが影響しているかもしれません。また、政府の財源も正当な方法で何とか集める必要もあると思います。日本がとったように傾斜生産方式にお金を注ぎ込みましたが、政府も財源が不足しており、ここにも外資頼りの側面があります。

 ただ、ベトナムは人材が優秀であること、政府が長年多方面外交を続けており貿易に自由化が進展していること、外資規制が大幅に緩和されており、外資が進出しやすい国になっていることは経済成長には重要な要素です。また、ベトナムは人材育成には力を入れており、各大学でのIT学科の新設やIT技術者の育成に力を入れています。IT分野やハイテク分野への投資は優遇しています。WIFI環境については、日本よりも進んでいると感じることも多くあります。

 この4月に人口が1億人を超えたと想定されているベトナムです。ベトナム人の考えが、今現在、ここだけ、自分だけ良ければいいという短視眼的な見方から、将来や世界や社会のために何をなすべきかを考えられるようになれば、その優秀さが社会発展の原動力になると思います。・

 冒頭に高齢の父親の話から日本の高齢社会の問題などを書きましたが、人間年を取ると何のために生きているのかを社会的に考えられるようになります。残りの人生を自分さえ楽しければいいとは思わなくなります。自分の幸せよりも社会の幸せの方が大切に思うこともできるようになります。ベトナムの潜在的な能力を考えれば、社会的な視点を持つ人が増えれば、この国はもっと成長できる国になるものと期待しています。どちらに向かうかは、ベトナム人の考え方によるだろうと思います。

以上

投稿者プロフィール

西田 俊哉
西田 俊哉
アイクラフトJPNベトナム株式会社・代表取締役社長。
大手生命保険会社に23年の勤務を経て、2005年に仲間とベンチャーキャピタル・IPO支援事業の会社を創業し、2007年に初渡越。現在は会社設立、市場調査、不動産仲介、会計・税務支援などを展開。